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古着屋 東京の検索結果1 - 40 件 / 203件

  • モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)

    古賀及子さんのエッセイ連載、今回はおためし版で無料でお読みいただけます! とにかくモテる人だった。 知り合ったのは当時全盛期だったミクシィの、コミュニティのオフ会でだ。昭和50年代の1月から3月に生まれた人たちだけが参加できる集まりで、参加者に誕生日を聞くとだれもかれもが早生まれなのが、そういうものだとわかっていても可笑しかった。私は1月生まれで、彼女は3月生まれだ。 なんだかもう本当にモテた。会う男性がみんな彼女を、驚くほど簡単に好きになる。 さらさらでまっすぐの栗色のロングヘア、茶色い瞳のよく動く丸い目、長いまつげが印象的だけれど濃い化粧はせず、服装は気取らずカジュアル、いつも笑顔で、ふるまいは一生懸命、恋人はおらず、地方から東京に出てきてひとり暮らしで仕事を頑張るようすにひかれる気持ちは理解できたが、それにしてもという釣れ具合だった。 彼女と私は同い年で、偶然自宅が近所だったこともあ

      モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)
    • お先真っ暗な東京での日々。「呪い」を解き、もう自分は大丈夫だと思えるまで|DJ松永さん【上京物語】 - SUUMOタウン

      インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:谷浦龍一 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、DJ松永さんです。 新潟県の長岡市で生まれ育った松永さんは、中学2年生でヒップホップと出会い、その「得体の知れないかっこよさ」に魅せられていきます。その後、高校を中退するほど没頭するようになり、やがてDJとしての活躍の場を求めて東京へ。 しかし、上京後に待っていたのは苦渋の毎日。東京のクラブに居場所はなく、苦労して制作したアルバムも売れず、辛酸を舐め続けました。その後、2013年にラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsを結成してからは少しずつ状況が好転していき

        お先真っ暗な東京での日々。「呪い」を解き、もう自分は大丈夫だと思えるまで|DJ松永さん【上京物語】 - SUUMOタウン
      • 海外「日本に行くのが怖い…」 初来日した海外アニメーターが日本人の姿に衝撃

        今回は、「無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜」や、 「BLEACH 千年血戦編」のOP原画を担当するなど、 アニメーターとして活躍されるKay Yuさんの投稿からです。 Kay Yuさんは現在人生初の日本旅行を体験中で、 フォロワーに対するリプでは、 「素晴らしい時間を過ごしています。 本当に人生が変わるような体験です」と、 非常にポジティブな旅である事を伝えています。 一方で日本で自信をなくしてしまうような経験も。 それはファッション面で、日本人は年代にかかわらず、 「文字通り全ての人がファッショナブルで素敵」である一方、 自身は「日本に来るまで服装に気を遣っていなかった」事を痛感。 2ドルのTシャツと履き古したジーンズを履いているという事実を、 いやが応にも意識せざるを得なかったそうです。 日本にいると自分の服装が場違いに思えてしまう、 という体験は多くの来日外国人がしているようで、

          海外「日本に行くのが怖い…」 初来日した海外アニメーターが日本人の姿に衝撃
        • 90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」 | 女芸人の今 | 文春オンライン

          今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。3つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている 。 ◆ 「もーりもりもりまんまんまん」という独特のブリッジ、下ネタも汚れ仕事も厭わない特攻スタイルで90年代のバラエティシーンを駆け抜けた女性芸人・モリマンのホルスタイン・モリ夫。 東京での芸人生活は「正味3年半」だったというモリマンは、その年月とはおよそ比例しない様々なインパクトをテレビに残した。芸人からの嫉妬、スタッフからのいじめ、一般人からの誹

            90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」 | 女芸人の今 | 文春オンライン
          • 明治の女学生 自転車通学奮闘記|自転車文化センター

            明治36年2月から9月まで読売新聞に小説「魔風恋風」が連載されました。ヒロイン萩野初野が颯爽と自転車で現れるところから話は始まります。「鈴の音高く、現れたのはすらりとした肩の滑り、デートン色の自転車に海老茶の袴、髪は結流しにして、白リボン清く、着物は矢絣の風通、袖長ければ風になびいて、色美しく品高き十八九の令嬢である。」(写真1) 写真1 明治36年2月から9月まで読売新聞に連載された小杉天外の小説「魔風恋風」が同年11月に単行本として出版されました。この絵は小説に登場する令嬢をイメージして描いたもので挿絵として単行本に組み込まれているものです。 この可憐な乙女が自転車に乗る姿が流行となり、その姿が当時の様々な広告に使われました。(写真2・3) 写真2 明治37年の染物屋のチラシです。 写真3 明治38年頃の古着屋と金物屋の共同チラシです。いずれも写真1の挿絵の影響を受けていることがわかり

            • 地味ハロウィン2020開催されました!

              1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。 編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。(動画インタビュー) 前の記事:これはいくらでしょう? > 個人サイト webやぎの目 Whats地味ハロウィン まずは地味ハロウィンについて簡単におさらい ・2014年に林がスナックで始めたハロウィン ・ハロウィン定番の仮装ではなく、仮装の対象にならないような人たちの仮装をする ・年にいちどのとんちを競い合うイベントとして定着 地味ハロウィンはデイリーポータルZが発祥だけど、もう一般に広まっちゃってるし、我々としてもそれについてあれこれ言う気はない。もともとケルト人のお祭りだし。 今年の会場は二子玉川 2020年10月31日、二子玉川のiTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズで開催された

                地味ハロウィン2020開催されました!
              • 明治時代の苦学生を騙す貧困ビジネス - 山下泰平の趣味の方法

                苦学生を失敗させて儲けよう 明治の三〇年あたりから昭和一五年くらいまで苦学が流行し続けた。苦学とは自ら稼ぎながら学資を得て学校を卒業することである。 戦前の苦学生は基本的に失敗する。なぜなら苦学を失敗させるような仕組みが、明治三五年には構築され長く維持されたからだ。世の中の至る所に罠が仕組まれており、多くの若者たちが騙され続けた。一種の苦学失敗システムとでも呼ぶべきもので、中でも多くの苦学生を苦しめたのが苦学者支援団体だった。 こわい 苦学者支援団体の仕組 苦学者支援団体はタコ部屋労働(地獄部屋)と就職詐欺、そして偽装サークルを組合せたような組織で、ここに入った時点で八割方苦学は失敗に終ってしまう。もちろん苦学者を狙ったタコ部屋も就職詐欺も偽装サークルもあったのだが、苦学者支援団体の仕組みは少し複雑だった。 彼らがどのように苦学生たちを騙していたのか具体的に紹介すると、例えばこれを読んでい

                • 会社員は多拠点生活の夢を見る #わたしの好きな街 - 沙東すず

                  Sponsored by リクルート住まいカンパニー はじめに 「住みたい街」というテーマでブログを書いてほしい、と依頼をいただきました。 まず、これまで住んできた街を振り返ってみます。わたしは大分県の別府市で生まれ、大学進学を機に東京で生活をはじめました。京都に少し住んだこともありますが、最終的に東京で就職。何度か引っ越しを重ね、東京近郊で暮らした総年数が大分で暮らした年数に迫りつつある頃、中国への出向に応募し、上海駐在となって2年強が経ちます。 とはいえ出向なので、数年で東京に戻る予定。出向前に買ったマンションにも愛着があるので賃貸にも出さず、現在は一時帰国のときの飲み会などで活用している、という状況です。 通称「メレヤマンション」。手前に写っているのは、ガーナで作った自分のための装飾棺桶。家や棺桶づくりの経緯は、著書『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)をお読みください…… すごい

                    会社員は多拠点生活の夢を見る #わたしの好きな街 - 沙東すず
                  • 『神様のメモ帳』についてあれこれ|杉井光

                    『神様のメモ帳』1巻の発売年を藤島鳴海高校一年生の年だとすると、今日は彼の30歳の誕生日ということになる。ついでにアニメ放映からちょうど10年が経ったし、なんとなく節目の年だ。なにか書いておこうかな、と思い立ち、(おそらく最後の)短編一本と、備忘録の意味も込めてそれぞれの巻を書いたときのあれこれを思い出せる限りここに書き記した。 短編の方はカクヨムにアップしてある。 以下、全巻解説。当然だがネタバレの嵐であり、『神様のメモ帳』未読の方は絶対に読んではいけない。 第1巻すべてのはじまり、エンジェル・フィックス事件。 デビューシリーズが3冊で打ち切りとなった後、今後作家としてやっていけるのかどうかもわからず五里霧中で立てまくった企画のうちのひとつに編集さんがGOを出し、手探りで書き始めたのが《ニート探偵》だった。 もともと《ニート探偵》というのは、2chの文芸板に僕が常駐していた頃にネタで書き

                      『神様のメモ帳』についてあれこれ|杉井光
                    • 敬うな、一緒に遊べ。85歳のファッションリーダー・シルバーテツヤに孫の僕が教わった、楽しく生きる秘訣|tayorini by LIFULL介護

                      敬うな、一緒に遊べ。85歳のファッションリーダー・シルバーテツヤに孫の僕が教わった、楽しく生きる秘訣 #老後も楽しむ 公開日 | 2023/08/07 更新日 | 2023/08/09 人は年齢を重ねるにつれ、好奇心が薄れ、考え方や行動も保守的になっていくことが少なくありません。しかしそんな中、晩年になって世界から注目を浴びるほどの大きなチャレンジをした方がいます。 今回お話を伺ったのは、CMプランナーのクドウナオヤさんです。クドウさんは2019年、故郷・秋田県の自然豊かな町で暮らす85歳の祖父・工藤哲弥さんに最先端ファッションを着せて撮影。「シルバーテツヤ」と命名してSNSにアップしたところ、たちまち世界中で話題となりました。 年金暮らしだった田舎のおじいちゃんが、一夜にして「遅咲きすぎるファッションリーダー」に。そんな伝説を残しつつも、哲弥さんは2年後の2021年、87歳で生涯の幕を閉

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                      • 下北沢に10年住んだら「作家としての覚悟」が生まれた|浅野真澄(あさのますみ)さん【上京物語】 - SUUMOタウン

                        インタビューと文章: 前田久 写真: 関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現──。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、声優で作家の浅野真澄(あさのますみ)さんです。 声優としてさまざまな作品に出演しながら、絵本やエッセー、漫画原作や歌詞提供といった文筆活動もコンスタントに続けている浅野さん。文章や本に対する思い入れは深く、学生時代には出版の仕事に就くことを考えるほど、小さなころから本をたくさん読んで、想像の翼を広げてきました。 就職氷河期で出版業界への道をいったんあきらめた後、東京での一人暮らしをスタートさせた永福町。そして、文筆活動という形で本と再びかかわるきっかけをつくってくれた下北沢。10年

                          下北沢に10年住んだら「作家としての覚悟」が生まれた|浅野真澄(あさのますみ)さん【上京物語】 - SUUMOタウン
                        • “真夜カルチャー”で大人の青春を叶える街、名古屋(文:スイスイ) - SUUMOタウン

                          著者: スイスイ 「観光客用の名古屋」を演じてしまう名古屋人 アフリカ奥地で動物のように暮らす民族が、イッテQに出てたとき。 油断した瞬間に携帯電話とペットボトルの水を地面に落として焦っていた。 彼らは、外から求められる偽りの民族像を見せることに徹していた。 その場面を見ていた私は真剣に「名古屋やん……」と思った。 名古屋人も長く、観光客用の名古屋像を演じ続けている。本当は、味噌煮込みうどんも味噌カツも給食でしか食べないし、特にひつまぶしなんて観光で来た友人に付き合うときしか食べない。ついでに言えば河村市長が使う「どえりゃあ」「いかんがね」などのドきつい名古屋弁も、使わない。市長含め市全体がグルとなり嘘で塗り固められた「名古屋人コスプレ」を全国発信している。罪深すぎる。 名古屋の実態は、文字にする難易度が高すぎるのだ。だけど私は知っている。てか多分名古屋人それぞれが知ってる。住んでいる我々

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                          • 「若者の街」は原宿から下北沢に?盛り上がりを見せるカルチャーの街シモキタ

                            サブカルの聖地、古着の街、演劇の街、音楽の街、カレーの街......と様々な異名を持つ下北沢。再開発もあって、今若者を中心に賑わいを見せている。一方で、「若者の街」としても知られる原宿はコロナ禍で閉店するショップが続出したほか、街へ集う人も減少傾向にあり、流行の発信地としての側面は陰りを見せている。様々な分野で「若者の〇〇離れ」と言われる中、下北沢が支持される理由は?原宿のトレンドを発信してきたストリートスナップ誌「TUNE」の元編集長としての経歴を持ち、現在セレクト&ヴィンテージショップ「メニュー(MENEW)」を下北沢に構え、下北沢近辺に約20年間住んでいるという「ノントーキョー(NON TOKYO)」のディレクター中川瞬氏に街の変遷と下北沢の魅力を聞いた。 中川氏が下北沢近辺に住み始めたのは2002年頃。1970年代頃から「サブカルの聖地」とも言われていたこともあり、劇場やライブハウ

                              「若者の街」は原宿から下北沢に?盛り上がりを見せるカルチャーの街シモキタ
                            • 大阪市阿倍野区で過ごした、もう戻れない愛しい記憶。 - SUUMOタウン

                              著者: 劔樹人 大阪の曇天に差した「ハロプロ」という光 私は、18歳で大学に進学した1998年から、上京する2007年まで、およそ10年間の青年期を大阪で過ごした。 その中でも、大学を卒業してからの数年間、私の暮らしの中心は大阪の天王寺・阿倍野近辺だった。 当時大学院への進学に失敗し、バンドでの成功を目指しながらアルバイトをする生活を選んだ私は、常に金がなく彼女もいない日々に、将来への不安を募らせ続けていた。 そんな時期にのめり込んだのがモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトの応援である。 うまくいかない日々に塞ぎ込んでいた私の心の曇天に、まず松浦亜弥が、そしてモーニング娘。が明るい光を照らした。 私は駆け上がるように(転がり落ちるように)ハロプロのオタクになり、それだけで底辺だったはずの生活が生き生きと輝き出すのを感じた。 モーニング娘。のコンサート会場にて。ダフ屋にしか見えな

                                大阪市阿倍野区で過ごした、もう戻れない愛しい記憶。 - SUUMOタウン
                              • 30代の停滞感を「着物」が解消してくれた。初心者として学ぶ楽しさは、自分の可能性を広げる - りっすん by イーアイデム

                                30代になり停滞感やつまらなさを感じていませんか。 ある程度“経験値”が上がってくると、誰かに何かを教わったり、新しいことに挑戦したりする機会が減っていきがち。仕事や生活はそこそこ充実しているはずなのに、慣れて「ルーチンワーク化」している日常に、物足りなさを感じている方は多いのではないでしょうか。 とある企業での編集職を経て現在はフリーのディレクターをされている山本梨央さんも、「自分が想像できる範囲のスキルアップに留まっている焦り」を感じていたそう。 そんな山本さんに変化を与えてくれたのが「着物」という新しい趣味の存在です。着物を通して全く新しい世界を覗いていくことに楽しさを覚え、30代の停滞感から抜け出した山本さんの体験を書いていただきました。 30代に入って感じた「頭打ち」感から、着物に挑戦 私はいま、ほぼ毎日着物を着て生活しています。日本舞踊や茶道をやってる人? 着物にまつわる仕事を

                                  30代の停滞感を「着物」が解消してくれた。初心者として学ぶ楽しさは、自分の可能性を広げる - りっすん by イーアイデム
                                • “アンチ・ローカライズ”のアジア文化ひしめく活気の街、小岩。 - SUUMOタウン

                                  著: 高口康太 商店街だけじゃなくて、江戸川河川敷もナイスなお散歩コースだ 私の新生活はいつも勘違いから始まって、予想してなかった喜びにたどりつく。いわゆるセレンディピティ(ステキな偶然)ってやつである。 大学選びでもそうだった。日本一人口が少ない鳥取県で育った私は、東京に住みたい!といいう一念で受験勉強を頑張るも、気づけば千葉大学に入学していた。受験に失敗したのではなく、「千葉って東京だよね?」という、いかにも鳥取人的な勘違いであった。同級生も「千葉大?東京の大学行くのか、すげーな」と祝ってくれたから、私だけがおっちょこちょいだったわけじゃない。 すぐに千葉と東京が違うことに気づくわけだが、ショックだったのは「黄色い電車」だった。古い話で恐縮だが、ロックバンド・爆風スランプには、「週刊東京「少女A」」という曲がある。関東郊外で暮らす少女が「黄色い電車で週にいちどの上京」を楽しみにしている

                                    “アンチ・ローカライズ”のアジア文化ひしめく活気の街、小岩。 - SUUMOタウン
                                  • 愛しさと切なさと後ろめたさと、多治見 - SUUMOタウン

                                    著: 山田宗太朗 多治見について考える時はいつも、相反する感情が同時に湧き上がって胸が詰まり、言葉が重くなる。そこには自分の実家があり、今も両親が住んでいるのだが、自分自身は小学生の5年間を過ごしただけで、街のことはよく知らない。「地元」と呼んでいいのか、迷ってしまう。 静岡で生まれ、転勤族のような幼少期を過ごし、小学校2年生に上がる直前に、父の地元である岐阜県多治見市に引越した。家が建ったのは駅からバスで20分ほど離れた丘の上で、祖父に言わせれば「あんなとこ、昔は山ばっかやったわ」な場所。80年代から90年代前半にかけて山を削って開発された住宅地で、広い空と、草木や土の匂いに囲まれて育った。 小学校4年生になると、近所に住んでいたひとつ年上のI君の影響で、地域のミニバスケットボールクラブに入った。バスケは楽しかった。『スラムダンク』が漫画とアニメで大流行していたせいもあったのか、「高校生

                                      愛しさと切なさと後ろめたさと、多治見 - SUUMOタウン
                                    • 穏やかな日常と冒険マンガの街。仙台で私は、美しく豊かに孤独だった - SUUMOタウン

                                      著: JUNERAY 「仙台の観光名所ってどこ?」と聞かれると、考え込んでしまう。 筆者は0歳から仙台育ち。街の雰囲気が好きで、関東の大学を出た後も、しばらく仙台で1人暮らしをしていた。仕事や家庭の事情で今は関東に住んでいるが、一番好きな街はやはり仙台。友人知人にもぜひ訪れてほしいと思う。 そして冒頭の質問。 大観音像は迫力があるし、仙台うみの杜水族館は展示がホヤの養殖スタートで面白いし……と、思い当たる場所を1つ1つ当たっていくが、それが全国各地の有名な観光名所と比べて「どう優れているか?」の説明を求められると分からない。仙台は「ただ、良い」。 毎日キラキラの生鮮食品を眺められるスーパーも、街路樹が青々と茂る大通りも、あの独特の街の空気もすべてが特別だ。あそこはもしかしたら、観光ではなく滞在、ひいては住み着くのに適した土地なのかもしれない。 この記事は、仙台を愛する筆者が仙台の魅力を「住

                                        穏やかな日常と冒険マンガの街。仙台で私は、美しく豊かに孤独だった - SUUMOタウン
                                      • 昭和の写真を撮る(デジタルリマスター版)

                                        1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。 編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。(動画インタビュー) 前の記事:地味ハロウィン2020開催されました! > 個人サイト webやぎの目 むかしの写真の特徴を考える 当サイトにもときどき古い写真が載っている。古くなったカラー写真の特徴として以下の点があげられると思う。 ・赤が鈍い色に ・全体に青かったり黄色かったり ・フチ+日付がある ・ざらついている 全体に彩度が低い。これらを参考に画像加工ソフトで写真を加工してみた。 ことしの7月、新橋のお祭りで 昭和51年6月 けっこう昔っぽい写真になったと思う。あとはポーズと服装だ。 むかしの写真には照れがない むかしの人はみなポーズを決めているのだ。 ポケットに手を突っ込んだり腰に手を当てたり。

                                          昭和の写真を撮る(デジタルリマスター版)
                                        • 住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン

                                          著: 池田礼 小伝馬町駅そばにある十思公園。江戸時代に伝馬町牢屋敷であった歴史から、公園内には処刑の合図となった「石町時の鐘」が残っている 「あなたたちは皆生まれた場所が違うの。あなたは北海道、お兄ちゃんは京都、1番上のお姉ちゃんは東京で」。小さいころに聞いた、年子の3人兄弟全員の出生地が違うという母の説明に、幼心に「へえ、私は京都がよかった」とかなんとか、適当なことを言ったのを覚えている。 幼いころはそれが普通だと思っていたけれど、歳を重ね人と会う機会が増えると、初対面で聞かれるようになった「地元はどこですか」の質問に口籠ってしまい、うまく答えられないことに気がついた。生まれたのは北海道だけど、すぐに父の実家がある香川に移ったし、小学校3年生の後半には神奈川県の新百合ヶ丘、中学に上がるころには東京に引越した。だから当時、この質問に慣れていなかったころは、兄弟間でよく「私たちの地元ってどこ

                                            住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン
                                          • 父から学んだ「分解」が職業に。世界にただ一人の「衣服標本家」

                                            フリーランスキャリア生き方 デザイナー、パタンナー、販売員などファッション業界にはさまざまな仕事があります。しかし、その中でも「衣服の分解」を仕事にしている人は世界を見渡してもおそらくただ一人しか存在しないでしょう。その人が、「衣服標本家」の長谷川彰良さんです。 長谷川さんが衣服標本家の仕事を始めたのは、100年以上前の洋服の精巧な作り、品質の高さに感動したことがきっかけです。その構造を解き明かし、魅力を伝えていきたい。そうした想いから独自にアンティーク服の型紙(洋服の設計図)を作成し、「半・分解展」という展覧会を開催しています。 世界にただ一人の「衣服標本家」はどのようにして生まれたのでしょうか? 洋服が教えてくれるフランス革命 東京の郊外、近くに小川の流れる住宅地に、世界に一人しか存在しない「衣服標本家」長谷川彰良さんのアトリエはあります。クローゼットにずらっと並ぶ、普段目にしないよう

                                              父から学んだ「分解」が職業に。世界にただ一人の「衣服標本家」
                                            • ほんのり愛着をおぼえる新代田(文・小原晩) - SUUMOタウン

                                              著: 小原晩 京王井の頭線新代田駅の改札を降りると環七通りがばーんとある。その奥には朝焼けや快晴や夕暮れやどしゃぶりがいつものんびり広がっている。あの風景が好きだった。 新代田は、初めてひとり暮らしをした部屋の最寄駅だ。もう6年前のことである。下北沢のとなりの駅で、もともと下北沢に住みたがっていた私に「ここならあんたも住める家賃の部屋があるよ」と両親が見つけて、選んでくれた部屋だった。うちの両親は八王子に住んでいて、旅行以外で八王子からでることはほとんどないのに、どうしてこの時だけ1時間も電車に揺られてこの街をすすめてくれたのか不思議だったけれど、それほど娘のひとり暮らしは親からすれば不安なものだったのかもしれない。たしかに両親おすすめの新代田から憧れの下北沢までは、ちょっと歩けばつく距離だった。だから私はこの街に住んでみようと思った。 新代田駅の改札を出たところの風景、環七通りと空 新代

                                                ほんのり愛着をおぼえる新代田(文・小原晩) - SUUMOタウン
                                              • おじいちゃんの姿を追い求め、今日も背筋を伸ばして店に立つ/駒込・霜降銀座商店街「パリーシューズ」中村翔志さん #商店街の住人たち - SUUMOタウン

                                                インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。 街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。 商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。 ◆◆◆ 東京都北区にある「霜降銀座商店街」。昭和31年、霜降銀座栄会(さかえかい)が発足したことから歴史が始まった。前年にGNP(実質国民総生産)が戦前の水準を超え、「もはや戦後ではない」の流行語が生まれたのもこの年だ。冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが“三種の神器”と呼ばれ、力道山を目当てに街頭テレビに人が集まる、そ

                                                  おじいちゃんの姿を追い求め、今日も背筋を伸ばして店に立つ/駒込・霜降銀座商店街「パリーシューズ」中村翔志さん #商店街の住人たち - SUUMOタウン
                                                • 開店1カ月目で黒字達成 「24時間無人」の古着店 店員不在でも支持されるワケ

                                                  東京都中野区にちょっと変わった古着店がある。24時間営業で店員がいない店、その名も「ムジンノフクヤ」。商品選びから試着、精算まで人と接触せずに完結できることから、密を避けて買い物ができる店として話題になっている。2020年8月にオープンし、開店1カ月目から黒字を達成。現在も月に約300人が購入しているという。 店内には国内ブランドの古着を中心に、500~5000円の商品約300着をそろえている。コロナ禍で実証実験が進む「無人コンビニ」などとは異なり、店の仕組みは至ってシンプルだ。商品に値札はついておらず、白は500円、グレーは1000円などと、ハンガーの色で価格を示している。清算は「500」「1000」などと金額が書かれた券売機でチケットを購入する形式を採用している。 ムジンノフクヤを運営するのは、マッサージ店などを経営するdharman(ダルマン、東京都文京区)。全く畑違いの業界だが、代

                                                    開店1カ月目で黒字達成 「24時間無人」の古着店 店員不在でも支持されるワケ
                                                  • 下北沢らしい個性派エビチャーハン!on目玉焼き!芸能人! 新雪園(下北沢/エビチャーハン) - 海老チャーハンだけ!東京のチャーハン炒飯ブログ

                                                    新雪園(下北沢/エビチャーハン) 『新雪園』の店舗情報 ◎営業時間(要確認を!) 11:00~28:00 ◎定休日(要確認を!) 水曜日 ◎電話番号 03-3465-0040 ◎住所 世田谷区北沢2-9-24 ◎アクセス 小田急線下北沢駅東口を左へ。 突き当たりスーパーオオゼキを右へ進み次の十字路を左へ30秒。 ◎地図 新雪園(下北沢/エビチャーハン) 『新雪園』の店舗情報 『新雪園』に行きましょう 『新雪園』の店内 『新雪園』のエビチャーハン 『新雪園』の海老 『新雪園』のお会計 『新雪園』K七のまとめ 美味しい海老チャーハン食べ歩き!第280食! K七(ケーナナ)です。 今日は下北沢の海老チャーハンです。 下北沢駅は、 小田急小田原線と京王井の頭線が乗り入れています。 渋谷駅、新宿駅に繋がる主要駅です。 下北沢は、 「若者の街」「古着屋の街」「ファッションの街」「サブカルチャーの街」

                                                      下北沢らしい個性派エビチャーハン!on目玉焼き!芸能人! 新雪園(下北沢/エビチャーハン) - 海老チャーハンだけ!東京のチャーハン炒飯ブログ
                                                    • 下北沢が「世界で最もクールな街」の2位に選出、1位はリスボンのアロイオス

                                                      タイムアウトが行った全世界対象の大規模な都市調査『Time Out Index 2019』をもとに、タイムアウトのグローバルチームが『The 50 coolest neighbourhoods in the world』と題したランキング記事を発表した。 同調査は、世界の2万7千人以上の都市生活者に、各都市のフードシーンの充実度、文化的多様さ、フレンドリー度、財布事情、幸福度、住みやすさなどを尋ねたもの。その結果をもとに、さらに専門家たち(タイムアウトエディターと各地の事情に詳しいエキスパート)に意見を求め、各都市のなかで最も話題性の高い街を特定させたのが、このランキングだ。 下北沢が評価された理由としては、「下北沢はニューヨークにとってのブルックリンのようなものだが、唯一の異なるのはもっとイカしていること。渋谷や新宿など都心の近隣地区と比べて商業開発が進んでいない下北沢は、流行に敏感な雰

                                                        下北沢が「世界で最もクールな街」の2位に選出、1位はリスボンのアロイオス
                                                      • 食べて、寝て、風呂に入って。僕の生活のすべてがあった生野区寺田町|文・田津原理音 - SUUMOタウン

                                                        著: 田津原理音 田津原理音です。本名です。僕は今、大阪府大阪市の生野区にある寺田町という町に住んでいます。19歳のときに地元奈良県から引越してきて、10年間ずっと寺田町です。 嘘です。11年間でした。サバ読んでしまいました。ちなみに8年前には寺田町から寺田町に引越してます。どこからどう見ても寺田町ラバーです。そんなラバーな僕がどのようにラバーになったのかを今回は書けたラナーって思います。芸人が住み、なぜか出ていく町? まず最初は寺田町に住むことになった経緯から。 僕はお笑いの養成所を卒業する頃、そろそろ地元から出て大阪に住まないとな、と思い、当時仲の良かった同期の芸人とルームシェアすることを決意しました。 養成所にそのことを伝えると、若手芸人御用達の不動産屋を紹介してくれました。そしてそこの不動産屋のお姉さんから芸人がよく住んでいる町は寺田町だと言われました。僕は大人が言うことは全て真実

                                                          食べて、寝て、風呂に入って。僕の生活のすべてがあった生野区寺田町|文・田津原理音 - SUUMOタウン
                                                        • 有象無象の坩堝「高円寺」|文・前田裕太(ティモンディ) - SUUMOタウン

                                                          著: 前田裕太 駆け出しの芸人として流れ着いた街 私が芸人を始めてから4年間過ごした場所が『高円寺』である。 新宿まで電車に乗れば数駅で着くし、自転車を使えば下北沢もすぐなので、その立地から、この街は、芸人や、バンドマンや、俳優などの夢追い人が闊歩している。私も、そのうちの一人だった。 噂には、この高円寺の下水は、夢破れた若人達の涙を使っていて、流しても流しても無限に水源があると言われている。 私が昔、番組オーディションを受けた時に、スタッフからボロクソに言われて流した悔し涙も、下水として再利用してくれているなら、あの涙も無駄ではなかったと思える。あくまでも噂なのだけれど。 この街に集まるのは、夢追い人だけではない。高円寺にかかる高架下には飲み屋がスクラムを組んで構えており、対峙するように、酔っ払い達がスクラムを組んで、勝者のいない押し合いの試合を夜な夜な繰り広げている。酔っ払い達が、高架

                                                            有象無象の坩堝「高円寺」|文・前田裕太(ティモンディ) - SUUMOタウン
                                                          • あえて10年前っぽい感じで過ごしてみる1日

                                                            現在は40代前半の酒の穴のふたりだが、10年前、20年前と、今よりも若かりしころは確実にあった。そして、やはり今とはずいぶん、興味や行動が違っていたように思う。 そこでたまには、あえて「10年前っぽい感じ」で過ごしてみる1日というのはどうだろう。もちろん、正確に10年前でなくてもよくて、若いころはこっちよりこっちを選んでたよな〜という感じで、ふたりにとってなじみの深い池袋の街で遊んでみるのだ。 日常的な生活の中にぽっかりと現れる「今ここで乾杯できたらどんなに幸せだろう」と思うような場を探求するユニット。なんでもない空き地とか、川沿いの原っぱとか、公園の売店だとか、そういったところに極上の酒の場があるのではないかと活動中。 前の記事:ひとつの弁当から好きなおかずを取りあう「弁当将棋」 思い出の街、池袋で ナオ: 「もう10年くらいやってないなー」っていうこと、ありませんか? パリ: いろいろ

                                                              あえて10年前っぽい感じで過ごしてみる1日
                                                            • 嫌いだったはずの静岡県沼津市で、自分のダサさに向き合った日のこと(文・上坂あゆ美) - SUUMOタウン

                                                              著: 上坂あゆ美 静岡県沼津市で生まれ、18歳まで過ごした。 このエッセイは、地元が大嫌いだったわたしが、自分のダサさや呪いと向き合って沼津を認められるようになるまでの記録である。 地元・沼津が大嫌いだった中高生時代 沼津市は、伊豆半島の付け根に位置する港町で、人口20万人弱を有する、静岡県東部地域の中心都市だ。近年ではテレビアニメ『ラブライブ!サンシャイン!! 』の舞台としても注目を浴びているので、それで知った方も多いかと思う。一年を通じて温暖な気候で自然に恵まれている上、東京へは新幹線を使えば約1時間という便利な立地条件であるため、昔から著名人の別荘地としても人気の街である。 しかし、わたしが沼津に暮らしていた当時は沼津が恵まれた良い街であるなんて全く思えていなかった。中高生のころの生活範囲はほぼ沼津駅周辺だったため、そこから港に出るまでは車で20分ほどかかる。車をもたず、自然環境より

                                                                嫌いだったはずの静岡県沼津市で、自分のダサさに向き合った日のこと(文・上坂あゆ美) - SUUMOタウン
                                                              • ビンテージショップで常連になるのは『選ばれた人』だけだと思ってた|SUISUI

                                                                6年前、28歳の秋。 友達と知人の合間くらいの同世代女5.6人くらいで集まったとき。 そのうち1人が異様に洒落た服装で現れた。他の誰かが「そのコートかわいいね!」と声をかけたら「ビンテージの服にハマってる」とのことだった。 「もう安い服とかじゃなく大事な数着を長く着続けることにした」とか語るその子を死んだ目でみながら私は「いいなあ」とか「私もそうしたいなあ」とかじゃなく「そういう人生の人は良いよね」と思った事を鮮明に覚えてる。つまりその瞬間「私の人生には関係ないことだ」とハッキリ思った。 インスタグラムでモデルが、イケてる店のオーナーなどとのツーショットを載せ「初対面なのに意気投合」などと書いているのをみるたび「そんなん無理」と思ってた。私はすぐ挙動不審になるし話術もないし小顔でもない。いわゆる“イケてる人たち”のオーラが皆無。 しかもその頃の私は毎日毎日どうでもいい服ばかり着てた。 子供

                                                                  ビンテージショップで常連になるのは『選ばれた人』だけだと思ってた|SUISUI
                                                                • 知らない町でいつもどおり(デジタルリマスター)

                                                                  1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。 編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。(動画インタビュー) 前の記事:英語教材を売る人のまねをするつもりだった > 個人サイト webやぎの目 上野まで 上野までの京浜東北線、となりの女性が語呂合わせの暗記本を読んでいた。ちらちら覗くと内容がへんだ。 「言語領域の優先順位は」 「麻酔の作用は」 看護か薬学だろうか。しかし憶えかたは大化の改新ムシゴロシみたいなものだった。僕が入院して看護婦さんが点滴準備するときに「えーと、ムシゴロシ…」 とか言っていたらすこし怖い。いや、それがきっかけで仲良くなれるだろうか。 語呂合わせで麻酔の作用を憶えていた人 猫みたいにうどんを食べる人 上野でいきなりおなかすいたのでうどん屋に入る。となりの男性が「もふっ、

                                                                    知らない町でいつもどおり(デジタルリマスター)
                                                                  • 東京五輪「もう始まっているの?」日程知らないという投稿も | NHKニュース

                                                                    競技が始まった東京オリンピック。 SNSでは「東京でオリンピックなんてもう見られないと思うから茶の間で楽しく観戦する」とか「日本でやるオリンピックのよいところは時差がないこと」など、オリンピックに関する投稿が多くあがるようになりました。 一方で「え!オリンピックってもう始まってるの?」など、日程を知らないという投稿も目立ちます。 実際はどうなのか、街に出て若い人たちに聞いてみました。 「オリンピックがいつから始まるか知っていますか?」 多くの若者が訪れる東京・下北沢で聞いてみました。 15歳から21歳までの11人が答えてくれて、ソフトボールなどの競技が始まったことについては、8人が「知っている」と答えました。 一方、開会式の日程については「はっきりわからない」という人が大半で、23日と正確に知っていたのは3人だけでした。 また競技が始まったことと、開会式の日程の両方を知っていた人は2人だけ

                                                                      東京五輪「もう始まっているの?」日程知らないという投稿も | NHKニュース
                                                                    • アキバはかつて”原宿”だった⁉︎ 創業250年の老舗が語る、オタクの街・秋葉原の歴史 - イーアイデム「ジモコロ」

                                                                      パソコン店やアニメショップ、メイドカフェなどでにぎわうオタクの街・秋葉原。かつて巨大な青果市場があったことはご存じでしょうか。さらに貨物駅があり、芸者さんなどもいて、今とは違うにぎわいが。新旧が共存する街の歴史について、創業250年の和菓子店・松屋の7代目に聞きました。 秋葉原といえば何をイメージするだろうか? 例えば「オタク」「家電」「パソコン」「AKB48」など……近年では外国人観光客が大挙して集まる街としても知られている。 しかし秋葉原は、今の“表の顔”しか知らない人には思いもよらない過去を数多く抱える街だった。 例えば、秋葉原には1989年まで巨大な青果市場があった。今もUDXビルの前には碑が残り、かつての姿を見ることができる。 かつて秋葉原にあった神田青果市場。相当な広さだったことがわかる そして水運の要所でもあり、現在のヨドバシカメラのあたりは船だまりだった。 1947年時点で

                                                                        アキバはかつて”原宿”だった⁉︎ 創業250年の老舗が語る、オタクの街・秋葉原の歴史 - イーアイデム「ジモコロ」
                                                                      • 巨大都市殺し|高島 鈴|かしわもち 柏書房のwebマガジン

                                                                        1 今もはっきり思い出せるんだけど、実家近くの横浜線の線路沿い、フェンスと線路のちょうど間のあたりに、キャベツが植わっていた。たぶんキャベツ。少なくとも球形の葉物だった。鳥避けの風車も立っていて、農作業用の帽子を被った見知らぬ人物が、腰を曲げて野菜の世話をしている様子を何度も見た。だから幼少期の私は素直に、ああこの土地はこの人の畑なんだな、と納得していた。 それから何年もして、私がティーンエイジャーになるかならないかくらいの時期だったと思う。突然その畑がなくなった。耕され、野菜が植えられていたあの場所は、突然全てひっぺがされて、何か立て看板――どんな文面だったかは忘れたが、とにかくここはJRの土地で、耕作してよい領域ではないという趣旨のもの――が立ち、あの農作業用帽子の人物もいなくなってしまった。その光景を見て初めて、私はあの畑が誰の許可も得ずに勝手に耕されていた地面であったと知ったのだっ

                                                                          巨大都市殺し|高島 鈴|かしわもち 柏書房のwebマガジン
                                                                        • オオスミくんは終生MODSだった

                                                                          SHAKKAZOMBIEのBIG-Oことオオスミタケシが急逝してから本日で1年が経った。1993年にHIDE-BOWIE、TSUTCHIEとともにヒップホップグループSHAKKAZOMBIEを結成し、1996年にメジャーデビューを果たしたオオスミ。そんな彼のアーティスト活動を間近でサポートしていたのが、SHAKKAZOMBIEの元ディレクターである本根誠氏だ。エイベックス内のレーベルCutting Edgeのディレクターとして、ECD、YOU THE ROCK★、K DUB SHINE、BUDDHA BRAND、キミドリ、SHAKKAZOMBIEといったそうそうたるヒップホップアーティストの作品を世に送り出してきた氏は、90年代の日本語ラップシーンを盛り上げた重要なキーパーソンとしても知られている。本稿では、そんな本根氏にSHAKKAZOMBIE担当時代を中心にオオスミとのエピソードをつづ

                                                                            オオスミくんは終生MODSだった
                                                                          • ダイソーのコカ・コーラグッズが充実しすぎている

                                                                            1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。 前の記事:ためいきが出るほどかわいいピクルス コカ・コーラのデザインが好き 僕、基本的に酒飲みで、しかも缶チューハイを買うにしても、なるべく甘くないやつを選ぶタイプだったりするもんで、甘いジュースってほとんど飲まないんです。当然「コカ・コーラ」しかり。 だけどコカ・コーラの、いかにもアメリカっぽい陽気なデザインは、なんだかものすごく好きなんですよ。 たとえばこれ、僕が今持ってるなかでいちばん気に入ってるスニーカーなんですけど。 プーマとコカ・コーラのコラボモデル 色もデザインも好みすぎ かかと部分に瓶のシルエット! やばいっしょ? このかわいかっこよさ。大切大切に、今日は元気を出したいなぁとか、なにかイベントごとがあるとかの日に履くようにしていま

                                                                              ダイソーのコカ・コーラグッズが充実しすぎている
                                                                            • どんな場所にも行ける。そう思えた徳島での暮らし。|文・髙木晴香 - SUUMOタウン

                                                                              著: 髙木晴香 「今日はありがとう!徳島、めっちゃ良いところやん!また来たい!」 Uターンして1年。最近、仕事で出会った人や県外に住む友人に徳島を案内することが増えた。喜んでくれた様子で帰る後ろ姿を、見送りながらニンマリする私。 「徳島って、あんまり知られてないけどめっちゃ最高なんだよなー。もっとみんな来たら良いのに!もったいないー!」と思いながら帰路につく。 24歳の私がこんなことを考えていると知ったら、18歳の私は膝から崩れ落ちているだろう。あの頃の私は、刺激や情報、チャンスに恵まれた都会から取り残されているような気持ちにさせられる地元に対して、「早くここから出たい」としか思っていなかったから。 そんな自分がいたことが信じられないくらい、今は徳島での生活を気に入っている。帰ってきてから、地元をどんどん好きになっている。どうして徳島をこんなに好きになれたのか、私はどこを気に入っているのか

                                                                                どんな場所にも行ける。そう思えた徳島での暮らし。|文・髙木晴香 - SUUMOタウン
                                                                              • ルフトヴァッフェの誇り!【ドイツの軍服】空軍レザーフライトジャケット2種(1988年・2000年モデル)とは? 0881 🇩🇪 ミリタリー DUITSLAND LUFT WAFFE LEATHER FLIGHT JACKETS 1988&2000 - いつだってミリタリアン!

                                                                                今回は、近年のドイツ空軍レザーフライトジャケット2種類を分析します。 多くのファッションブランドでサンプリングされている有名なジャケットですね。 でも2種類のモデルには大小いくつかの違いがありました! どちらも中古品で使用感がありますが、程度は良好ですよ! 目次 1  ドイツ空軍レザーフライトジャケット2種(1988年・2000年モデル)とは? 2  全体及び細部写真です! 3  その特徴とは? 4  製造とサイズのデータです! 5  まとめ スポンサーリンク スポンサーリンク 1  ドイツ空軍レザーフライトジャケット2種(1988年・2000年モデル)とは? 軍隊に納入される物品(官給品)は、正規に契約したメーカーや商社から納入されます。 ところがメーカーの製造ミスや、官給品の仕様変更などで、せっかく納入した物品が使用できなくなる場合もあります。 高価な航空機部品の場合は、即メーカーや商

                                                                                  ルフトヴァッフェの誇り!【ドイツの軍服】空軍レザーフライトジャケット2種(1988年・2000年モデル)とは? 0881 🇩🇪 ミリタリー DUITSLAND LUFT WAFFE LEATHER FLIGHT JACKETS 1988&2000 - いつだってミリタリアン!
                                                                                • つい誰かに教えたくなる!ファッショントリビアを5つご紹介 - YMのメンズファッションリサーチ

                                                                                  忙しい年の瀬に、ファッション豆知識をあなたへ ①H&Mの前身は釣具屋だった ②ナイキの始まりはオニツカタイガー製品販売だった ③エディー・バウアーは来年(2022年)から日本で買えなくなる ④「背広」の語源は英国のサヴィル・ロウ ⑤プーマとアディダスは元は同じ会社で、兄弟喧嘩の末二つに分かれ、今も両社の本社は小さな村の川を隔てて向かい合って建っている 知っていても知らなくてもそんなに影響は無いけれど・・・ 忙しい年の瀬に、ファッション豆知識をあなたへ 普段私たちが何気なく身に着けているものには深い歴史があり、中には知れば面白いものもたくさんあったりします。 洋服に関する歴史は古いので、そういった類のものは数え切れないほど存在していますが、今回は出来るだけ私たちの身近にあるものを集めてみました。 明日から職場での雑談の中で、家族やお友達との談笑の中で、ちょっぴりドヤれるかもしれないファッショ

                                                                                    つい誰かに教えたくなる!ファッショントリビアを5つご紹介 - YMのメンズファッションリサーチ