アニ @gorotaku やや飛躍した話になるけど、われわれ世代の文化の中には、「文豪」と呼ばれる人々のダメっぷりを楽しむ、みたいなやつあると思うんだけど、授業でちょっと触れようとすると全くその感覚が通じないことがある。「太宰治がそんな人だったなんてがっかりしました」みたいな感想が出てくる 2021-06-06 15:54:23
たられば @tarareba722 編集者/だいたいニコニコしています/Fav→/大屋雄裕/鴻上尚史/東浩紀/士郎正宗/西原理恵子/伊坂幸太郎/みなもと太郎/中村珍/リアル脱出ゲーム/まどマギ/嵐/おかざき真里/ゆうきまさみ/羽海野チカ/末次由紀/小山宙哉/内藤泰弘/篠原健太/清少納言/羽生結弦/FGO/葦原大介/杉田圭/山本淳子/御用はリプ→DMで たられば @tarareba722 「ウクライナ全土がミサイル攻撃を受けていると言っている人がいるが、呑気にマクドナルドを食べている画像があるぞ」というツイートを見て、太宰治が(太宰作品の中でもひときわ明るく読みやすく皮肉の効いた)『お伽草子』を書いたのが、ひどい空襲を受けていた真っ最中だった話を思い出している。 2023-05-30 10:19:20 たられば @tarareba722 『お伽草子』の執筆は1945年3月〜7月で、太宰は東京
作家の太宰治が好んで訪れた場所として知られる東京 三鷹市の線路の上に架かるこ線橋が建設から90年余りを経て撤去されることになりました。地元では、写真や映像などで、この陸橋の記憶を後世に伝えようという取り組みも広がっています。 撤去されることになったのはJR三鷹駅からおよそ300メートル西側に位置する、全長およそ90メートルのこ線橋です。 昭和4年に当時の鉄道省が建設し、JR中央線や車両基地の上に架かっていて、三鷹市の南北をつなぐ生活道路として長年、地元の人たちが利用してきました。 また三鷹市で晩年を過ごした作家の太宰治が好んで訪れた場所としても知られ、昭和20年代に撮影された写真には、橋の上でたたずむ姿や、さっそうと階段を下りる姿が収められています。 しかし去年6月、こ線橋を所有するJR東日本は、老朽化が進んでいることや、南北をつなぐ地下道が近くにあることなどから撤去する方針を示し、市と協
3月上旬、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の書評コーナーで取り上げられたのは、75年も前に亡くなった日本の作家、太宰治だった。日本では絶大な人気を誇りながらも、海外では長らく三島由紀夫の陰に隠れてきた彼の作品が、なぜいま、米国で日の目を見ているのか? 若者たちの間でシェアされる「奇妙な動画」 最初に聞こえてくるのは不気味な機械音だ。それから、意味ありげで不吉な声がこう言う。「教えて太宰、どうしてあなたは死にたいの?」 「逆に聞くけど」と別の声が真面目に言う。「生きる……と僕たちが呼んでいる行為に、本当に価値なんてあるんだろうか」。そしてビートが鳴りはじめ、歪んだ叫び声が聞こえてくる──。 TikTokには、この催眠術のようなセリフと音楽(曲はラッパーのMag.Loによるもの)を用いた動画が7500件近く投稿されている。同じセリフを別の音源と組み合わせたものも含めれば、その数はもっと多い。 叫
あさみん「商店街さんぽ」増刷決定! @papicocafe 本が好きすぎて大学8年通い大学時代生活費をすべて本に捧げたため栄養失調で倒れたり太宰治が好きすぎて自殺を図ったりした高校の先生が授業のたび有名な文学者や最近のおすすめを両面印刷で丁寧に解説したプリント。このびっしり書かれたフォントのような手書きから狂気を感じる最高の先生だったな〜 pic.twitter.com/QWiLaTKFPu 2021-01-20 08:14:30 あさみん「商店街さんぽ」増刷決定! @papicocafe 例えば夏目漱石や森鴎外、三島由紀夫に谷崎潤一郎など、教科書に出てくる有名人と有名作品のあらすじやおもしろポイント、作者の人柄などわかりやすく教えてくれて、本をまったく読まない私でさえもおもしろそうだな〜と、読んでみたい、むしろもう読んだような気にさえさせてくれました🤗 pic.twitter.com/
じょっぱり。 いふりこぎ。 からきんじ。 その土地ごとに、方言と気質があって面白い。 気むずかしそうなのだが、優しかったり、 内気そうなのに、実は派手好きだったり、 なかなかに、ややこしい津軽人。 自分もそうだから分かる。 実に、しちめんどくさい。 津軽 (新潮文庫) 作者:治, 太宰 新潮社 Amazon らくがきTシャツ 津軽カタリストの一員となって、太宰治には、まだまだ知らないたくさんの作品があることを知った。 今年は、小説「津軽」発刊80周年ということで、あたらしい視点から文豪 太宰治を知って欲しいと活動している団体がある。 ABOUT | 社中 めちゃくちゃ応援したくなった。 少年時代の太宰治がノートに描いたらくがき。 それを、プリントしたTシャツ。 なかなかオシャレだと思う。 おしゃれ童子にはたまらない。 これは、刺さる人にはめっちゃ刺さるような気がする。 残すところ、あと一日
集英社「よみタイ」 @shu_yomitai 【いま読まれている「特集記事」はこちら!】 進士素丸(@shinjisumaru)さんの人気連載「ブンゴウ泣きたい夜しかない。文豪たちのなんだかおかしい人生劇場」。 人気を集めた文豪エピソードTOP3の発表です。 中原中也、太宰治を抑えて、1位に輝いた文豪とは!? yomitai.jp/special/0803-s… 2021-08-05 21:37:27 集英社「よみタイ」 @shu_yomitai 集英社ノンフィクション編集部発のウェブメディアです。 野原広子『妻が口をきいてくれません』(手塚治虫文化賞短編賞受賞作)、酒井順子『消費される階級』、稲田俊輔『異国の味』、村井理子『実母と義母』など連載からの単行本も多数。 yomitai.jp
作家の太宰治が好んで訪れた東京 三鷹市のJR中央線のこ線橋が10日で閉鎖されました。橋を埋め尽くすほど多くの地元の人たちなどが訪れ、別れを惜しんでいました。 JR三鷹駅の300メートルほど西側にあるこのこ線橋は、94年前の昭和4年に建設され、地元の人たちや鉄道ファンなどから愛されたほか、三鷹市で晩年を過ごした作家の太宰治がたびたび訪れ、橋の上からの景色が小説に登場するなど、ゆかりの場所としても知られています。 老朽化が進み、JR東日本が撤去作業を始めることから10日が一般の人が通れる最終日となり、別れを惜しむ大勢の市民や鉄道ファンが訪れ入場規制も行われました。 夕方には橋の上を埋め尽くすほどになり、夕日が沈む風景を写真に納めたり電車に手を振ったりするなどして最後の瞬間を過ごしていました。 三鷹市に住む50代の父親は「生まれてからずっとお世話になっている橋で、友達の家に行くために渡ったことな
禅林寺にある太宰治の墓。この墓前で田中英光は自殺した=東京都三鷹市の禅林寺で2009年6月17日、長谷川直亮撮影 太宰治の弟子として知られる作家の田中英光(1913~49年)が、戦後間もない時期に友人に宛てた未公開のハガキや書簡が見つかった。「太宰さんと俺の間は先生と弟子ではない。あのひとの天才主義にもう我慢できない」と意外な胸中を明かす一方、太宰の死後には「太宰さん死去。いまは云(い)いたくなし」などと記し、その本音の一端がうかがえる。8月1日から東京都三鷹市の三鷹市美術ギャラリー太宰治展示室で初公開される。 太宰は48年6月、三鷹市内の玉川上水で入水自殺。代表作「オリンポスの果実」で知られる田中も翌49年11月、市内の禅林寺にある太宰の墓前で、36歳で自殺した。
はじめに 今回は太宰治の「正義と微笑」について私🍏なりに、あらすじ、感想、そして解説をしていきたいと思います。 皆さんは、初対面の人と会う時、その人のどこに注目しますか。容姿、服装、清潔感。見た目の印象は凄く重要な情報だと思います。また、会話の内容はどうでしょうか。最近、笑ったこと、感動したこと、逆に怒った事。この人は何で笑い、何で泣き、何をしたら怒るのかを知ることはその人を知る重要な情報だと思います。 多くの作家がいるなかで、自分の「推し」の作家と出会うことも同様だと思います。その作家の価値観を知るにはその作家が、何で笑い、何で泣き、何をしたら怒るのか、それが自分と近いと、その作家が表現したい事を美しいと感じ、また興味深いと思うのではないでしょうか。 今回は私🍏にとって笑いの価値観が近い太宰治の「正義と微笑」について書きたいと思います。 太宰治といえば「人間失格」のイメージが強く暗い
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【160】バットを振りました。 青空文庫より、出だしだけ。 『猿ヶ島』太宰治, 干支の動物にちなんだ 文豪の文章を読みながら バットを振ってます。 今日は申年の「猿」。 太宰治さんの『猿ヶ島』の出だしだけ。 青空文庫より。 はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。夜なのか昼なのか、島は深い霧に包まれて眠っていた。私は眼をしばたたいて、島の全貌を見すかそうと努めたのである。裸の大きい岩が急な勾配こうばいを作っていくつもいくつも積みかさなり、ところどころに洞窟どうくつのくろい口のあいているのがおぼろに見えた。これは山であろうか。一本の青草もない。 12行にして、1行5回ずつ繰り返し【言って振り】、60振りでした。 海を越えこの島に着いたときの、 私の憂愁を思い給え。 夜なのか昼なのか、 島は霧に包まれて眠っていた。 私は島の全貌を 見
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【100】バットを振りました。 文豪の文章を読んで、 バットを振りました。 『あらすじで読む日本の名著2』 より引用。 出だしだけ。 太宰治『人間失格』 恥の多い生涯を送ってきました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分には禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも隣人が背負ったら、その一個だけでも十分に隣人の生命取りになるのであるまいかと、思ったことさえありました。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安。 文章を変えて8行にしました。 5回繰り返し【言って振り】ました。 40スイングです。 楽しい生涯を送ってきました。 人間の生活というものは、 見当つかない分、面白いです。 人間には楽しい塊りが沢山あり、 その中の少しでも隣人にあげると、 十分に隣人の生命が輝きます。 自分と全
「文豪の名言」というフレーズに、どのような印象を抱くでしょうか? そこに、なにを期待するでしょうか? 多くの場合、頭に浮かぶのは、独特の表現による人生論だったり、自然と前向きに慣れるようなことばではないかと思います。 でも、きょうご紹介する『文豪たちの憂鬱語録』(豊岡昭彦、高見澤秀 編集、秀和システム)に、そのようなものを期待するべきではありません。 なぜならここに選ばれているのは、いわゆる“名言”とは対照的な位置にあるといってもいい文豪たちの“本音”だから。 具体的にいえば、「憂鬱」「絶望」「悲哀」「慟哭(どうこく)」などに満ちたことばがすくい取られているのです。 どんなにがんばっても、人生には失敗や挫折、災難はつきものだ。そんなときに「もっとがんばれ」とか「あきらめなければ道は開ける」とか言われても、本人たちにとってはつらいだけということも多いだろう。がんばったからといって、解決できな
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【170】バットを振りました。 時々、文豪の文章を読み、バットを振ってますが、有名著作物の冒頭部分だけで、バットを振ろうと思いました。 青空文庫より。 『走れメロス』 太宰治, メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。 6行にして、バットを振りました。 メロスは激怒した。 邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を 除かなければならぬと決意した。 メロスは政治がわからぬ村の牧人。 笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。 けれども邪悪に対しては、 1行につき、5回ずつ【言って振り】ました。30素振りです。 ということで、主人公はいきなり王様に対する激怒で始まりました。 一体なにがあったのでしょ
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【160】バットを振りました。 文豪の文章を読みながら、バットを振りました。 青空文庫より、出だしだけ。 『津軽』太宰治 或るとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた。私は津軽に生れ、さうして二十年間、津軽に於いて育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところが無かつたのである。 次の12行にして、1行5回ずつ繰り返し【言って振り】ました。 なので60の素振りでした。 ある年の春、私は生れてはじめて、 本州北端、津軽半島を 凡そ三週間ほどかかつて 一周したのであるが、 私の三十幾年の生涯で、 かなり重要な事件の一つであつた。 私は津軽に生れ、二十年間、 津軽に於いて育
「人間失格」「斜陽」「走れメロス」「津軽」など、 戦前から前後にかけて、多くの名作を残した、 日本で最も有名な小説家の1人である太宰治。 典型的な自己破滅型の私小説作家として知られており、 その人生は波乱万丈と言えるものでしたが、 彼が遺した作品は、今も多くの日本人の心の拠り所になっています。 そして、実在した文豪がキャラクター化された、 同名漫画が原作のアニメ「文豪ストレイドッグス」の影響で、 その人気は日本を飛び越えて世界でも。 先週投稿された太宰治本人の写真を含むショート動画は、 わずか6日で再生数が120万回、コメント数も2400個を超えるなど、 非常に大きな反響を呼んでいます。 太宰治の作品や彼の人生について、 外国人が語り合っていましたので、その一部をご紹介します。 「もうやだこの星w」 世界における織田信長のイメージがカオスだと話題に 翻訳元■■ @ginsmask “onl
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【130】バットを振りました。 文豪、太宰治の『富嶽百景』 を読みながらバットを振りました。 『あらすじで読む日本の名著3』 より引用。出だしだけ。 広重、文晁、北斎に代表される 絵の富士の頂は、ほとんどが 鋭角に描かれており、 細く、高く華奢な印象を受ける。 けれども、実際の富士山の頂角は、 東西に124度、 南北に117度と鈍角で 裾の広がり具合からすると かなり低い。あれだけの裾を もっている山ならば、 少なくとも、もう1.5倍は 高くなければいけない。 絵画は細いけど、実際はずんぐり見えるのでしょう。 わたくしもそう見えますが、 こういう文章は、 書けそうで書けないです。 ウィキペディアより引用。 ピンクの12行を【言って振り】 5回繰り返し、60スイングでした。 本日の素振り文武両道の概要。 2025/04/02 素振りの本数 : 130 本
太宰治を顕彰する文学碑のための揮毫(きごう)を取りに行くことを念押ししている井伏鱒二から佐藤春夫宛ての書簡=東京都渋谷区の実践女子大で、内藤絵美撮影 <もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました> 自身の半生を基にしたとされる小説「人間失格」の中で、自己否定と人間不信を強めていくさまを書いた太宰治。今回見つかった書簡には、師の井伏鱒二がこの作品の原点となった太宰の入院の様子を書き記していた。 新発見の書簡(1936年10月24日付)では、<まだ妄想的なことを口走っている>と太宰に禁断症状が残る状況をつづり、<だまして入院さしたと憤慨している>と続けている。被害者意識が強く、半ば強制的に入院させられたと思い込む様子が記されている。さらに<まともに面とむかってそんなことをきくと喧嘩(けんか)したくなりますから、当分のうち面会に行かないつもり>と、井伏が入院の様子を絶えず気に掛けていたにもかか
更新日:2018/6/27 みなさんは太宰治の『走れメロス』を読んだことがありますか? 教科書に載っているので、一度は読んだことがあるかもしれませんね。 実は『走れメロス』には、書かれるきっかけになったのではないかと考えられている、太宰治のとんでもエピソードがあるんです。 今回は、そのエピソードをマンガでご紹介します! 『走れメロス』のきっかけ?「熱海事件」とは 1936年(昭和11年)11月、太宰は熱海にこもって執筆をしていた。 ある日、太宰の友人・檀一雄は、太宰の内縁の妻・初代に「太宰がお金がないと言ってきたから、お金を届けてほしいの。そして早く連れて帰ってきて」と依頼された。檀はその金を持って太宰を訪ねるが、檀が到着するなり太宰は壇を飲みに誘い…… この、太宰が金を借りに行ったきり戻ってこず、井伏鱒二と東京で将棋を指していた事件を、通称「熱海事件」といいます。 怒った檀に「待つ身が辛
一か月以上ぶりに山に行きたくて、登る山も、宿もすべて夫に一任しました。 午後半休を取って、秋の北八ヶ岳に登るべく、蓼科親湯(しんゆ)温泉に宿泊した記録です。 蓼科親湯温泉 レセプション ライブラリーラウンジ お部屋 周辺散策 露天風呂 宴どころ みすゞかり 夕食 蓼科 山キュイジーヌ 朝食 蓼科 山ごはん 採点 4.2点 蓼科親湯温泉 到着するまで、山&宿情報を調べる余裕がなかった私。 こちらは、太宰治の新婚旅行の地であり、明治、大正、昭和初期にかけて、蓼科は文化人らが多く集い、別荘を保有した一大文学保養地だったそう。 文人たちの集いからは、多くの作品や文化が生まれ、それらは蓼科文学として当時の世に知られたそうです。 レセプション 到着してみたら、期待以上で思わず嬉しい驚きでした。 クラッシックな家具と、ゆったりとしたスペース。 シャンソンやフランスのカフェでかかっているような曲が流れてい
はじめに 今回は太宰治の書いた「パンドラの匣」について私🍏なりに、あらすじ、感想、そして解説をしていきたいと思います。 この作品は青年が親友にあてた手紙形式で描かれており、手紙のなかで青年は自分が結核患者としての療養生活を親友に綴っています。 時代は第二次世界大戦、終戦後。そして舞台は結核患者を集めた病院ではありますが決して暗い作品ではなく、むしろ新しい時代に向かって生きていこうとする若い日本人達が描かれています。 私🍏はいつもこの本を読み返すたびに「非常に爽やかで気持ちいい本だな」という印象を受けますのでまだ読んだことが無い人は是非手にとって見てください あらすじ 結核を患ったひばりは学校に通うのを諦め、結核患者を集めた「健康道場」という病院に入る。ひばりはそこでの生活や一緒に療養生活を行っている患者・看護師について書いた手紙を親友に送る。 敗戦後、貧しい日本という国において何も生み
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、太宰治「右大臣実朝」近習が明かす鎌倉殿の裏側…実朝、義時、公暁の人物像…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたもお気に入りの一冊を見つけてみませんか? ■右大臣実朝 今日とり上げる一冊は、太宰治著「右大臣実朝」。 鎌倉幕府3代将軍にして武士として初めて右大臣に任じられた源実朝を描く歴史小説です。 文豪・太宰治がこんな歴史小説を執筆してたんですね…。太宰は少年の頃から実朝を書くことを念願していたといいます。 実朝の悲劇的な生涯が太宰を惹きつけたのでしょうか、戦時下という当時の時代背景が背中を押したのでしょうか…。 右大臣実朝/太宰治 「右大臣実朝」は、3代将軍源実朝の人生を、その近習が回想して語るという形で展開していきます。 ところどころに「吾妻鏡」などの史書の記述を
ダス・ゲマイネ 作者:太宰 治 Amazon タイトルはドイツ語で「通俗性」や「卑俗性」を意味しているそうです。 あるいは、太宰の出身地である青森の方言「んだすけ、まいね」(それだから駄目なんだ)が掛かっているとも言われています。 あらすじ 物語は「佐野次郎」と呼ばれる大学生の主人公が、初恋を経験したという場面から始まる。 そして、佐野次郎はお金持ちの息子で音楽学校に通う「馬場」と出会う。 馬場はいつもヴァイオリンケースを持ち歩き、有名な作曲家に曲を売りつけたなどと様々な武勇伝を語る。 しばらく経ち、初恋が叶わず落ち込む佐野次郎であったが、馬場に雑誌を作ろうと誘われ元気を取り戻す。 しかし、雑誌の刊行準備をしていくなかで、馬場がいつも持ち歩いているヴァイオリンケースの中は空であり、馬場が単なるホラ吹きだと判明する。 感想 雑誌の準備をしていくなかで馬場の友人である「佐竹」、新人作家の「太宰
・人間失格 人間失格 作者:太宰 治 発売日: 2012/09/28 メディア: Kindle版 あらすじ 主人公葉蔵は他人の気持ち、幸せが理解できず、人と関わることに恐怖を抱いていた。 それでも人に愛されたいという思いのあった葉蔵は、人と関わるときは自分の気持ちを押し殺して「道化」を演じることで、周囲から面白い子供として見られていた。 しかし、成長するにつれて周囲の人間は自分の演技に気づいているのではないかと不安を抱くようになる。 その不安から逃れるために酒に溺れ、しまいには女と心中を図るようになる。 そんな葉蔵でも、人を疑うことを知らない純粋な女性と一度は幸せな結婚をする。 しかし、家に出入りする商人によってその女性が犯されてしまう事件が起こり、女性は人に怯えビクビクするようになる。 人の顔色ばかり伺って生きる自分と違って、純粋無垢な女性が汚されてしまったことにたまらなく絶望し、葉蔵は
キムチ丼大盛り、ご飯抜きで。 どーも、PlugOutです。 今回はスーパーのパン売り場にて、僕的にはとてつもなく目を引く菓子パンを見かけたので購入してみましたよ。 それがこちら! 「人間失格カステラサンド」 www.kudopan.co.jp こちらは青森県を中心に販売している工藤パンさんの商品です。 工藤パンさんといえば、以前このブログでも「イギリストースト」をご紹介したことがありましたね! plugout.hatenablog.com plugout.hatenablog.com ご存知、有名な文豪である太宰治とその著書の「人間失格」をテーマにした菓子パンです。 ja.m.wikipedia.org こんなデカく他人の顔のイラストがパッケージに描かれた菓子パンが、かつて他にあっただろうか?(いや、ない) しかもこの写真的には分かりにくいですが……パッケージ内での割合だけでなく、そもそも
太宰治の代表作「人間失格」のモチーフとなった、精神科病棟での入院生活について、太宰の師匠にあたる井伏鱒二が別の作家にあてて書いた手紙が、初めて見つかりました。「私たちが太宰をだまして入院させたと憤慨している」など、当時の様子がつづられ、専門家は貴重な資料だとしています。 手紙は1936年(昭和11年)、井伏鱒二が作家の佐藤春夫に宛てたもので、佐藤の遺品を調べていた実践女子大学の研究チームが見つけました。 太宰は盲腸で入院した際に鎮痛剤の依存症になり、井伏の説得で精神科病棟に入院しましたが、手紙では「私たちが太宰をだまして入院させたと憤慨している」とか、「太宰の妻も面会できない状況になっている」などと、当時の様子が原稿用紙2枚に生々しくつづられています。 太宰は芥川賞の受賞を3回続けて逃した直後で、この入院体験が人間不信を強め、代表作「人間失格」のモチーフになったとされています。 実践女子大
第40回太宰治賞 受賞作「メメントラブドール」 SIer(システム開発会社)に勤めながら、男の娘カフェ「ラビッツ」でも働く私は、Tinderで出会ったノンケの男性を自宅に誘い、性行為の動画を撮ってTwitterにアップしている。最初は撮られることを警戒していたはずの大学生・カズが、ある日突然「もっとバズる動画にしましょうよ」とあれこれ指示を出し始めて――。 小説は「お勉強」だと思ってた 市街地ギャオさんは関西在住のため、今回はオンライン取材となった。主人公の趣味が「ノンケ喰い」という刺激的な受賞作に金髪のプロフィール写真、個性的なペンネーム。どんな人かと思ったら、画面に映し出されたその人は慎ましく微笑んでいた。 「高校の図書室で金原ひとみさんの小説に出会うまで、小説は数学と同じようなお勉強のひとつだと思っていました。でも、金原さんの『星へ落ちる』を読んだとき、『これ、自分の気持ちやん』と思
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