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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/pmoky (3)

  • 松本理論 - 山に生きる

    なんか書こう。 ダウンタウン松について。 彼が自身のエッセイで発したメッセージは、「自分の笑いはレベルが高い人間にしか分からない」というものだった。その理念を彼は信じていて、客のレベルが低いと判断した番組を降板したり、入場料一万円のライブをやってみたり、料金後払いのライブをやってみたりした。最終的には、自分のやりたい笑いが出来る世の中ではないとして、自分の気の笑いを封印し、当たり障りない感じで番組をこなすだけになった。 その理念が正しいのか間違ってるのか(理念に正しいも間違ってるもないだろうが)は知らない。問題なのはその理念を信じてしまった人々だ。彼らは自分を「松の笑いが分かる選ばれた人間」のように感じ、一般受けする笑いを「レベルの低い笑い」、その笑いで笑っている人間を「程度の低い奴ら」と考える。みんなが面白いと言っていても、松が否定したナインティナインのような笑いは決して認めよう

  • 映画を見るのはめんどくさいし、ちゃんとしたブログを読むのもめんどくさい。 - 山に生きる

    映画を見るのはめんどくさいし、ちゃんとしたブログを読むのもめんどくさい。 将棋のプロは将棋に脳の大部分を使っているので、日常生活や人間関係等にうとくなる。バイリンガルの人はバイリンガルじゃない人に比べて母国語の働きが劣る部分がある。速読をできるようになると文が読解できなくなる。神経細胞の数は有限で、その働きも有限だ。どこかに秀でればどこかが劣ってしまう。 テニスボールをひっくり返す少女というのがいた。彼女はテニスボールに開いた空気を入れるための小さな穴に指を突っ込んで、テニスボールの表裏をひっくり返すことが出来た。表の毛の生えた部分を内側にやって、一瞬のうちに裏側のゴムをむき出しにすることが出来た。 彼女はテニスボールをひっくり返すことは出来たが、それ以外のことが何一つ出来なかったので、知能に問題があるとされた。学校でなされるような教育を根気強く行った結果、日常のことはある程度できるよう

  • 意味のある会話について - 山に生きる

    会話というものがどうも嫌いだ。 そもそも何を目的としているのかが分からない。これは単なる表現であって当にそう思っているわけではないけれど、「行為するには目的が必要である」。それは、行為は目的を充足させるために行う、という定義そのものの文から導かれるので、言葉としては正しい。行為には目的が必要であり、目的には行為が必要だ。行為の意味するところは目的という言葉なしでは表現できないし、目的の意味するところもまた行為という言葉なしでは表現できない。 そもそも行為のためには目的が必要なのかは当のところはっきりしないのだけれども、目的を見つけられない行為というものはない。それが何でかというのもまた良くわからないのだが、一番最初のところにあるのは、やはり日語において、行為には目的がある、と定義されているためだろう。日語で思考する限り陥らざるを得ない錯覚。より具体的に考えてみる。 ある人物の行為の

    setofuumi
    setofuumi 2006/11/08
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