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水城に関するshibureのブックマーク (6)

  • 水城 - 歴旅.こむ

  • 九州国立博物館「西都 太宰府」

    福岡平野から太宰府に入るちょうど入口にあたる太宰府市の水城から吉松にかけての地域には、ちょうど平野を横切る形で、長さ約1.2kmの特別史跡水城跡があります。『日書紀』にも、西暦664年に対馬・壱岐・筑紫国に防人と烽(とぶひ)(のろし台)と共に設置された大宰府を防衛するための防塁でした。 土塁と敷粗朶(しきそだ) 水城は、大きく土塁と外濠からなっています。土塁の形状は、全長約1.2km、基底部幅約80m、高さ13mで、両端部の一部を除いて、ほぼ全て人工の盛土で造られています。堤の構築にあたっては、版築はんちくと敷粗朶しきそだという工法を採っています。版築とは、少しずつ粘土や砂などを交互に敷き詰めて、棒状の叩き道具で突き固めながら盛っていく工法で、急峻な傾斜にも耐えうる強固な堤を盛ることができます。また、敷粗朶は土塁の下部の軟弱な地盤の箇所に、植物の葉や枝を敷き詰めて透水性を良くして基礎の滑

    九州国立博物館「西都 太宰府」
  • [土木] 大和朝廷のドボクパワーに恐れいれ!! 筑前国 水城(福岡県)

    [土木] 大和朝廷のドボクパワーに恐れいれ!! 筑前国 水城(福岡県) 2018/1/14 2023/6/9 九州 なぜ戦国は車輪を再発明できなかった!特別史跡の水城を歩いてみた。 訪問日は 2017-12-31。 古代の史跡は総じて地味だ。なにかが残っていればいいほうで、 「ここに〇×がありました。発掘したらわかりました」 と看板があって、でーんと空き地があって、もうしわけ程度の復元遺構が展示されてる、というのが大半だ。 今回行った水城は 3km ~ 4km ほどあった巨大な土塁がかなり残ってて、古代史跡としては派手な方だが、石垣や天守の残る近世城郭とくらべたら地味だ。実際に合戦があったわけでもないので、戦国山城にくらべてもロマンで見劣りするかもしれない。 が、なんといっても国の特別史跡である。国重文と国宝、天然記念物と特別天然記念物、国の名勝と国の特別名勝くらいの差があるのだと、識者が

    [土木] 大和朝廷のドボクパワーに恐れいれ!! 筑前国 水城(福岡県)
  • 水城をめぐる - 大野城市

  • 水城の外濠はすぼむ形 調査結果を発表 大野城市教委 | 西日本新聞me

    大野城市教育委員会ふるさと文化財課は15日、同市下大利4丁目の「水城」(国特別史跡)の発掘調査で、土塁の前面にあった外濠(そとぼり)は、60メートル幅で貯水していたとされていたが、実際は東から西へすぼまる形で幅が収束していた可能性が高いことが分かったと発表した。 市教委は2015年度から、西門から東側の土塁の前に広がっていた外濠の範囲を、試掘などにより調査。その結果、外濠は東の60メートル幅が西門に近くなるほど狭くなっていたとみられることが判明したという。 同課は、外濠北側の小高い丘陵「父子嶋(ててこじま)」(9万年前の阿蘇山大噴火時の火砕流堆積物で構成)が、土塁前面部の防御性を高めていた可能性を指摘する。 一方、9世紀の西門に伴う官道と考えられていた遺構も調査した結果、出土品から12世紀前半築造と判明したという。 市は17日午後2時から現地説明会を催す。少雨決行。 =2018/03/16

    水城の外濠はすぼむ形 調査結果を発表 大野城市教委 | 西日本新聞me
  • 山城「大野城」の謎に迫る 九博でシンポ 教授や学芸員が発表 | 西日本新聞me

    約1350年前に現在の太宰府、大野城両市と宇美町にまたがる四王寺山に築かれたとされる山城「大野城」。赤司善彦県文化財保護課長は基調講演で「日書紀は朝鮮半島・白村江の戦いから2年後に大野城などを築造とするが、そんな余力があったろうか?」などと問題提起。考古学や文献史学、土木技術が専門の大学教授や学芸員が最新の研究成果を発表した。 県文化財保護課の入佐友一郎さんは「水城口城門近くで10メートル程の石垣を発見した。古代人の技術は高く、まだ謎が多い」と述べた。宇美町教育委員会の松尾尚哉さんは「舘」の墨書土器が出土した前田地区に関して「役所的な建物があったと推定され、山城の謎を解くキーポイント」とした。 パネルディスカッションでは、築造期間について、「労役の動員人数にもよるが、1年や2年では造れないのではないか」との意見が大勢を占めた。 =2016/02/28付 西日新聞朝刊=

    山城「大野城」の謎に迫る 九博でシンポ 教授や学芸員が発表 | 西日本新聞me
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