廿五里(ついへいじ)(市原市)や、小食土(やさしど)町(千葉市緑区)、神々廻(ししば)(白井市)、新(しむら)(匝瑳市)――。千葉市稲毛区の西東(さいとう)秋男さん(74)が県内約1000か所の難読地名や珍しい地名を集めた本を出版した。西東さんは、「地名を通じ、地域の歴史や文化を再認識するきっかけになれば」と話している。(及川昭夫) 出版したのは「クイズで挑戦、地名の宝庫 千葉県の難読地名・珍しい地名」(筑波書房刊)。 西東さんは農林水産省OBで、食料経済学や食生活文化史の研究をしている。全国各地で「豆」のついた地名を調べるなど地名への関心が高く、数年前から研究の傍ら「珍しい地名が多い」と感じた千葉県の地名研究を始めた。 地図や郵便番号簿などで、「これは読めない」「珍しい」と思った地名を見つけると、図書館で歴史書や辞典などで由来を調べる。実際に現地を訪れ、地元の人に尋ねるなどフィールドワー
「ふく岡(福岡)」の初出となる「如水公夢想連歌」=福岡市博物館提供黒田如水 【編集委員・中村俊介】「福岡」の地名が初めて登場するのは黒田如水(官兵衛)による慶長7(1602)年の連歌であることがわかった。収蔵する福岡市博物館(福岡市早良区)が9日から公開する。筑前52万石を治めた藩主黒田家が先祖を顕彰するため、ゆかりの岡山の地名にちなんでつけた。城下町福岡の町づくりの一端を知る手がかりとなる。 地名が確認されたのは、千利休ら当代一流の文化人と交わり、茶や和歌・連歌をたしなんだ藩祖、如水の「如水公夢想連歌」の一節。「松むめ(梅)や末ながかれとみどりたつ、山よりつづくさとはふく岡」(松や梅がいつまでも緑であるように、山から続く福岡もそうであれ)という黒田家の繁栄を願う内容で、慶長7年正月16日付。如水が妻や息子長政ら近親者とともに、新たな領地で連歌会を催したときのものだという。 黒田家は
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