太平洋戦争時前後の文化財保護対策 —京都府下の文化財疎開と戦後対策— 玉井 綾 京都は、延暦十三(七九四)年の平安京遷都から王城の都として天皇や公家が住み、寺社を中心に様々な王朝文化や町衆文化が生まれ、歴史的建造物などの有形文化財が多く残される土地である。 その京都において、太平洋戦争期(一九四一〜四五)の未曾有の混乱と物質不足のなかで、空襲と国土決戦に備え、博物館員、社寺、仏閣、文化財管理の担当員など当時の文化財保護に従事した人々が、どのような保護対策を実施したのか、京都府行政文書、新聞記事、個人の回顧録など諸種の資料から、疎開が行われた戦時下の管理状況、戦後の文化財の保存管理についての考察を行う。 昭和十八(一九四三)年『国宝、重要美術品ノ防空施設整備要綱』が閣議で決定された。天皇ゆかり品や建物へ戦禍が及ぶのを最小限に防ぐため、防空施設を作り、動かせるものは分散疎開とし、京都市と
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