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他門流寺院見聞に関するsokadamedasiのブックマーク (2)

  • 他門流寺院見聞記⑤【正中山法華経寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    一月ほど前になりますが友人と千葉県市川市にある『正中山(しょうちゅうざん)法華経寺』を見学してきました。法華経寺は大聖人が松葉ケ谷の法難を逃れ下総の富木常忍(日常)・太田乗明の外護を受けていた時に、富木殿が大聖人の為に自邸に建てた法華堂が起源です。富木殿・太田殿に関してはいずれ詳しく記事にしたいと思いますが。大聖人はこの法華堂を拠点に下総に教線を延ばされました。大聖人滅後に富木殿は出家して日常と名乗り自邸の法華堂を「法花寺」と改め初代住持となり、また太田乗明の子息の日高は父・乗明の屋敷を「妙寺」として2代住持になりその後、旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え胤貞猶子の日祐を3代目住持としました。日高以来、「法花寺」と「妙寺」の住持は兼任でしたが、天文14年(1545年)に法花寺と妙寺の両寺を合併し「法華経寺」となり現在に至っています。また日常が自邸に建てた法華堂は現在は「奥の院

    他門流寺院見聞記⑤【正中山法華経寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ
    sokadamedasi
    sokadamedasi 2023/05/13
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  • 他門流寺院見聞記⑤【西山本門寺・単立】 - 創価ダメだしブログ

    先日の御登山の帰りに西山門寺を見学してきました。昭和の時代に一時日蓮正宗に合流しましたが檀徒の反対に遭い裁判の末に単立寺院に戻ってしまったの事は実に残念なことです。西山門寺は重須の日興上人の甥である日代師と大石寺・上蓮坊の日仙師との問答(仙代問答)が原因で日代師が重須を離れ西山の地頭大内安清から寺地の寄進を受けて康永3年(1344)に建立した寺院です。このような経緯から西山と北山はともに門寺を名乗り長らく反目しあいます。それが二箇相承紛失という興門流にとって重大な事件をまきおこすことになり現代において身延から二箇相承は偽物と疑難を加えられることになってしまったのは非常に残念でありません。しかし北山と違って身延の傘下に入らず単立を守っている面においては北山よりはマトモだとも思っています。そんな西山門寺は大石寺から下之坊を過ぎて車で10分ちょっとの所にありました。流石に歩くのは無理です

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    sokadamedasi 2023/04/12
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