濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。 今月の御講拝読御書は十大部でもある『四信五品抄』の一節です。【四信五品】とは法華経の『分別功徳品第十七』に説かれる本門の修行者の信心の段階(レベル)で、「現在(釈迦在世)の四信」は低い方から①一念信解②略解言趣③広為他説④深信観成で、「滅後(釈迦死後)の五品」は①随喜品②読誦品③説法品④兼行六度品⑤正行六度品となります。このうちの一番低い在世の一念信解=滅後の随喜品の修行者を大聖人は天台六即のうちの2番目に低い位である名字即の位と定めて、「一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位より即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し」(総勘文抄)と名字即の位で即身成仏するとご