寝言丸さんからキリスト教関連の記事に対して「久遠元初」「即座開悟」等に関する質問があったのでお答えしたいと思います。そこでまず個別の質問に答える前に仏法における「時空」の捉え方の基本を書きます。御書にも引用されていますが妙楽大師が『弘決』において「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」と述べているように久遠元初の御本仏は「時間」や「空間」を超えて法界に遍満する「超時空」の存在なのです。だから「時間軸」の視点から仏法を理解しようとするのは少し視座が違います。「時間は存在しない」という考え方は現代理論物理学でも多くの学者が支持する理論でもあり哲学においても同様です。「時間」が存在しないならば「空間」も存在しません。仏法では「時空」は「非空非有・亦無亦有」(中道)であると説いているのです。これが仏法的視座に立った「時空」の捉え方です。これを前提に質問に答え