とても雨とはいえない。雨じゃなくてここで降るのは雪だろう、そんな日にも同じ時間が流れているけれど、時計通りに進む平日は狂っているとしか思えない。平日というものがわからないが、もちろん休日もさっぱりわからない。 ばあちゃんはちょっとボケてるんじゃない。最初から最後までボケている、と直接母に言葉を投げつける子どもに母は笑いかけている。喜んでいるのだろうか、それともボケているのだろうか。それから母はやっと帰ってきた老猫に「どこに行ってたの」と問いかけていたが、その言葉も、ボケているものにボケていると語りかける言葉と同じだった。ほんとうは言葉は届かないものではないのだろうか。届かないという届き方をするときに言葉が生まれるとしたらどうだろう。 ニーチェが言っているように、真理とは語り手の立っている場所で手に入る真理にすぎない。場所さえ与えられればだれにでも真理は語れる。だからたぶんだれにでも語れる真