無理な「真理」 このブログで私が度々、「『真理』は嫌いだ」などと書くのを見て、それはどういう意味だと、今もよく質問されています。そこで、「嫌い」な理由を再度。 「真理」は認識ではなく、信仰です。もっと言えば、欲望です。何がしかの認識を、「真理」と呼んで「正しい」ものとして主張したいということです。 「真理」は「真理」であるが故に検証しようがありません。なぜなら、「真理」という以上は普遍的に、つまり、いつでも・どこでも・だれにでも・どのような条件でも、「正しい」と認識されなければ、「真理」という言葉の定義に反するでしょう。 ところが、いつでも・どこでも・だれにでも・どのような条件でも「正しい」かどうかを、有限的な存在の人間には、検証のしようがありません。 したがって、「真理」はそう信じ、そう主張する者、すなわち「信仰」する者にとってしか「真理」たりえません。 問題なのは、ここから先です。上述