追記:感謝☆4万再生!「アサヒは昇~る!イェー!」サビ繰り返し聞いてたら、ビールのCMっぽいなと思った瞬間に突貫作業。あ、デュラララ!!関係ないや。映像はコチラをお借りしました。>>sm5195944 ナレーションを入れてくださった方がいました!感謝!>>sm10585675 こちらの動画に一瞬だけ使われていてびっくりしたww>>sm16574611 ロングver>>sm12527838 >>mylist/16030612
前々から書くと(mixiで)いっていて、書いておりませんでしたので、ちょっとやっつけでも書いてみる。 ※ 最近、ニコニコ動画とかで、クトゥルフ関係の動画がけっこう盛況です。 タグで動画検索 クトゥルフ‐ニコニコ動画(ββ) でも、ニコ動を見てると「SANチェック」について詳しくしらない人が多いみたいなのでまとめてみるよ。 ちなみに私が持っているのは5.1版(1993年発売版)ですので、現行版とは多少違うかもしらん。 ■SANチェック 正気度 SAN値といわれているが、5.1版では「正気度」が正しい。 正気度のスタート値はPOW(=Power,精神力)×5。平均では52.5ポイントになる。 最大正気度ポイントは「99-〈クトゥルフ神話知識〉」で、〈クトゥルフ神話〉についてよく知っているほど正気度の最大値は下がっていく。 SANチェック:1d100で正気度以下を出す。成功すればだいたい正気度は
分かる人にしか分からないネタを繰り出して老害プレイに興じていると、色々と混沌を招くようなので、元ネタなるものを掲示しておくことにしようと思ってスキャンしてきました。勢いで比較画像を作製。 勢いでちょこちょこ絵の方にも手を入れたんだけど、わりとテキトーです。最初からトレースすれば楽だったか……まあ、たこルカの形状の問題で割とバランス変わるんで、同じ枠に入れようとするとやはり見た目は変わってくるんですけどね(たこルカは触髪によって身体を支え、胴体?部は浮き上がっている。一方ご存知ハスター先生は我々の生物学で言う骨格系がなく、人間の可視範囲内では全身を地べたに這いずらせている。まあ手抜きして、同じバランスに収めようという努力が貫徹されてないのも事実だが)。 このハスター先生は旧版ルルブをスキャンしたヤツですが(旧版ルルブはエンブレ版より取り回しがいいので気に入っています)、ハスター先生のイラスト
id:gginc さんより、「ルナー帝国のイメージソースとして使えるんでは?」というつぶやきをいただいて、 んで、その後まああと色々ありまして(詳細は後日また(^^;))、手に入れました!『秘身譚(ウィータ・アルカーナ)』! ウィータ・アルカーナとは、ラテン語で「神秘の生き方」という意味……でいいんでしょうか?(自信なさげ) しばらくAmazonでは品切れ状態でしたが、再入荷したようです。 賢帝が治むる「人類が最も幸福であった時代」から数十年が過ぎた紀元3世紀。世界最強の帝国・ローマは、政治の腐敗、蛮族の進入、続く外征で疲弊し、ゆっくりと、だが確実に、その力を失い続けていた。そして東方にて起こった皇帝・カラカラの暗殺により、全ては大きく変わり始める――。 中世ダークファンタジー「ピルグリム・イエーガー」の実力派が、幻想とロマンに満ちた古代世界を描く! 時代は217年といいますから、軍人皇帝
こんにちは。「H.P. Lovecraftで学ぶひとこと英語」の時間です。 今日は、ナイアルラトホテプの二つ名とされている、"The crawling chaos" をとりあげます。 まずは、構成要素それぞれの意味をみてみましょう。 crawling (crawl) 1. 這う、這いずる 2. ゆっくりと迫り寄る 3. クロールで泳ぐ chaos 完全な無秩序と混乱。混沌。 以上のことから……。 つまり、「クロールするんがむっちゃ下手な奴」っちゅう意味や。水泳の授業やなんかで、たまにおるやんか。2コースからスタートしていったのに、折り返しのときには3コースに入ってて、戻ってきたらなぜか1コース泳いでるような奴。まさに、「クロールで泳ぐ混沌」。言い得て妙とはこのことや。 . . . 「ウソを教えないでください!」 「ウソちゃうがな。あいつは本当に泳ぐの下手やねんて」 「……」 . . . え
どうやら私は生まれ変わったらしい。 私は目覚めて一番目に、そんな得心を得た。 屋根の形に沿って、斜めに突き出る天井の壁紙に目をやりながら、それがどのくらいの時間を経て黄色っぽくなったのかを想像しながら、そう思った。 重たい体を何とか動かし携帯電話を手にとって、時間を確認する。 午前四時半。 もう起きても良いし、まだ起きなくても良い。 そんな出鱈目に優しい言葉を自らに投げかけて、しばらくその場で横になっていた。 寝起きのぼんやりとした頭ですることは全く無軌道であり無秩序だ。 私は携帯電話で十年前にプレイしていたMMOの、プレイしていた当時の晒しスレッドを眺めていた。 はっとしてアイフォンのホームボタンを押してから、どうやら今の私がこの場で手に入れられる限りにおける、郷愁めいた感情を欲していたらしいと結論付けた。 ロフトから降りて椅子に座る。 私は獣のように顔を両手で洗ってから、言語化出来ない
農林水産省は昨年、農家1戸あたり約2ヘクタールの農地を10倍程度に広げ、競争力を高める方針を打ち出した。戸別所得補償に経営規模を大きくした農家への加算金を設け、今年度は大規模化に協力する農地の出し手への補助金も新設した。 だが、加算金は用意した100億円の3分の1しか使われなかった。零細農家も対象とし、バラマキ色が強い現行の戸別所得補償の仕組み自体を改めないと、大規模化は進まない。 民主と自民、公明の3党は制度の見直しを協議することで合意している。ただちに議論を始めるべきだ。 朝日新聞は忘れているかもしれないが、この問題は民主党のマニフェストに深く関係していた。簡単にいうと朝日のこの主張は政権交代としての民主党のマニフェストを反故にしている。その自覚があるのかすらわからないが。別の言い方をすれば、朝日のこの主張は自民党政権の是認である。 それでいいか悪いか以前、話がそうであば、これは総選挙
日本が首脳会議で、メコン川流域のインフラ整備などを支援する今後3年間の新たな協力計画を表明したことは重要だ。効果的な支援をめぐって、今後、官民挙げて知恵を絞らなければならない。 これは記憶によるがかねてあったことではなかったか。 ミャンマーの民主化だが、どうも読売の浅い読みのような簡単な問題ではないと思う。
昨年末には、整備新幹線のうち北海道の新函館−札幌間など3区間の建設に着手する方針も決めている。政権交代直後に「白紙」としたいわくつきの区間だ。 なぜ今、大型公共事業の凍結解除が相次ぐのか。「衆院解散をにらんだ選挙対策」との見方も出ている。 端的に民主党政権は実質崩壊しているから。 公共事業が国民生活を向上させたり、景気を刺激する効果は否定しない。しかし、バブル経済崩壊後、景気対策と銘打った無秩序な公共事業が、今日の財政危機を招いたことを忘れてはならない。 巨額の投資に見合うメリットはあるのか。客観的なデータに基づく説得力ある説明ができない事業は、再開すべきではない。 公共インフラはかなり危機的な状況にあり、全体方向としては財政支出に向かわざるをえないとは思うが、この問題も総選挙後のマターである。
なぜ今日の話題なのか今ひとつ理解できない。 最近、一部の診療所がジェネリックへの患者の理解を妨げるようなポスターを院内に張り出した。成分が先発薬と同じではない、効能のばらつきが大きい――などと誤解させる文言を含んでいる。 東京の医療団体が6千部つくったという。医師の臨床経験に基づく内容だと説明しているが、ジェネリックの関連学会は正確性を欠くと指摘し、内容の変更や回収を求めている。患者の正しい理解を助け、選択肢を増やすことこそが医療界の役割であろう。 現場の認識と「ジェネリックの関連学会」の摺り合わせが出来ていないということもある。 これは皆保険制度とも関係する話題でちょっと複雑。簡単にいうと、ジェネリックのインセンティブが働くような制度の妥当性ということになる。 加えていうと、現実問題として具体的な問題として市場に関連するジェネリックは何かということがある。基本的には慢性病(生活習慣病)に
God is my strength. Vision is His gift. "Vision"が大文字になっているように、これはacimの用語、キリストのビジョンというもの。この理解に慣れないと難しい。大内訳を見るとまいどながら「ヴィジョン」とカタカナで放置されていた。大内訳の意図もわかるがこういう放置は訳文にはならない。facim訳では「心眼」としていた。なるほどねとは思う。 ロングマンを見ると"ability to see"と簡素にある。seeは「見る」というより「見える」なのだがそのabilityとなると「見る」の比重が高くなるように思う。"the area that you can see"ともある。 acim的にはキリストが見たこの世界や他者の光景ということで、それが賜物としてある、与えられるということ。acim的には、肉体の目に見える世界は、原初の分離によって私に敵対している
朝日の言い分もわからないではない。 まず、決議の可決を待たずに審議を拒み始めた。しかも2閣僚が出席しない委員会にも応じない。そこで採決された中小企業の振興のための法律や、火災予防のための消防法の改正案は、2閣僚の問題とは何の関係もない。 次に、タイミングだ。民主党政権で5、6人目の問責決議の可決だが、これまでは国会の最終盤ばかりだった。長期の国会空転を避けるという暗黙の了解があったからだ。今回は、まだ会期末まで2カ月ある。 共闘している公明党も、自民党を批判する。問責閣僚が所管する課題以外は審議に応じるのが「基本的なルール」だという立場からだ。 私たちは、野党が閣僚の責任をとことん追及するのは当然だが、必要な法案の審議には応じるべきだと考える。 露骨にいうと、朝日は消費税賛成なんでこういう流れになるということなんだろう。 ただ、筋としてはここは自民党が正しいだろう。問題は、二閣僚よりその任
産経を除き、問責決議以降の自民党をバッシングしているが、これはようするに消費税大政翼賛会の必然的な帰結なので、社説として読むほどの内容がない。 自民党の態度だが、問題が野田首相にあるとしているのだから、審議拒否でさして問題があるわけでもない。おかしいのは、あくまで民主党の政権なので、こんな問題はさっさと事務的に処理するほうがいい。 あと。 北海道新聞⇒スーダン衝突 PKOから撤退検討を(4月21日)−北海道新聞[社説] 戦闘が拡大すればジュバの治安も不安定になることが考えられる。もともと民族間対立や反政府勢力との武力衝突が相次ぎ、PKO参加には懸念があった。 防衛省や菅直人前首相は派遣に慎重だったが、野田首相に交代後、参加にかじを切った。南スーダンを支援する米国への配慮があったとの指摘もある。 ジュバには北部方面隊(総監部・札幌)第12施設群(岩見沢市)の約30人を含む陸自隊員約240人が
Meredith Monk - Lost Wind from Volcano Songs (1997) もし世界の声が聴こえたら―言葉と身体の想像力 世界にも声がある−−−メレディス・モンクの不思議な野生の呼び声を聴くたびに私はそんな感じを抱いてきた。もし世界を聴きとる特異な耳が私にあったなら音楽家になっていただろうが、私は概念と言葉を扱うだけの頭でっかちな野暮天にしかなれなかった。私は自分の耳が聴きとる世界が随分かぎられたものであることを知らされる。同じように、もし自分の眼のなかに不可能なヴィジョンを捕捉する知覚があったら、私は躊躇なく画家になっていただろうが、私はおそらく眼を閉じて考える方が似合った人間だった。むしろ私は思考を芸術のように展開しようと努力してきたのだろう。 世界には私たち人間だけが住んでいるのではなく無数の動物たちが生息している。眼に見えないほどの微生物から巨大な鯨のよ
郷愁の奧にしか未来はないと語ったのは誰だったか? サーカスがやってくる (旺文社文庫 164-1) 果てしなきサーカスの旅―国際サーカス村物語 『サーカスがやってくる』(1982年)は今はもう存在しない古いサーカスの舞台裏を文章と写真で活写した優れたドキュメンタリーである。本橋成一さんが撮影した情感豊かなモノクロームの写真が百六枚(!)も収められているので、独立したサーカス写真集として見ることもできる。西田敬一さんの文章は、1970年代後半に関根サーカスで一年半ほど働いた経験に裏打ちされた説得力に富むものである。『果てしなきサーカスの旅』(2009年)には、1990年代末に群馬県の旧勢多郡東村(現みどり市東町)にサーカス村(サーカス資料館とサーカス学校がある)を作りあげた西田敬一さんの数十年にわたる活動が生き生きと綴られている。なお、西田敬一さんのごく最近の活動を以下の公式サイトとインタビ
近所のコンビニで安ワインを物色していたら、若い女店員に「超お買い得です!」と強く薦められたのが、「カーサ・サフラ」という名前のスペイン産の赤ワインだった(バレンシア州アリカンテにあるサルバドル・ポベダ(Salvador Poveda)という醸造所でモナストレル種(Monastrell)を原料に作られた2003年物。いわゆるフルボディ。ちゃんとコルクの栓が使われている。値段は500円)。詳しい事情は彼女も知らなかったが、とにかくかなり安値で仕入れることができたらしい。安いからだけでなく、実はラベルに印刷された太陽を象ったように見える果実のようなものの中で種子のようにうずくまって眠っている半裸の少年を描いたロゴマークとCasa Safra(カーサ・サフラ)という美しい響きの名前に惹かれて、買うことに決めた。ちなみに、「Casa Safra」の書体は、スクリプト(手書き風)書体の Zapfino
間道―見世物とテキヤの領域 カバーのイラストは坂入尚文さんが企画し、1994年にパリで開催されたイベント「縁日風景 '94–PARIS」の際にチンドン屋さんが街角で撒いたビラの表と裏。 坂入尚文(さかいりひさふみ)さんは1947年生まれ、東京芸術大学彫刻科を中退し、職を転々とした末に、同じ彫刻科の先輩の誘いに乗って見世物の世界に飛び込んだのが「間道」すなわち裏街道を行く人生の始まりだった。当時の心境を「見ず知らずの世界に入って行くにはそれまでを切り放すようなスピードが要求される。下手な思考はそれを止めるようなものだった」と語っている(21頁)。一旦は裏街道から抜けて、房総半島の三芳村で百姓生活に身を投ずるも、結局は再びテキヤとして裏街道に舞い戻った。それが三十歳過ぎた頃だった。それ以来、飴細工師として裏街道を三十年以上歩み続けている。1994年には日仏文化交流の一環として企画されたイベント
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