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ブックマーク / agarih.hatenablog.com (77)

  • 中国覚え帳/中共満州国の説 - 石陽消息

    人は満州へ行くべきだ。満州国には東アジアの近代の達成も欠陥も凝縮されている。日はこの奇妙な国家を作り上げた当事者なのだから、ぜひその余影を見ておくべきだ。それはまだそこここに感じられる。 たとえば長春、かつての新京。市政府を市役所と考えるのは大きな間違いである。カメラを向けてみなさい。門衛に制止される。写真を撮ることすら許されない役所が市民サービスを担う「市役所」であるはずがない。「道台」とか「衙門」と呼ぶのがいい。つまり旧中国であり、中国は一瞬だけ「新中国」になったが、すぐに元の居心地のいい、賄賂横行・上意絶対の「旧中国」にもどったように見える。 昔の関東軍司令部は今は共産党省委員会になっている。市政府の場合は写真を撮ったあとで門衛に撮影不可と言われたので、少なくとも1枚撮れたのだが、ここではカメラを出すとただちに追い払われる。撮られて困る何があるのだろう。今も軍の施設なのかと疑わ

    中国覚え帳/中共満州国の説 - 石陽消息
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    sphynx 2017/07/19
  • 調査かどうかは知らないが - 石陽消息

    「一行」(いちぎょう・いっこう)のように、二通りの読み方のできる熟語がある。「気色」もそのひとつで、「きしょく・けしき」というふたつの読みがあり、意味もやや違う。だが、今では「きしょく」は「気色悪い」、「けしき」は「気色ばむ」という慣用句で使われるばかりだろう。 この「気色ばむ」の文例を考えてただちに思い浮かぶのは、わが国の現首相である。国会で不快な質問をされるとすぐ気色ばむよね、あの人。一国の総理大臣として、目をそむけたくなるような幼稚さだ。総理なのにヤジを飛ばすし。誰か注意する人はいないのか。誰からそんなふるまい方を教わったのか。 この人の友人は、トランプとプーチン。いいのか? 歴史に悪名をとどめるであろう人たちだよ。中国首脳とは決して友人になりそうにないのは、いいことか、悪いことか。 北朝鮮に対する硬直した態度にも残念なものがある。ミサイル実験をされるたびに、「断じて容認できない」と

    調査かどうかは知らないが - 石陽消息
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    sphynx 2017/07/19
  • フェルガナだより 番外 - 石陽消息

    <逆境> 2005年5月のアンディジャン事件は、フェルガナ大学の日教育を窒息させました。フェルガナの教師は2人とも日人で、それがタシケントへ避難させられ、授業は休止、翌年度からの後任も見つからず、現在に至るまで授業はなされていません。リシタンに住む前の教師が、11月に週1回日語能力試験の準備をしてくれていたそうですが、それだけ。学生は自分で独習しています。 だから正直なところ、12月にフェルガナから10人が受けた3級の能力試験に合格者が出るか、危ぶんでいました。彼らが教室で習ったのは初級教科書全50課中36課まで。あとは独習です。それでも、4人の合格者が出ました(うち1人は9月からタシケントの日センターに通っていますが)。1人は、400点満点で320点以上の好成績でした。合格率4割は、海外での3級の合格率47.6%と遜色ないし、もし事件がなく授業が当たり前に行なわれていたら、あと

    フェルガナだより 番外 - 石陽消息
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    sphynx 2017/03/11
  • サハリン消息/「贅沢」旅行 - 石陽消息

    最近は宇宙旅行もできるそうだが、億単位のかかりというから、さすがにこれは例外としましょう。それを除いて、日人にとっていちばん贅沢な旅行先はどこだと思いますか? 私は迷わず、サハリンだと答えます。宗谷海峡は40キロ、津軽海峡(20キロ)よりはあるけれど、対馬海峡(60キロ)より与那国・台湾の間(80キロ)より短い、日からいちばん近い外国です。いや、戦前は外国じゃなくて日だった。そんなところに旅行しようと思ったら、これがあなた。 1月下旬、知人がサハリンに遊びにきました。函館や札幌からユジノへの便が往復8万から9万円。40人乗りプロペラ機で。それだけあれば、ヨーロッパへ往復できます。だいたいソウル−ユジノ便より高いのだから、ひどいものだ。それに、「内地」の人間には北海道への旅費もその上にかかってくるんです。稚内−コルサコフ間のフェリーは2等で片道2万円だけど、関釜フェリー9千円、那覇から

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    sphynx 2017/03/11
  • サハリン消息/古き慣わしいくつか - 石陽消息

    以前ハバロフスクにいたとき、冬の休みに外国語図書館に通って、レオポルド・フォン・シュレンクが1854−56年にアムール川下流地方やサハリンで行なった調査の記録「アムール誌」を閲読しました。図書館と言っても、普通の住居を転用していて、閲覧室は応接間。ソファにすわり、テーブル低く、を読むには非常にあんばい悪い。19世紀の大判の書物で、コピー機がないので書き抜きをするのだが、膝の上にを置き、その上にカードをのせてだから、実に書きづらかった。必要箇所も多く、すべて筆写はできかねる。コピーが取れないものか聞いてみたら、古い貴重な書物だから館の館長の許可が必要だ、それがもらえれば館へ持ち出して取ってもいいという。そこで館長を訪ね、これこれこうと事情を話し、許可をもらいました。では許可証を下さいと言うと、おもむろに白紙を取り出し、そこにさらさらと手書きです。その手跡の美しさはなかなかのもので、書

    サハリン消息/古き慣わしいくつか - 石陽消息
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    sphynx 2017/03/11
  • サハリン消息/「サハリン検定」 - 石陽消息

    「京都検定」「映画検定」など、日では最近検定試験ばやりのようですね。別にそれにあやかったわけではないのだが、実はこんな検定を企てています。 サハリンは日との深いつながりがある地域なので、ガイドの需要も日語能力の需要もあります。しかしながら、今までは客観的な日語力の評価の基準がなく、ほとんど「野放し」といっていい状態でした。「自己申告制」のようなものです。それを改善し、学習者に目標を、また人材を登用する側にも目安を与えるために、「日語能力試験」の模擬試験を行ない、来年度からの試験の実施を申請しています。 しかし能力試験2級は、サハリンで年に数名しか合格しないようなレベルで、かなり高いハードルであり、一方、3級では仕事をするにはやや低い。現実的にガイドとしてアルバイトをする者の多数は、この中間のレベルの日語学習者であろうと思われます。 また、ガイドとしての仕事をこなすのに必要な基

    サハリン消息/「サハリン検定」 - 石陽消息
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    sphynx 2017/03/11
  • サハリン消息/「ダ〜チャ」 - 石陽消息

    ユジノでやった極東・東シベリア弁論大会で、「ダーチャ」についてスピーチした学生がいました。この大会の模様は同僚教師がDVDに録画してくれていて、それを編集したものをもらっていました。しかし、支給品のパソコンは型が古く、CDの読み取りはできるが書き込みはできない、ましてやDVDは見られないという代物、講座室にあるデスクトップも右に同じ、というわけで、手元にありながらずっと見られず、ウズベキスタンのフェルガナでやっと見ることができました。 ロシア人の学生に作文させると、「レニン、スタリン」と書きます。強弱アクセントのロシア語では、強勢のかかる音がやや長く発音されるのだが、それを音の長さとして意識していないのですね。強弱でのみ捉える。しかし、音に長短のある高低アクセントの日人は、それを音の長さで捉え、強い弱いは意識しません。だから日語では「レーニン、スターリン」となる。 「ダーチャ」dach

    サハリン消息/「ダ〜チャ」 - 石陽消息
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    sphynx 2017/03/11
  • 昭和製鋼技術研究所 - 石陽消息

    これはいいものだと思った。1930年代ぽいと思った。戦前の昭和製鋼所で働いていた家族の回想記にある簡単な昔の鞍山の地図を手に、かつての建物が今も残っているのか探し歩いていたとき、当時の技術研究所、新しいビルの並ぶ今の鞍鋼集団鋼鉄研究院の敷地の中に、古そうな建物がひとつあるのを見つけた。今は理化検験楼という名のその建物を見てそう思ったのだが、しかし、建築の専門家でもない者がそんなことを言っても、個人の感想にとどまる。 そこで、まず鞍鋼展覧館で建築年を聞いてみたところ、1948年という答えだった。そんなはずはない。それは激しい内戦の末共産党が国民党軍を破って製鋼所を手に入れた年だ。ソ連軍が工場の設備の3分の2をロシアに運び去り、内戦でも被害を受けて操業停止の状態、ようやく復興への第一歩を踏み出そうという時期だから、その年にこんな立派な建物が建てられるはずはない。おそらく建物でなく組織の話なのだ

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    sphynx 2017/03/11
  • 中国覚え帳/満州三異人 - 石陽消息

    終戦時の満州には150万人の日人がいたというから、満州生まれ満州育ちの戦後日人も大勢いるわけだ。小沢征爾など有名人も多い。しかし、たとえば加藤登紀子がハルビン生まれと聞くとなるほどと大いに感じ入るが、1943年生まれだから、そこに生まれただけで満州の記憶はほとんどあるまい。親はきっと満州生活の影響を浴びていて、その話を聞いて育つことで事後の記憶は形成されたかもしれないが。 そうではなくて、ものごころがついてのち、少年期、あるいは青年期まであの地に暮らし、はっきりと「満州育ち」と言える人の中で、いかにも「満州」だと思われる代表的人物は誰だろうか、と考えてみる。そうすると、文芸の分野では、安部公房、別役実、赤塚不二夫の三人が「三傑」ではないか、と思った。 この三人には共通する匂いがある。その作品は論理的だが、その論理がねじれている。あるいは、始まる前から論理が脱臼している。 乾いているのも

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    sphynx 2017/03/11
  • 「鞍山街並み探検隊」始末 - 石陽消息

    鞍山へ行く前には、昔昭和製鋼所があり日人がたくさんいたこと(終戦時7万人ほどだったそうだ)、天津から連れ出された溥儀が満州国成立まで潜んでいた湯崗子温泉が近くにあることぐらいしか知らなかった。来てすぐに地図は入手したが、ガイドブックもないしツーリストインフォメーションもない。鞍山についての情報源は、この地図と、戦前ここに住んでいた人の回想記にあった略地図のコピーしかない状態だった。 週末は暇だから散歩に出る。ところが、日人が100年ちょっと前に造った新しい町で、その後は共産党の支配を受けているのだから、寺廟というものがない。1996年創建のごく新しい玉仏寺しか見たことがない。戦前には日仏教の寺が複数あったと帰国後に知ったが、そんなものはもちろん取り壊されている。鉄西区に中国人のために娘々廟(興盛廟?)が作られたそうだけども、今も残っているのかどうか。鉄西区はあまり歩かなかったので、現

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    sphynx 2017/02/19
  • 中国覚え帳/雅号のひとつ? - 石陽消息

    今の天皇は、戦後まもないころ、アメリカ人に英語を習っていたとき、「ジェイムズ」と呼ばれていたと何かで読んだことがある。気持ちのいいことではない。今の英語ネイティブの教師が日人に対してそういうことをしているのかは知らない。しかし、中国人は英語名を名乗ることに抵抗がないようで、アメリカに渡ったブルース・リーは当然としても、ジャッキー・チェンなど香港ではふつうの習慣だし、中国土でも英語科の中国人学生はみな英語名をもっている。それならばと思い、日語科の学生にも日名をつけるよう促してみた。もちろん強制ではなく、クラスに1人ぐらいはつけない者もいるけれど、ほとんど全員が嬉々として日名を名乗っている。 それは悪くないことだと思う。日人は漢字を使っているので、漢字名は日語読みする。「習近平」なら「しゅうきんぺい」であって、「Xi Jinping」とは言わないし、言えない。中国人にすれば、「し

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    sphynx 2017/02/19
  • 敗者たち、たとえばマニ教(2) - 石陽消息

    ヨーロッパ人の偏見につきあってはいられない。消えた敗者ではマニ教や墨子教団などが好例だが、マニ教といえば「邪教」と烙印が押されている。一方で、兼愛非戦の墨子の教えは「古代の知恵」と見なす。マニ教にまとわりつく危険な邪教のイメージは、正統派キリスト教の対抗者として信者を奪い合う強力な「異端」「異教」であり「敵」であったからだ。そのあたりの事情を探ると、非寛容で戦闘的なキリスト教の実像がよくわかる(それは対イスラムについても同じだ。マニ教と違い、勃興ののち圧倒的な地位を築き、18世紀以降衰微の相を示してはいても、今なお一大勢力でありつづけているので、そうあからさまに荒唐無稽な攻撃はしないが、隠微な悪罵は西洋の骨髄にある。英語の受け売りを業とする者のイスラム論は、すべて悪性菌に感染しているものとして疑ってかからねばならない)。 墨子の場合は、西欧とまったく関係のないところで興亡し、ヨーロッパ人に

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    sphynx 2017/02/19
  • 敗者たち、たとえばマニ教(1) - 石陽消息

    今この世界に生き残っているわれわれは勝者である。そして勝者としてしか世界を見ない。だがその一方で、敗れ去り、わずかな痕跡を残すだけで消え去ったものたちがいる。 敗北には理由がある。退場にはわけがある。だが、敗者となり地上から消えたものたちも、かつてたしかに存在し、そのあるものは覇を唱えてもいたのだ。彼らを知ることなしに世界を知ることはできない。インカやアステカの文明のように理不尽な抹殺もあったことだし。 歴史は結局文字である。文字記録以外のものも史料とするべく、考古学・古銭学・民族学その他さまざまな分野に補助を求めているが、しかしそれらは補助学にとどまり、根幹のところではどうしても文字資料によらざるをえない。それゆえ、先史時代を含む無文字社会は歴史の辺境に位置することになる。 それだけにとどまらない。文明社会は基的に有文字社会であるけれど、その文明には特有の性格があり、「親歴史的」な文明

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    sphynx 2017/02/17
  • 宋寨村の村芝居座について補足的に - 石陽消息

    宋寨村は、河南省の懐慶府(今の沁陽)や清化鎮(今の博愛県)の近くにある村である。清朝最末期の明治40年(1907)に当時中国に留学中の桑原隲蔵が(宇野哲人とともに)長安への旅の途上にこのあたりを通っているので、その日記を見てみよう(「考史遊記」、岩波文庫、2001、p.33)。 「九月五日 晴 行程一百里 午前五時二十分馬車を賃して清化鎮を発す。暁寒膚に徹す。十時二十分水北関清化鎮より三十五里余に「漢孝子丁蘭故里碑」あり。沁水を渡り十一時懐慶府清化鎮より四十里に着す。府の東関外に「漢孝子郭巨故里碑」あり。城外に「何文定祠」あり。南関外に「明礼部尚書何文定墓」あり。憾むらくは、この日行程遠くしてひとえに前往を急ぎ城の内外を細観するを得ざりしことを。午後七時半孟県清化鎮より一百里の大昇店に宿す。」 丁蘭・郭巨ともに二十四孝に挙げられる孝子である。 なお、リヒトホーフェン(「絹の道(シルクロード

    宋寨村の村芝居座について補足的に - 石陽消息
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    sphynx 2016/08/16
  • 遥か欧州を離れて - 石陽消息

    最近はテレビ朝日のサッカー中継が多くて、苦労した。ヨーロッパ選手権も、キリンカップも。キリンカップのボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦は見たが、ブルガリア戦は見られなかった。7−2というちょっとありえないスコアだったから、見ていればさぞ楽しかっただろう(日人には。ブルガリア人には不愉快きわまりないけども)。 ボスニア−デンマーク戦はBS朝日の中継があったので見られたのだが、あれを見るかぎりでは、特に前半は眠っているようなゆるいプレーだったから、これは勝てると思ったが、ジェコやピヤニッチが来なくても強かった。タフだった。しかし非常にいい試合をしていた。のめりこんで見られた。勝利は無理だが、引き分けはありえた好勝負だった。コンフェデ杯のイタリア戦のような。そして結局負ける。そこまで含めて日らしい。 私のような素人でも、見ていないブルガリア戦もあたかも見てきたかのようにわかる。中盤で余裕をもってボ

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    sphynx 2016/08/16
  • 留学のいろいろ (11) - 石陽消息

    後記・郷土史の悲しみ 読めばわかるとおり、これは「島根の近代留学」とでも言うべきもので、わが家の棚と近くの図書館にあるをもとに、島根県出身者とそれに関係のある人々の留学体験を書き並べているのだが、すぐに気がつくのは、この人たちの生まれた場所こそ島根県だったりほかの地方だったりしているが、死んだのはたいてい東京である。熊楠がひとり例外と言えるくらいだ(彼の場合和歌山に生まれて熊野に暮らしていたから、さらに下降している)。つまり、留学(公費留学)するのは優秀な人材であり、さまざまな地方で産していても、彼らが働く場所は中央である。中央への頭脳の吸い上げということだ。 地方には「郷土史」という研究ジャンルがあり、そこでは「郷土の偉人」がよく取り上げられる。だが、特に近代以降は、その「偉人」というのはほとんどがその土地で生まれたというだけの人である。鴎外のように10歳で上京したきり一度も故郷に帰

    留学のいろいろ (11) - 石陽消息
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    sphynx 2016/06/23
  • 留学のいろいろ (10) - 石陽消息

    留学のような、留学でないような 明治初期には、実質的に東京の官立高等教育機関での修学は「留学」であった。つまり、そのころの高等教育は欧米人教師によって外国語(英・仏・独語)でなされていたからである。 柴五郎が通った陸軍幼年学校ではフランス語で教育が行なわれていた。明治6年(1873)入学したその学校では、「教官はすべてフランス人にてプーセ教頭のもとに、モンセ、ヴァンサンヌ、ルシェ、グーピル、ルイ等あり。日人は助手、通弁のみ。/国語、国史、修身、習字などいっさいなく、数学の九九までフランス語を用い、地理、歴史など教えるもフランス国の地理、歴史なり。日の地理、歴史など教えられたることきわめてまれなりしが、フランスの山河、都市村落、河川、気候など暗記し、問わるればただちに回答す」。「事もまた洋にて、スープ、パン、肉類なり。ただ土曜日の昼のみ、ライスカレーの一皿を付す」(石光b:10f

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    sphynx 2016/06/16
  • 留学のいろいろ (9) - 石陽消息

    伊東忠太の「留学」辞令 建築家・建築史家の伊東忠太(1867−1954)は、築地願寺や平安神宮、一橋大学兼松講堂などの設計をしたことで知られるが、明治35年(1902)3月から38年(1905)6月にかけて、奇妙な大「留学」をした。 「私は大学院を兎に角一と先づ卒業したが、是非とも少くとも三ヶ年中国から埃及希臘に至る迄、その間の諸邦を訪ひ、日建築史を完成せねばならぬと決心して、時の工科大学長に懇請して見たが、学長は頑として認許されず、曰く『凡そ外国留学の規則は欧米に限る事である、中国より極西亜細亜迄の諸国留学は未だ曾て無き例である』と申さる。私は『外国留学は欧米に限るとは如何と思ふ、何処の邦でも必要あらば行いて留学するに何の不都合ありや』と質問し哀訴したれども承諾されず、数年の後明治三十四年に至つて始めて中国・印度・土耳古・合せて三ヶ年間の留学を命ずる辞令を頂きたるが、同時に『但し欧米

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    sphynx 2016/06/15
  • 留学のいろいろ (8) - 石陽消息

    留学先としての日 逆に、日が留学の対象となることにもなった。国をあげ官民をあげて西洋知識や技術を熱心に取り入れた日は、明治27・28年の日清戦争(1894−95)の頃までには旧文明国中国をしのぎ、アジアに抜きん出る国になっていた。戦争の帰結がそれを示した。同じ漢字国である日は、「洋務」に遅れた中国にとって、格好の留学先になった。距離も近く(上海からなら北京より九州のほうが近い)、物価も西洋諸国より断然安く、人種も同じだ。何より同じ文明圏で、漢字を使っている。 明治の日公用語は漢文訓読体である。戊戌新政が潰えて日に亡命する船上、梁啓超はそのころ人気の小説「佳人之奇遇」を勧められ、おもしろいので読むそばから訳したというエピソードがあるが、たしかに、そのころまったく日語を知らなかった彼でも訳せる。あれは正調漢文訓読体であるから、要するに復文(書き下し文「朋有り遠方より来たる」を原文

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    sphynx 2016/06/15
  • 留学のいろいろ (7) - 石陽消息

    留学しなかった人びと 留学するのはエリートだけではない。選良留学のほかには、まず技術留学がある。文久年間西周らとオランダへ行った職人たちに始まるから、これも伝統ある留学だ。語学習得を目的とするものもここに入る。エリートと真逆の「落第留学」というのも存在する。自国では進学できない者が外国の学校に入るもの。それとは別に、「はみ出し留学」もある。自国の制度に収まりきらない者がする留学。熊楠のなどはここに属するだろう。どら息子連の「遊興留学」ももちろんある。それから、ほとぼりを冷ますための「噂76日留学」。大杉栄殺しの憲兵大尉甘粕正彦のフランス滞在がこれに近いが、ただあれは留学とは言えない。 留学した人々の一方で、留学しなかった人もいる。もちろんいる。した人なんて一握りで、しなかった人のほうが圧倒的に多いのは当たり前だが、留学して当然なほど優秀でありながらしなかった人のことは、見ておく必要がある。

    留学のいろいろ (7) - 石陽消息
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    sphynx 2016/06/15