タグ

ブックマーク / soorce.hatenablog.com (4)

  • 2008-11-09

    Dr.スランプが生まれるまでにボツになった原稿は1000枚くらいです タイトル マンガを描き始めたのは23から 高千穂(以下「高」):鳥山さんのことは、どこにも詳しいことは発表されていないんですよね*1、どういう人で、という事が。 鳥山(以下「鳥」):ええ。 高:では、そのアウトラインから。鳥山明と言うのは名ですか? 鳥:名です。 高:珍しい名前ですけど多いんですか? 鳥:祖母のところでは多いですよ。三河(愛知県)の幡豆はずという所ですけど。 高:出身地は・・・? 鳥:えーと、現在住んでる所です。ずっと定着してるんです。 高:そうすると西春日井郡(名古屋市の北)...。 鳥:はい。 高:いま、お歳は? 鳥:25です。昭和30年*2の4月5日に生まれました。 高:マンガ家になるまでの経過は、そうしますと? 鳥:高校のデザイン科を出て、やっぱりデザイン関係の会社に入りましてね・・・、あまり

    2008-11-09
    style_blue
    style_blue 2008/11/10
    高千穂と鳥山はバイク仲間なんだけど、このインタビューがきっかけだったりして。
  • タイ語版Dr.スランプの翻訳がすごすぎる - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    おはこんばんちは。 海外旅行のお土産にもらったタイ版Dr.スランプ@鳥山明の3巻なんですが、これはすごい。 のタイ語翻訳版。(ってこれジャンプコミックスが現役商品なんですね) 色とかは違いますが絵はそのまんま。(よく見ると「3」って数字が入ってますね) 左右反転はされておらず、日版と同じく右開き。 アラレちゃん、となっているようで、これは多分アニメの方が輸出が早かった影響じゃないかと思います。 幅、高さとも少しづつ長め。背表紙で比較するとかなり薄いです。 定価45バーツなので日のレートで165円くらい。結構安いか。 裏表紙には「SHONEN JUMP」のロゴ。 ジャンプコミックスはバーコードなんかがまだ無かった頃ですか(1980年12月だから、消費税も当然ありません) 表紙折り返しの作者コメントも完訳です。 カバー下は違いますね。 台詞・擬音文字は基的に全てタイ語になっています。が、

    タイ語版Dr.スランプの翻訳がすごすぎる - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
    style_blue
    style_blue 2008/01/17
    自分もタイのお土産に翻訳マンガ(よつばと!&あずまんが)もらった。読めないけど眺めてると面白い。
  • 2007-01-11

    ということで、前回*1の続き。 自社広告を見ると、当時の別雑誌で活躍していた漫画家の名前が色々と出てくるのが面白いところでしょうか。 コメント頂いてる部数の件はもう少しお待ちください。(→2006/01/17に書きました d:id:soorce:20070117:p1) 画像は別ウィンドウで拡大表示(フォト蔵を使用)。開いた先で「元画像」をクリックするとさらに大きい画像が開くものもあります。 次号予告 2色カラーとモノクロの2種類の次号予告。 39号では青い空を、白い雲がかけてった@あすなひろしの第11話目「ビューティフルサンデー」が掲載。 マカロニほうれん荘は巻頭オールカラー。 定価は170円。 月刊少年チャンピオン広告 誌と平行連載をしてる漫画家が多いですね。(★が付いている人) 暴力大将はカットからして戦争編突入後ですか。村生ミオはまだギャグ描いてた頃です。 定価は270円。 ガー

    2007-01-11
    style_blue
    style_blue 2007/01/16
    ああなつかしい…
  • 1982年頃のロリコンブームについて、米沢嘉博と内山亜紀へのインタビュー - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    さて、まずはコメントなどへのお返事。 1980年代当時に言われていた『ロリコン』と、今言われてる『萌え』ってのは同じものか違うものか、と問われますと、私見では「違うもの」です。 ただ、現在の定義において『萌え』はその範囲が広くなりすぎ、当時の『ロリコン』をもまた内包してしまっている、という意味での「違うもの」なのではないかと。 私個人の考えではありますが、「萌え」というのは「愛でる感情の発露」の包括的形容で、接頭語としての萌え(萌え属性、萌え戦車、など)、接尾語としての萌え(メイド萌え、耳萌え、など)、等々広範囲に使われる場合にはまた別の性格を帯びるもの、ではないかと思ってまして、それに比べると当時の「ロリコン」は「二次元美少女萌え」、「キャラ萌え」、「幼女萌え」からあまり大きく逸脱していなかったのではないかと。>id:elenさん。 今回の記事の前後関係ですが、1970〜80年代の関連

    1982年頃のロリコンブームについて、米沢嘉博と内山亜紀へのインタビュー - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
    style_blue
    style_blue 2006/11/11
    岡田斗志夫が昔ロリコンというのはインテリのたしなみだったって言ってたよ
  • 1