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gameと歴史に関するstyle_blueのブックマーク (2)

  • 「ゲンロン8 ゲームの時代」の間違いの指摘 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

    「ゲンロン8 ゲームの時代」、少なくとも、冒頭部の共同討議「メディアミックスからパチンコへ」は無理のある内容です。それについて、具体的な指摘を求める声がありましたので、以下、クリティカルなものに絞ってまとめました。公正を期すため、この原稿は「ゲンロン友の会公式アカウント」(https://twitter.com/genroninfo)にも送ります。 ■ 株式会社ゲンロン御中 岡和田晃と申します。 「ゲンロン8 ゲームの時代」所収の共同討議の具体的な間違い、代表的なものを指摘します。 「出版とゲームが交差したJRPG」(https://genron-tomonokai.com/genron8sp/no1/)の章で、東浩紀氏は、「なぜ北米ではJRPGのような「物語的」で「文学的」なゲームが生み出されなかったのか(……)日のメディアミックスはそもそもが出版社が主導です。メディアミックスがゲーム

    「ゲンロン8 ゲームの時代」の間違いの指摘 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
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    style_blue 2018/06/23
    を、どんどん議論が盛り上がってくのイイ感じ。岡和田氏の指摘の論旨は重々理解できるしその通りだと思うんだけど、あちゃらからは「そーゆー事を言っているんじゃない」と返されそう。にしても…
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終)::Colorful Pieces of Game

    これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ。 たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。 ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。 さて文。 1983年の秋までファミコンの売れ行きを見たハドソンは、これならイケるということで、サードパーティとしてファミコンに参入するべく、まずファミコンソフトの開発ツールを開発してから、任天堂との交渉に臨むことにした。 複数のハドソンの関係者によると、任天堂とハドソンの交渉があったのはハドソンが開発ツールを完成し

    style_blue
    style_blue 2012/02/16
    子供時代に当時をリアルタイムに体験した年代の自分としては非常に読み応えがあって面白いシリーズだった。ほんで、時代の栄枯盛衰もひしひしと感じる。
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