「寒いのとかもうたくさんだ!やってらんねえよ!」と憎まれ口を叩きながら、冬休みはバンコクに逃亡しました。毎朝ホテルから出るときには「ほんとに外は常夏なのだろうか…?上着はいらんのかね?」と身構える気持ちでしたが、タイはほんとに常夏と微笑みの国だった! (夜行便でバンコク・スワンナプーム空港へ) 1日目:バンコクの寺めぐりと虫屋台 2日目:電車でアユタヤ遺跡群へ 3日目:カンチャナブリへの現地ツアー。泰麺鉄道とタイガーテンプル 4日目:象に乗って王様気取り。バンコクに戻り、黄金仏・チャイナタウン・水族館 (翌日、昼行便で日本へ) このような感じで、いつ終るとも知れぬ旅行記を書きます。皆さんも毎度大長編を読まされてウンザリかもしれませんが、いちばん大変なのはわたしであることを常に忘れないでほしい!(得意技は被害者ヅラです!!) スーパーハイテンションな王宮、ワット・プラケーオ ホテルはBTSの
http://www.nytimes.com/2011/01/28/world/asia/28generation.html 敬称略。 東京 ― ホリエケンイチは有能な自動車エンジニアだった。日本ではこのような若い人材が、ハングリー精神あふれるライバルの中国や韓国と渡り合い、現在の地位を保つために必要とされている。30代前半のとき、彼は主要自動車会社に勤めており、先進的バイオ燃料のデザインによって評価を得ていた。 しかし、多くの日本人のように、彼は非正規労働者だった。時限付き(temporary)契約のもとで、雇用保障もほとんど無く、そのほとんどが40代後半である正規労働者に比べて半分の給料しかもらっていなかった。彼は10年以上正規労働者になろうと努力したが、ついに辞めた。時限付き契約だけではなく、日本そのものを、である。 2年前、彼は中国語を習うために台湾に移り住んだ。 ホリエは語る。「
回教徒にとって聖地はサウジアラビアのメッカですが、聖地がサウジアラビアにあるから国際政治の盟主がサウジか?というと、それはそうではないと思います。 アラブの人たちにとってはサウジではなくエジプトこそが「兄貴分」の存在なのです。 だからその兄貴に何か起きたら、それが中東に与えるショック・ウェーブは大きいです。 説明します。 エジプトは古代文明の歴史もさることながら人口の面でも圧倒的に多いです。だから文化や思想の面でもクリアーなリーダーシップを執っています。 中近東で優秀な学生は大体、エジプトの大学に留学します。 またエジプトは民族主義が湧きおこり、それが欧米の影響力を転覆させるまでに至った、数少ない国のひとつです。 その運動を起こしたリーダーはナセルです。 (出典:ウィキペディア) ナセルは1956年にスエズ運河の国有化を宣言し、イギリスとフランスを運河の運営から追い出します。 ナセルの後を
いま中東で起こっている一連の民衆蜂起はベルリンの壁崩壊とおなじくらいスケールの大きい歴史的な出来事で、最後にはサウジアラビアやアラブ首長国連合などを巻き込む大きな混乱に発展する可能性があります。 中東諸国の多くは少数支配の非民主主義的な政体です。 ひとりのStrong man、ないしひとつのファミリー(一族)を中心にリーダーシップが形成され、それが国家となっているところが多いのです。 乱暴に言えばこれには2つの起源があります。 中東の砂漠にはベドウィン(遊牧民)の伝統があり、いちばん強いリーダーの回りにクランを形成するのが習わしでした。 つまり砂漠の民は地縁的に結ばれているのではなく遊牧民の掟によって結ばれているということです。 もうひとつの起源はオスマン帝国崩壊、中東における「力の真空(power vacuum )」が出来た時、英国のウインストン・チャーチルらが自分の都合の良い国境線を引
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