12月31日(金)23:55~26:00 生放送! 【MC】 山崎まさや・平松政次・三浦綾子(tvkアナウンサー) 【アシスタント】 芦崎愛 球団オフィシャルリポーター 【パネラー】 加地隆雄(球団社長) 浅井信雄(国際政治学者)、森永卓郎(経済アナリスト) 栗原治久(スタジアムDJ)、岡村麻純(タレント) 山内崇、杉浦双亮(360°モンキーズ)、吉川正洋(ダーリンハニー) 大晦日のカウントダウンはtvk1F「ヨコハマNEWSハーバー」で我らがベイスターズを語りつくそう! tvkでは各界のベイスターズファン、野球好き有名人が横浜ベイスターズついて熱く語る 「帰ってきた!激論!ベイスターズナイト」を公開生放送します。 この公開生放送の観覧に抽選でご招待します。 一年の幕開けをベイスターズを応援しながら迎えませんか? 応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。
横浜は16日、2軍の湘南・田代富雄監督が今季限りで退団することを発表した。田代2軍監督は横浜の前身・大洋時代に長年主力選手として活躍し、1997年から横浜のコーチなどを歴任。昨シーズン途中には、休養した大矢明彦前監督の後を受けて2軍監督から1軍監督代行に就任し、残りのシーズンを指揮。今季は再び2軍監督に復帰していた。 ■監督人事は育成の時代 日本のプロ野球界にとって、指導者の育成は常に課題に掲げられているテーマだ。かつての球界では現役時代に多大な実績を挙げた名選手なら無条件に監督に抜てきされるケースが多かったが、現在は選手時代の実績と監督としての適正は別物であるという認識が一般的になり、現役時代に名選手であってもまずはコーチや2軍監督などで指導者としての勉強と経験を重ね、やがて監督に昇格するというケースが増えてきた。 現在の12球団を見渡してみると、北海道日本ハム・梨田昌孝監督やオリック
横浜が佐伯貴弘内野手(40)に、来季の戦力外を通告したことが9日、分かった。92年ドラフト2位で入団。98年の日本一時にはマシンガン打線の一員として、優勝に大きく貢献したが、今季の出場はわずか10試合。9打数1安打にとどまっていた。 球団幹部はこの日の会談で、コーチとして残す考えもないことと、解説者など外部での経験を積んでも、将来的に横浜のユニホームを着られる保証はないことなどを合わせて通告した。チームを思ってのこととはいえ、歯に衣(きぬ)を着せぬ発言をしてきた佐伯を球団は受け入れなかった。 今季初出場を果たした6月19日の阪神戦では、横浜スタジアムのファンから大歓声で迎えられるなど、依然として人気も高く、日本一を経験した功労者でもあるだけに、異例の“絶縁会談”だった。 7月26日に、2軍に落ちた際には島田ヘッドコーチから「1打席にかける集中力を磨いてきてくれ」と言われ、調整を続けていたが
先日、NHKで放送された『球団が消える? プロ野球選手会103日間の闘い』を見た。 '04年、オリックスと近鉄の球団合併騒動をめぐり、日本プロ野球選手会が史上初のストライキを敢行。当時の古田敦也選手会会長と、松原徹事務局長のふたりを主人公に、選手会とNPB(日本野球機構)との息詰まる交渉の模様を、ドラマ仕立てで再現したドキュメンタリーだ。 古田敦也が、オーナーたちとの交渉の席で「おまえは労働基準法を知ってるのか?」などと意地の悪い攻められ方をされる対策として、試合の合間を縫ってカラオケボックスで弁護士と法律を勉強していた、といったエピソードも初めて知ったが、いちばん目頭が熱くなったのは、工藤公康投手(当時巨人)が発言する場面だ。 巨人の選手に松原事務局長が交渉の内容を報告に行ったとき、工藤がみんなの前でこう話す。 「自分たちは何もしてないので、申し訳ないと思っている。でも、
【野球】『左対左 打つの難しいでしょうね』 愛子さまプロ野球初観戦のご感想 1 :雷電φ ★:2009/07/15(水) 03:53:15 ID:???0 皇太子ご一家が12日、神宮球場で行われたプロ野球ヤクルト対横浜戦を観戦された。 愛子さまが球場を訪れ野球を観戦するのは初めて。愛子さまは、皇太子ご夫妻が1次ラウンドの試合を観戦した3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を機に、野球に興味を持ったといい、双眼鏡をのぞきながら熱心に観戦。案内役の若松勉・元ヤクルト監督に「左打者が左投手を打つのは難しいでしょうね」と質問する場面もあった。 ご一家は1点差の接戦を楽しんだ様子で、同席した日本プロ野球組織の加藤良三コミッショナーは「試合後、愛子さまから『とても楽しかった』とおっしゃっていただいた。両殿下とも楽しまれたことはうれしい」と話した。 http://www.tokyo-np.c
わがドラゴンズに関してはどうしようもないと思ってたものの、野本・藤井といううれしい誤算があって首位をキープしている。 一方で、予想通りつーか、誰もが期待したその通りの6連敗スタートしたのが横浜ベイスターズ。 評論家全15人全員一致の最下位予想は壮観ですらあった。 もっとも優勝予想も3人を除いて巨人なんだけどさ。その3人も中日一筋で引退した人の、中日スポーツでの、中日優勝予想だからなー。 4番の村田修一がWBCで負傷して、という要素もあるけど、それ以上にヤバイと思うのは、今のベイスターズには戦う目的ってものがあまりないんじゃないかという点。戦わなくても試合をやってればそれなりに収入もあるしね。 テレビで見る限り、23年前の大洋ホエールズを髣髴とさせる雰囲気を感じるのよ。 23年前、1986年の6月末の大洋ホエールズもひどかったよ。なぜそれが印象に残ってるかといえば、その時の中日ドラゴンズもひ
高卒新人佐藤に19年ぶり開幕1軍チャンス 投内連係プレーで捕手にボールをトスする横浜の佐藤(撮影・山崎哲司) 高卒ルーキー左腕に19年ぶり開幕1軍のチャンスが広がった。横浜大矢明彦監督(60)が22日、21日に1軍キャンプに合流したばかりの高校生ドラフト4巡目の佐藤祥万投手(18=文星芸大府)を「中継ぎで使う可能性もある」と話した。 左の中継ぎ不足というチーム事情がある。現時点で、戦力として確定しているのは吉見だけ。大矢監督はこの日、嘉手納で行われた2軍湘南の練習試合(韓国LG戦)を視察。実績のある左腕山北を見たが、右打者にソロ弾を浴び、2回1失点だった。マットホワイトは肩のはりを訴え、昨オフに左肩を手術し、2軍調整中の那須野についても「体調がパーフェクトではない。考えに入れていない」と言った。 佐藤はこの日、ブルペンでは今キャンプ最多70球を投げ、「気持ち良く投げられました」と1軍の実戦
横浜が大洋と名乗っていた1980年代、俊足巧打の1〜3番打者として人気だったのが高木豊、加藤博一、屋敷要の3選手による「スーパーカートリオ」。当時はチームが低迷していたものの、85年には3人で148盗塁を記録するなどマスコミやファンからの注目を浴びていた。06年7月には試合前のイベントとして、スーパーカートリオと元広島の川口和久、達川光男両氏のバッテリーによる対決(打者は当時四番だった田代富雄・横浜2軍監督)が行われたのだ。 その中でも明るいキャラクターでひときわ高い人気を誇ったのが、加藤博一選手。横浜スタジアムの「ひろかずコール」から「蒲田行進曲」につながる応援は盛大で、逆側のスタンドで見ていても壮観だった。また、親しみやすい性格は82年に去った阪神のファンからも愛され続けていたのだ。 加藤さんの人気は90年に引退した後も衰えず、フジテレビの野球解説に就任。「歌って踊って笑いの取れる野球
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