大阪連続バラバラ殺人事件(おおさか れんぞくバラバラさつじんじけん)とは、1985年(昭和60年)5月から1994年(平成6年)3月までのおよそ9年間、大阪府大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件。少女以外の遺体はすべてバラバラにされた(バラバラ殺人)[3]。 一連の連続殺人事件は警察庁により1995年(平成7年)6月12日付で「警察庁広域重要指定122号事件」に指定された[1]。事件当時、大阪府警察は本事件を「グリコ・森永事件と並ぶ最重要課題」と位置付けて捜査した[4]。 事件[編集] 加害者の男K・Yは1940年(昭和15年)7月10日生まれ[5]・愛媛県大洲市出身[6]。旅館経営者の息子として生まれ、地元で結婚して割り箸を旅館に卸す仕事などをしていたが、妻と死別してからは2人の子供を連れて事件の約15年前に西成区へ移住した[6]。盗品を飲食業の女性たちに破格の値段で販売して生