東京・神田に生まれる。 第一高等学校、東京帝国大学医学部卒業。東京帝大伝染病研究所に入る。戦時中は海軍の軍医として東南アジアの国々を回る。その間、ペナンや海軍軍医学校で蚊の研究を行う[1]。 戦後、東大伝染病研究所に復帰。蚊やダニの研究に従事。その後、家の中のダニや野外のツツガムシなどに関心を広げる。1948年に第1回ロックフェラー財団留学生としてジョンズ・ホプキンズ大学に留学[1]。当時の日本は占領下で外交権を失っており、アメリカに駐在する日本の外交官も存在せず旅券法も公布されていなかった。戦後から発行されるようになった日本国旅券の番号は80番であった。 1958年(昭和33年)東京大学教授となり、1968年(昭和43年)東京大学医科学研究所長(第13・14代)。1976年(昭和51年)に東大を退官。1977年(昭和52年)10月国立公害研究所長(1980年1月まで)[2]。1979年(