TAKESANさんのところの批判の仕方の話と科学的方法に関する話に目を通しつつ、丸山眞男を引用。丸山 (略)下意識のものをコントロールするってのは、例えば、よく近代人が--僕は、それは非常に一方的だと想うけれども--、近代のそういった考え方の中にある、ある科学主義の考え方は、僕はやっぱり、神を僭称するんだと想いますね。神を僭称するってのは、下意識的なものを、合理化しようとするんです。というのは、非合理的なものを人間から駆逐しようとするんです。これは、人間が神になる、神を僭称しようとしてるんです。だから、科学的精神と科学主義とは非常に違うんです、僕に言わせれば。科学的精神とは、科学の限界を知ることなんです。科学で万事解決できるというのが科学主義。これは人間が神を僭称することなんです。ニュートンが、「俺のやったことは浜の真砂の一粒を……」なんとか「……やってるにすぎない」とか言ってるでしょ。つ
NESファン、テルミンファン必見。 スーパーマリオブラザーズのテーマを、テルミンで奏でる動画です。抑制の効いた演奏の主は、テキサス出身の音楽家ランディー・ジョージ(Randy George)氏。 テルミンって何よ? ギズではお馴染みのアイテムですけど、テルミンはロシア1919年の発明品で、世界最古の電子楽器のひとつに数えられます。幽霊の声みたいな揺らめく音色が素敵でしょ? アンテナ周りで手を動かしてるのは、別に拍子とってるんじゃなくて、これで音の周波数と振幅数(音程と音量)を調節してるんです。 ランディーさんは今ちょうど、テルミンのクラシック曲を集めたアルバムのレコーディング中という話ですけど、YouTubeで当たったGnarls Barkley「Crazy」のオリジナルバージョンもボーナストラックに入れてくれるのかな? 気になるところです。 「Crazy」と言えば、こんなチンドン屋風のも
北京五輪メーン会場「国家体育場(National Stadium)」で行われた開会式で、入場する中国選手団(2008年8月8日撮影)。(c)AFP/WILLIAM WEST 【8月12日 AFP】ドイツ人心理学者らの実験が正しければ、深紅のユニフォームに身を包んだ中国の選手団は非常に有利かもしれない。審判が赤いユニフォームを着た選手寄りの判定を下す傾向があることが、実験の結果わかったからだ。 ミュンスター大学(University of Munster)の3人の心理学者は、テコンドーの複数の審判に、赤のユニフォームと青のユニフォームを着た2人の選手の試合をビデオで見てもらい、42の試合それぞれについて判定してもらった。 次に、選手のユニフォームの赤と青をデジタル処理で入れ替えた同じ試合を見てもらい、同様に判定してもらった。 すると、各選手が赤と青の両方を着ていたことになるにもかかわらず、赤
池内了『疑似科学入門』の血液型性格判断への言及について、血液型性格判断擁護者としてとても有名なABO FAN氏から具体的な指摘が出ています。実際のところ『疑似科学入門』にはこの手のダメな批判が散見されるので、私も「論じている対象に詳しくないために生じた「事実誤認」「ダメな批判」「間違い」が散在しているように見える。」と以前のエントリで指摘しています*1。以下にABO FAN氏のコメントを引用します。 さて、やっと『疑似科学入門』を読了しました。 労作でよい本だと思いますが、残念ながら「血液型と性格」に関しては科学的に間違っていると言わざるを得ません。 次は、6ページからの引用です。 −−−−− そもそも人間を4種類だけで分類することなんかできないから、血液型に科学的根拠がないのは自明のことである。 −−−−− しかし、この部分には、心理学者からの反論があります。 −−−−− 菊池聡 不可思
北京五輪女子マラソンに出場予定だった野口みずき選手が、直前になってアクシデントに見舞われている模様である。 * * * 北京五輪前、最後の海外での高地合宿を疲労蓄積を理由に途中で切り上げ、4日に極秘帰国していた女子マラソンのアテネ五輪金メダリスト・野口みずき(30)=シスメックス=が、京都市内の病院で9日も含めて複数回の精密検査を受けていたことが分かった。日本陸連によれば疲労の原因を探るためとしているが、直前の精密検査は欠場も危ぶまれる異常事態。10日に京都市内で現状を報告するため緊急会見することとなった。 史上初の五輪連覇を目指す野口に急ブレーキがかかった。4日の極秘帰国に続いて、MRI(磁気共鳴画像)による複数回もの精密検査を受けていたことが判明。“ただならぬ事態”に日本陸連の沢木啓祐専務理事(64)は「腰、でん部から下のいろいろなところを検査した。入院した事実は
小学校の算数はウソである。中学・高校の数学もウソだ。 そもそも「1」なんてものは、ないのであって、これはまさに形而上学的な(運動を止めた)概念でしかない。 だから児童生徒が数学嫌いになって当たり前である。 ウソだから、嫌いになるのだ。 しかし、買い物をするときの算数は本物である。小学校のとき、グループに分かれてままごとみたいに買い物ごっこをやった。あれならどうにか本物の算数(の疑似体験)と言ってよいだろう。 小学校5〜6年生で習うのだったか、鶴亀算や流水算なんて、いかにも鶴、亀、川などの実体があるかに見えるが、あんなものは実像ではない。考えてみれば、恐ろしいことである。 鶴と亀が合せて6 匹います。足の合計2 0 本でした。鶴と亀はそれぞれ何匹いますか?なんて、動物園に行ってもそんな変なシチュエーションはあり得ない。 ちなみにこの鶴亀算をどう解くか。小学生時代を思い出していた
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