イギリスに作曲家が生まれなかったのはなぜ イギリスの作曲家としてエルガーが有名ですが、彼が登場するまではバロック期のパーセル以来有力な作曲家が輩出しなかったと聞きました。イギリスが他のヨーロッパ諸国と比べて作曲家が育たなかったのはなぜでしょうか。エルガー自身も作曲は独学と聞きましたが・・。 エルガーもそうですが、ホルストの曲もメロディーが際立っていて、クラシック初心者の私などにはとても聞きやすいのです。後にビートルズを輩出するこの国の音楽背景には何か秘密がありそうなのですが・・。
今回はドイツレクイエムそのものについて書いて見たいと思います。 1.「レクイエム」について ドイツレクイエムに入る前に、少しレクイエム一般論を書かせてもらいます。 カトリック教会の死者のためのミサ曲が、その第1曲目、入祭頌の出だしが“Requiem eternam”(永遠の安息を…)という言葉によっていることは、ご承知のことと思います。ここで注意をしてほしいことは、この後に続く言葉が、“dona eis domine”で、通して訳すと「主よ、永遠の安息を彼に与えたまえ。」と言う意味で、死者の霊そのものに呼びかけるのではなく、神に祈ると言う点です。この点が、わが国で主流の仏教や神道が、死者の霊そのものが自らの意思を有するかのように、死者の霊そのものに呼びかけるのとの大きな差です。キリスト教では、神は全知全能であり、死者の霊もその神のコントロール下にあるという考え方です。わが国では、レクイエム
ブラームスの合唱+管弦楽の大傑作、ドイツ・レクイエムを演奏する機会に、その曲の構成と歌詞について掘り下げて調べたことをまとめたものです。ブラームス独自の人生観(あるいは死生観)によって編纂された歌詞をじっくり読むと、曲が一層味わい深くなるのではないかと思います。 曲の概要 曲名 ドイツ・レクイエム 作品45 Ein deutsches Requiem für Soli, Chor und Orchester op. 45 作曲時期 1856?/68 初演 1867-12-01@ウィーン:ヨハン・ヘルベック指揮 (第1~3曲) 1868-04-10@ブレーメン:ブラームス指揮 (第5曲を除く) 1869-02-18@ライプチヒ:カール・ライネッケ指揮 (全曲) 楽章構成 第1曲: Selig sind, die da Leid tragen 第2曲: Denn alles Fleisch i
ベートーベン(a.k.a.ベートーヴェン)の第九フィナーレで歌われるシラーの詩には、"und der Cherub steht vor Gott!"と天使ケルブ(ケルビム)が登場します。現代におけるケルビムのイメージが《キューピット》に近いために、ここは「少年天使が現れる」と訳されたりもしますが、本来ケルブとは強面の天使。詩の意味を理解する助けとして、ケルブが文献などでどんな風に描かれているかを確認します。 古典文献のケルブ 旧約聖書のケルブ 同時代の文学とケルブ 乙女=ケルビム? ロマン・ロランの読解 “天使”的なケルビム 参考資料 (この文章は、もともと「第九の歌詞と音楽」の一部として書いた注釈を独立させたものです) 古典文献のケルブ 旧約聖書のケルブ ケルブは偽ディオニュシオスによる天使の九階級ではセラフ(セラフィム)に続く第二階級(第九階級がエンジェル)。その姿は、旧約聖書『エゼキ
毎度一杯のお運び、厚く御礼申し上げます。 今日は、一般的にはあまりメジャーではない作曲家ですが、音楽史上欠かすことのできない作曲家、シェーンベルクの代表作「浄められた夜」をご紹介します。 実のところ、シェーンベルクという作曲家の代表作は、専門的には「月に憑かれたピエロ」とか、「5つの管弦楽曲」とか、「予感」とかがあるのですが、私が思うに、それらの作品は和声法とかの普遍的原理から脱線した作品なので、<かつて聴かれず、今も聴かれず、また後も聴かれることはない>でしょう。 しかし、この「浄められた夜」は、彼が音楽史上の革命を起こす前の初期の作品で、伝統的な作法=和声法とか対位法とか管弦楽法にほぼ準拠して作られた作品である上に、彼の才能とキリスト教発祥以来、ヨーロッパの地で培われた精神の精髄を遺憾なく発揮してあまりある作品であると思います。 原曲は弦楽6重奏だったと思うのですが、後に弦楽オーケスト
ミサとミサ曲 <ミサ> ミサmissa(ラテン語)という語は、ミサ典礼の終りに司祭がいう言葉“Ite,missa est”から由来する。直訳すれば“行きなさい、あなたがたは遣わされています”という意味になる。ミサ典礼の終了を告げる派遣のことばがミサの名称になった。また、ミサはキリスト教典礼の中心的な礼拝で、一般にローマ・カトリック教会や正教会において用いられる語である(他のキリスト教諸派でも用いる場合がある)。ミサは、キリストの救済行為を、最後の晩餐のことばを中心にパンとブドウ酒のしるしによって記念し、再現する典礼である。 第2ヴァチカン公会議(1962〜65)において画期的な教会刷新が行われ、典礼については従来のラテン語にかわり、諸民族の言語が用られるようになった。信徒の典礼理解と積極的参加の促進のためで、わが国では原則として日本語が用いられているが、原典の規範版テキストはラテン語
クラシック音楽の中には多くの「物語」を持った作品があります。モーツァルトの「レクイエム」やベートーヴェンの「第九」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などにまつわるエピソードは、誰もがすぐに思い当たるのではないでしょうか。そんな数かぎりないエピソードのなかでも、メシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」が持つ逸話は、特に有名なもののひとつに挙げられます。 「世の終わりの為の四重奏曲 Quatuor pour la fin du Temps」(1941) は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908−1992)の代表作であるとともに、20世紀の室内楽においても最もポピュラーな作品のひとつと言えるでしょう。敬虔なカトリックだったメシアンが、ヨハネの黙示録に想を得て作曲した作品です。編成はヴァイオリン・クラリネット・チェロ・ピアノで、作品を構成する8つの楽章のうち、4曲が四重奏のために書かれ、残
音楽史たん@開始 @musetta_ficta 【中世初期】各地で様々に歌われていた聖歌の整理・統一を試みたのが、教皇グレゴリウス1世(590-604)。その名を残す「グレゴリオ聖歌」は、カール大帝(768-814)による強力な推奨により大帝の勢力圏内の聖歌を統一しました。以降現代に至るまで各教会で重要な地位を占めていますね。 音楽史たん@開始 @musetta_ficta 【中世初期】「グレゴリオ聖歌」の登場をもって狭義での西洋音楽史の始まりと捉える人も多いと思います。初期教会以来の伝統で、グレゴリオ聖歌においても楽器伴奏は禁止、派手な歌唱も禁止。始まりはシンプルな単旋律聖歌です。https://t.co/RWXu6x6Iy3
むかし、ヨーロッパ留学していた学生時代の友人が久しぶりに帰国したので会ったとき、その第一声が「いいなあ、音楽が出来るやつは…」だった。 理工科系エンジニアとしての留学なので、音楽の素養など全然関係なさそうだが、ちょっと人が集まるパーティなどでは必ず「何か歌って」という話になる。特に、日本から来たということになると「何か日本の歌を聴かせて」という声が必ずあがるのだそうだ。 そこで、初めてポップス以外の日本の歌をほとんど知らない自分に気付き、リクエストに応えて(日本では一度も歌ったことのないような)「サクラ、サクラ」とか「五木の子守歌」とかをうろ覚えの怪しい歌詞で歌ったのだが、死ぬほど恥ずかしい思いをしたという。 それに対して、欧米系の学生は3〜4人集まるとすぐなにやらハモる歌が歌えるのだそうだ。それも、子供の頃から勉強一筋で音楽にも楽器にもまったく縁遠かったというような(彼と同じ側にしか思え
誰もが一度は疑問に思う謎 一週間はなぜ七日か? 誰もが一度は疑問に思うらしく、ネットを探すといろいろそれらしい答えがある。どれも的外れとも言い切れないが、「なるほどそれが解答か」と合点のいくものもなさそうだ。残念ながら、このエントリも解答を提示するわけではない。が、このところのミトラ教関連エントリの文脈で言及しておこう。 その名の通りの本がある。ダニエル・ブアスティン著「どうして一週間は七日なのか」(参照)である。「The Discoverers(Daniel J. Boorsti)」(参照)を邦訳し、分冊した本だ。合本の「大発見 未知に挑んだ人間の歴史」(参照)もある。この本は私が20代の頃、米国でベストセラーとなったから、私の年代の知識人は大半が読んでいる。「一週間はなぜ七日か?」という疑問も、そのあたりで収束したとも言える。同書はどう書いていたのか。 なぜ一週間は七日なのか? 古代ギ
前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ 4)言葉と音楽 5)トランス 6)古代メソポタミア 7)古代エジプト 8)古代インド 9)古代中国 10)古代ギリシア 11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について 13)ササン朝ペルシャ 14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断 15)中世前半の西ユーラシア 16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来 18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア 20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌 22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌 24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム 27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」 前回その音楽を聴いた「元」朝は、マルコ・ポーロ(リン
前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ 4)言葉と音楽 5)トランス 6)古代メソポタミア 7)古代エジプト 8)古代インド 9)古代中国 10)古代ギリシア 11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について 13)ササン朝ペルシャ 14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断 15)中世前半の西ユーラシア 16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来 18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア 20)日本固有(?)の古歌 21)諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌 22)平曲と能楽:付)発声法について グレゴリオ聖歌の概略を綴ってからだいぶ開いてしまいました。 「昔は良かった」は、老人の口癖。 「今はとんでもない」は若者の認識? 話がいきなり逸れますが、日本では、明治から最近まで「江戸時代は悪い時代だった、だからこそ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く