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音楽史に関するushiwatatのブックマーク (151)

  • 「運命と呼ばないで」アフター・エピソード~リース「ヴァイオリン・ソナタ」

    ♪2015.3.25 NEW RELEASE♪ リース: ヴァイオリン・ソナタ Op.8-1, Op.8-2, Op.19 収録: ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 Op.8-1 ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 Op.8-2 ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 Op.19 ●Introduction 奇しくも3月下旬という卒業の時期に、リースのこの新譜を日国内でリリースできることを、「運命と呼ばないで」ネーム担当として、またリースのきわめて個人的な1ファンとして、ちょっとしたユニークなめぐりあわせのように感じています。まだつぼみの堅い桜の木の下で、笑顔と涙と解放感に彩られた表情で校門を後にする学生たちの姿に、師ベートーヴェンから巣立ちウィーンの城門をあとにする20歳のリースの姿を重ねるとするなら、このアルバムに収められた21~25歳の頃に書かれたヴァイオリン・ソナタは、まさに彼の「卒業」後の進路のあ

    「運命と呼ばないで」アフター・エピソード~リース「ヴァイオリン・ソナタ」
  • フェルディナント・リース - Wikipedia

    フェルディナント・リース(Ferdinand Ries, 1784年11月29日受洗[1] - 1838年1月13日[2])は、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ベートーヴェンのピアノの弟子であり、晩年に師の回想録「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」を執筆したことで知られる。 ピアニストとしてキャリアをスタートし、終生にわたり作曲家として活動。交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ曲、室内楽曲、オペラ、オラトリオなど、未出版作品を含め約300曲の作品を残した。作品の多くは死後に忘れ去られていたが、近年、急速に録音が進み、研究活動も活発化している。ベートーヴェン作品に強く影響を受けた古典派様式から出発し、初期ロマン派からロマン派に至る作風を呈している。 生涯[編集] 出自、出生およびボンでの少年期(1784年-1801年)[0歳-16歳][編集] リースの生家があったボン小路。ベート

    フェルディナント・リース - Wikipedia
  • 「運命と呼ばないで」刊行に寄せて…”フェルディナント・リースという音楽家について”

    「ベートーヴェン4コマ劇場 – 運命と呼ばないで」刊行に寄せて。 フェルディナント・リースという音楽家について ~ありのままであること、強くあること。~ written by ネーム担当@ナクソス・ジャパン ~フェルディナント・リース(Ferdinand Ries 1784-1838)略歴~ 1784年11月、宮廷音楽一家の長男としてドイツ・ボンに生まれる。 (ベートーヴェンより14歳下。フィールド、パガニーニ、 シュポア、ウェーバーと同世代) 幼少期よりピアノ、ヴァイオリン、チェロを習う。 1801年10月、ウィーンでベートーヴェンに師事。 その後、世界各所へピアニストとしての演奏旅行を経て 1813年よりロンドンで活躍。 1824年にボンに戻ったのち、フランクフルトに在住。 作曲家としてはピアノ曲からオペラまで、全ジャンルにわたって作品を残す。 晩年、「ベートーヴェンに関する伝記的覚書

    「運命と呼ばないで」刊行に寄せて…”フェルディナント・リースという音楽家について”
  • 新交響楽団ホームページ: 伊福部 昭:シンフォニア・タプカーラ

    今から36年前、新響が日の「改訂版」を初演したプログラム冊子に、当時65歳であった作曲家自身が次のような言葉を寄せている。 作者は、アイヌ語でシャアンルルーと呼ぶ高原の一寒村に少年期を過しました。そこには、未だ多くのアイヌの人達が住んでいて、古い行事や古謡が傳〔伝〕承されていました。 タプカーラとは、彼等の言葉で『立って踊る』と云うような意をもち、興がのると、喜びは勿論、悲しい時でも、その心情の赴くまま、即興の詩を歌い延々と踊るのでした。 それは、今なお、感動を押え得ぬ思い出なのです。 その彼等への共感と、ノスタルヂアがこの作品の動機となっています。(以下略) この一文はその後に頒布されたCDの解説や書籍など各所に引用されているので、どこかで目にした方が多いかもしれないが、作者が少年期を過ごした「シャアンルルー」という地名らしきものが何を意味するか気になっていた。ネットを探せば「十勝平野

  • シンフォニア・タプカーラ曲目解説

    第145回演奏会(94年10月)プログラムより 伊福部 昭:シンフォニア・タプカーラ(1979年改訂版) 上原 誠(打楽器) “シンフォニア・タプカーラ”あるいは“タプカーラ交響曲”は伊福部昭の作曲活動の集大成である、と私は考えている。その理由として、まずこの曲が三浦洋史(現・評論家)に捧げられていることに注目したい。1926年、札幌二中に入学した伊福部が出会った同級生・三浦は、その頃既に抜きん出た音楽通だった。サティー、ドビュッシーといった当時の日では名前すら知られていなかった音楽を次々に紹介し、西洋青楽に目覚めたばかりの伊福部に“超”カルチャー・ショックを与えただけではなく、「音楽をやる以上は作曲以外は無意味」と説いた。伊福部が後に語っている「私を作曲という地獄界に陥れたメフィストフェレス」、すなわち作曲家・伊福部昭にとってかけがえのない人に宛ててこの曲は捧げられている。 [伊福部に

    ushiwatat
    ushiwatat 2017/07/18
    |この曲はタプカーラという民族性を通して大地礼讃という共通の人間性を高らかに歌いあげたもの、すなわち伊福部の信念そのものの表れである|
  • クラシック音楽ベストワン - 仕事の日記

  • スカルラッティの音楽の特徴

    1. 資料と体験 1.1 音楽書から スコット・ロスの全曲録音の解説から抜粋して、スカルラッティの音楽の特徴を記す。 鍵盤空間 手の交差 手の素早い移動 リズム 弱拍のアクセント シンコペーション オスティナート アクセント アッチャカトゥーラ(装飾音+アクセント) クラスター 音楽の流れ 無窮動 意表を突く音楽の中断 管弦楽 反復音 トランペット、または狩のホルン 転調 長調と短調の交替 遠隔調への転調 突然の全音上昇/下降 名技性(ヴィルトゥオージティ) 音階 アルペジオ 重音 古代様式 協奏曲形式 ポリフォニック様式 通奏低音つき歌曲形式 8つの観点から、計20種類の特徴があるということだ。 この中から、あるいは別の観点から、いくつかの話題を記す。 1.2 体験 実際にスカルラッティのソナタを見て今更ながら感じたのは、 終止がほとんどオクターブであることだ。つまり、その曲が長調で終わ

  • ドメニコ・スカルラッティ

    1. 概観 ドメニコ・スカルラッティは1685年10月26日、ナポリで生まれた。 生年はバッハやヘンデルと同じである。 父は歌劇・歌曲で有名なアレッサンドロ・スカルラッティ。 没したのは1757年7月23日、マドリードでであった。 クラシックのピアノを習った人なら、スカルラッティという名前は知っているだろう。 書いた鍵盤楽器の全演奏時間はショパンのそれを優に超える。 数が質を決めるといういい例ではないかと思う。 リズム、和声、旋律、どれをとっても際立っている。凡作もたくさんあるのがさすがである。 2. きっかけ 私がスカルラッティにひかれるようになったのは16歳のころである。 それまでも NHK 教育テレビのピアノのおけいこで、テキストの中にのっていたのがあった(K.1, L.159)が、 そのときは特に気をつけて見ていなかった。 アンドラーシュ・シフの来日初公演のアンコールをラジオで聞い

  • ジャン=フィリップ・ラモー

    ジャン=フィリップ・ラモーは、J.S.バッハ(1685-1750)やヘンデル(1685-1759)と同世代の、18世紀フランスにおける最大の作曲家及び音楽理論家です。その作品も音楽理論も、後世に多大な影響を与えました。 ルイ15世(1715-74在位)時代ののロココ趣味を反映したラモーのクラヴサン曲は、ベルリオーズやドビュッシー、ラヴェルなどのロマン派~後期ロマン派のフランスの作曲家に高く評価され、18世紀後半から現在まで、研究や演奏が頻繁に行われて来ました。 けれど、ラモーが最も力を注いだオペラの多くは、リュリやシャルパンティエと同様に、20世紀も後半になってようやく再演されるようになり、やっと、録音でも気軽に聴ける状態になりつつあります。 従って、専門家以外の人間が、ラモーの音楽家としての全体像をつかめるようになったのは、ごく最近の事だと言えるでしょう。実際、ラモーがなぜ偉大なのかを具

  • Book Review: Adelaide de Place

    アデライード・ド・プラース著, 長谷川博史訳 『革命下のパリに音楽は流れる』 (春秋社, 2002年) フランス革命の時期に、人々は音楽を聴く余裕などあったのだろうか? 書を読むまで評者は革命期の音楽について何も知らなかったし、また、この時代に多彩な音楽活動が繰り広げられていたことなど予想もしていなかった。実際、フランスの音楽史においても、1764年のラモーの死からベルリオーズがデビューする1830年までの時期は、不毛な「空白期間」と位置づけられるのが一般的なようである(9-10)。 だが、書の著者、ド・プラースの説明によれば、革命期は音楽の社会的機能が飛躍的に拡大した時期であった。一般人の大部分が読み書きできなかったこの時期においては、例えば、シャンソンが政治的なメッセージを伝達する有力な手段として用いられたのである。1790年5月、「パリ通信(クロニック・ド・パリ)」のコラムには、

  • ジョン・デランシーの花時計 - おやすみ、へたりうし ~farewell, downer cow

    2024.05 « 123456789101112131415161718192021222324252627282930 » 2024.07 ジャン・フランセをご存知だろうか? 1912年生まれのフランスの作曲家で、管楽器を中心とした室内楽作品集などで稀にその名前を見掛けることがある。瀟洒で品の好い、耳に心地好くさわるその音楽は、残された若き日の肖像写真の(ジブリ映画の〖風立ちぬ〗の主人公のモデルのひとりとなったと思しき堀辰雄のごとき丸メガネの)、俯きがちな瘦躯と相俟って馨しき文学的な芳香を放っている。 たとえばルトスワフスキのごとき音楽を凝り固まるようにして聴き続けた耳で聴くと、何んと言ったらいいのだろう、“創造的な10年”を、大戦前夜から50年代にかけてにむかえたのかも知れない同時代的な音楽であるにしては、吃驚するほど、まるで別な時代背景を背負っているように印象の異なる音楽だが、これ

    ジョン・デランシーの花時計 - おやすみ、へたりうし ~farewell, downer cow
  • ヴェネツィア楽派とガブリエリの音楽: 音楽史探訪

    ヴェネツィアではイタリアの音楽復興のため、フランドルからアドリアン・ヴィラールト(1480~1562)が聖マルコ教会の楽長として招聘されて以来、アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli 1510?~1586)らの、ヴェネツィア楽派と呼ばれる優れた音楽家群を輩出していました。 特に、アンドレア・ガブリエリの甥にあたるジョバンニ・ガブリエリ(Giovanni Gabrieli 1557~1612)は、初めて楽譜に強弱記号が書かれ、また演奏すべき楽器の指定がされた最初の曲である<ピアノとフォルテのソナタ>の作曲者として知られています。 ジョバンニ・ガブリエリの曲では、音量大小の対比、声楽と器楽の対比、小合奏と大合奏の対比といった様々な対比効果、二重合唱によるステレオ的な効果などを用いたダイナミックな表現が、ふんだんに盛り込まれています。ガブリエリがこのような音楽を創り出したのには、

  • Mozart con grazia

  • 「曲解」シリーズ第3回

    第3回 家庭人ショスタコーヴィチの選択 ~交響曲第5番に聴く「愛の旋律」?~ 唐突だが、私は今年で31歳になる(1999年現在)。昨年結婚もした。 ところで、私の尊敬する作曲家ショスタコーヴィチは、1937年、最高傑作と見られる交響曲第5番を完成させた。まさに31歳であった。 題名すら知らなかった小学校高学年の頃より、すでに20年のつきあいとなる、この作品を鑑賞しながら、思考をめぐらすのもなかなか感慨深い今日この頃である。 さあ、例によって、また、根拠薄弱な、「曲解」が始まろうとしている。31歳のショスタコーヴィチについて、31歳を目の前にした私が何を思ったか、綴ってゆこう。 <1> 交響曲第4番撤回の謎 交響曲第5番を語る上で絶対はずせないのが、作曲の1年前の出来事、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」及びバレエ「明るい小川」のプラウダ批判(共産党機関紙上の公的批判。彼には「人民の敵」の

  • ショスタコーヴィチ交響曲第5番

    D.SHOSTAKOVICH:SYMPHONY No.5 in D minor ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 ~はじめに~  ~作曲背景および作品紹介~  ~第4楽章の意味するものは?~ ~演奏の違いについて~  ~さいごに~ ~はじめに~ 「ショタコーヴィチの音楽は特別な世界であり、そこに入り込むのは容易ではない。独自な旋律法、切り詰めた技法、クライマックスへの長い準備、複雑な和声法と対位法など、これらすべてが聞くものの緊張した思索の働きを求め、無自覚に演奏会へ来ることを拒む。彼の音楽がもつ巨大な力ゆえに、簡潔に理解される『美しい』という概念を、それに当てはめることはできない」    (K.KONDRASHIN) 旧ソ連において最初のショスタコーヴィチ交響曲全集を録音完成させ、また作曲家自身にも信用され交響曲第4番や第13番をはじめいくつかの作品の初演をまかされた指揮者、キ

  • 日本作曲界の巨星・早坂文雄の悲痛なピアノ協奏曲を聴け!(その2) - 佐藤景一の「もてない音楽」

    その1よりつづき 香港のナクソスNaxosレーベルが出している、 なんと一枚1000円という日人作曲家の 作品集、「日作曲家選輯(せんしゅう)」は、 一枚ごとに大きな話題を集めています。 今回はその最新盤のお話をしています。 黒澤明「七人の侍」の音楽を手がけた 巨匠・早坂文雄(はやさか・ふみお1914〜1955) の芸術音楽(純音楽)作品についてです。 興味のある方は、その1からお読みください。 →id:putchess:20051214 今回紹介しているCD 【タイトル】 日作曲家選輯Japanese Classics 早坂文雄Hayasaka Humiwo (香港・ナクソスNaxos 2005) 【曲目】 1.ピアノ協奏曲(1948) 2.左方の舞と右方の舞(1941) 3.序曲ニ調(1939) 【ミュージシャン】 ピアノ独奏:岡田博美(おかだ・ひろみ) 指揮:ドミトリ・ヤブロン

    日本作曲界の巨星・早坂文雄の悲痛なピアノ協奏曲を聴け!(その2) - 佐藤景一の「もてない音楽」
  • 伊福部昭の豪快な処女作を聴く!(後編) - 佐藤景一の「もてない音楽」

    「ピアノ組曲」(1933)について (前編から続き) 一般には「ゴジラ」の作曲家として知られる 伊福部昭19歳の処女作、「ピアノ組曲」のお話しをしています。 興味のある方は、まず前編をお読みになってください。 (前編はこちら→id:putchees:20050611) 開拓期の北海道での幼少期 伊福部昭は、北海道は釧路に生まれ、 音更(おとふけ)という村*1で育ちます。 生年は1914年ですから、大正のはじめのころです。 東北地方からの開拓民が多くいた土地で、 彼は幼少の頃から東北各地の民謡などに親しみます。 そして音更には、アイヌのコタン(村)がありました。 伊福部少年はほかの和人の少年たちと違って、 アイヌの子供たちと分け隔てなく遊ぶのですが、 そのとき「民族が違うと、美観などの感性が決定的に異なる」 ということを肌で知ります。 たとえば、音楽の感性の違いです。 音を組織化する意識が、

    伊福部昭の豪快な処女作を聴く!(後編) - 佐藤景一の「もてない音楽」
  • File:Bourrée d'Auvergne.jpg - Wikimedia Commons

  • (10)パガニーニハ:24の奇想曲 作品1 | クラシック音楽への第一歩

    ヴァイオリンという楽器をたどっていけば絶対に外すことの出来ない作曲家、それがパガニーニです。 ただし、クラシック音楽歴史においてパガニーニの評価はそれほど高くないように見えます。とりわけ、精神性が優先されるこの国においては、名人芸だけの、中味が何もない音楽を書いた人という見方がまかり通っています。 例えば、彼の代表作の一つであるヴァイオリン協奏曲に対して、音楽之友社発行の「名曲解説全集」では「難しい技巧を十分に使った華やかな巨匠的協奏曲」であり、「いたるところに歌うような美しい旋律を見せている」としながらも「ただそれだけのことで、深みもなければ、新鮮な和声もなく、形式は単純である。(門馬直美氏)」と一刀両断されています。 精神性が優先されるこの国では、「高い精神性を持った崇高な音楽」であるクラシック音楽というものは、聞いていても何が面白いのか分からないよう時間をひたすら我慢して、それ

  • イギリスに作曲家が生まれなかったのはなぜ - イギリスの作曲家としてエルガーが有名ですが、彼が登場するまではバロック期の... - Yahoo!知恵袋

    イギリスに作曲家が生まれなかったのはなぜ イギリスの作曲家としてエルガーが有名ですが、彼が登場するまではバロック期のパーセル以来有力な作曲家が輩出しなかったと聞きました。イギリスが他のヨーロッパ諸国と比べて作曲家が育たなかったのはなぜでしょうか。エルガー自身も作曲は独学と聞きましたが・・。 エルガーもそうですが、ホルストの曲もメロディーが際立っていて、クラシック初心者の私などにはとても聞きやすいのです。後にビートルズを輩出するこの国の音楽背景には何か秘密がありそうなのですが・・。

    イギリスに作曲家が生まれなかったのはなぜ - イギリスの作曲家としてエルガーが有名ですが、彼が登場するまではバロック期の... - Yahoo!知恵袋