タグ

音楽と随筆に関するushiwatatのブックマーク (11)

  • 担任がイエモンの吉井和哉と知り合いだったらしいんだけどさ・・・・・・ - オトニッチ

    その先生は嫌われていた 自分が中学3年生の頃の担任は、驚くほどクラスのみんなに嫌われていた。 何故嫌われていたかというと、まず見た目が悪かった。 ハゲてる。 青ひげが目立つ。 申し訳ないが、顔もかなりブサイク。 思春期の中学生には中年でその見た目だと、それだけで嫌われる。 あと生徒に対して厳しかったことも嫌われていた理由。 制服を少しでも着崩していれば呼び出され、遅刻をすれば怒鳴られた。 もちろん、生徒が悪いことなのだが、思春期の中学生だ。 反抗したい年頃の生徒たちは、厳しい教師を嫌わざるを得ない。 でも、自分はその担任が嫌いではなかった。 好きというわけでは無かったけど、そこまで嫌な奴でもないだろうなと思う程度だけれど。 それは、担任が音楽の教師で音楽の話をよくしてくれたからだ。 しょっちゅう音楽の話をする担任 放課後のホームルームでは担任が話をする事が多かった。 音楽の教師だった担任。

    担任がイエモンの吉井和哉と知り合いだったらしいんだけどさ・・・・・・ - オトニッチ
  • F. グルダ作曲の「アリア」の楽譜 - 巣窟日誌

    結論からいえば、1990年の「グルダ・ノン・ストップ」におけるグルダ自身のピアノソロの演奏に基づいた、かなり忠実な書き起こし。購入に約2000円を費やしたが、この楽譜を探していた人は、買って損はしないと思う。 フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda)(1930-2000)はウィーンのピアニスト、作曲家。クラシックとジャズの両方の分野で活躍した人だ。ただし彼のジャズをジャズと認めない人は多いだろうし、わたしも、あれはジャズという範疇をはみ出してしまっていると感じている。一方、ベートーヴェン、シューベルトや、そして何よりもモーツァルトを弾く彼は、間違いなく「巨匠」である。 しかし、嗚呼、思い出す。グルダに関する暗い思い出を。社会人になって従業員の平均年齢が25歳に満たない会社に入ったとき、周りはクラシックに興味をもつ奴なんてひとりもいなかった。やっと50代の他社からの出向者の中に

    F. グルダ作曲の「アリア」の楽譜 - 巣窟日誌
  • 海賊FMラジオのこと

    ※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。 大阪。1994年の春頃。俺は15歳で高校受験の年だった。 当時は、勉強しながらよくラジオを聞いていた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。 あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。 なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。 ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中

    海賊FMラジオのこと
  • 44年目の『鳥の歌』 - ohnosakiko’s blog

    クラシック音楽の愛好家だった生前の父は、若い頃にバイオリンを齧っていたが、それより好きな楽器はどうやらチェロであったらしい。女の子が生まれたらピアノ、男の子が生まれたらチェロを習わせたかったと(私が女の子だったのでピアノになった)。 もちろん父の一番好きな演奏家は、パブロ・カザルスだった。1971年10月24日、ニューヨーク国連部でのカザルスの演奏を、家族揃ってテレビで見た時のことはよく覚えている。「(私の故郷カタロニアでは)、鳥たちはこう歌います。Peace、Peace、Peace!」。95歳になろうとするチェリストの発言に、父は感極まった顔になった。 そして演奏された『鳥の歌』。原曲はカタロニア民謡で、カザルスが編曲したもの。 それは、当時12歳の私がそれまでの短い人生で聴いたどんなクラシックの演奏とも違っていた。今なんかすごいものを見ている(聴いている)んだ‥‥と思った。 ● 先日

    44年目の『鳥の歌』 - ohnosakiko’s blog
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/05/23
    |誰が弾いても44年前の国連でのカザルスの伝説的な演奏が思い出されてしまう、そういう特別な曲である『鳥の歌』を、千住真理子は渾身で弾いていた||なんと重く、暗く、哀しみのこもった美しい旋律だろうか|
  • 吹奏楽

    横浜市中区 牧山妙香寺。 吹奏楽は愉し 吹奏楽。 吹奏楽はブラスバンド略して「ブラバン」とよばれ、学校の部活などで日ではなじみが深い。しかしブラスバンドは来金管楽器と打楽器のみで構成された合奏形態の事でありブラスとは文字通り真鍮のことで、金管楽器を意味する。 ヨーロッパでは、この来の意味での「ブラスバンド」が主流ときく。サクソルン属が多く加わった、全部金管の、つまり金管(ブラス)バンド。 ところが、日アメリカでは、大量の木管楽器とコントラバスを加え、その分金管もオーケストラに近づけた形が一般的だろう。それは厳密にはウィンド・アンサンブルもしくはウィンド・オーケストラ、またはシンフォニックブラスなどと呼ばれる。 日では吹奏楽といえばそのウィンド・オケを意味するが、ブラバンといっても、ほとんど同じくウィンド・オケを意味する。学校のブラバン部で、来的な欧州式の、サックスもクラリネ

  • http://www.naokotakeda.com/essays/essay1.htm

    ushiwatat
    ushiwatat 2014/03/08
    武田尚子氏。|まさに“I want to be in that number”という気分だ|
  • 今年もよろしく! そして Twitter終了の御挨拶。 - HOTEI official BLOG / 布袋寅泰 公式ブログ

    亡母の喪中につき新年の御挨拶は控させていただきます。 12月。 母の49日に戻れなかったので、100日法要の墓参りは必ずしたいと思い、 娘のスクールの校長先生に日の亡き人へのセレモニーの説明をし許可をもらい、 冬休みを待たず日に帰国した。 明くる日早起きをして東京駅から上越新幹線に乗り、生まれ故郷の高崎に向かった。 娘と二人で高崎に帰るのは初めてだ。 烏川のほとりにあるお寺さんに御挨拶に伺う。 幼少の頃、大きなうねりすら感じた烏川は想像以上に小さく、 しかしその向こうに見える山々はあの頃の光や匂いや温度や切なさを全て思い出させてくれた。 妹たちとタクシーで30分ほど離れた霊園へ。並んだ多くの墓から布袋家の墓を探す。 母が入った墓は以前とは違って愛おしく、水をかけて洗う作業も、 なんだかベッドの上の母の手をさするような気持ちに似ていた。 「お母さん、遅れてごめんね。ロンドン、ニューヨーク

    今年もよろしく! そして Twitter終了の御挨拶。 - HOTEI official BLOG / 布袋寅泰 公式ブログ
  • http://campingcar.shumilog.com/2011/10/03/%E3%81%A1%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%BF-%E3%80%8E%E5%96%9D%E9%87%87%E3%80%8F/

    ushiwatat
    ushiwatat 2013/11/14
    ヨナ抜き音階を調べてたら突き当たった。
  • シャッフル再生と私 - アンカテ

    私は、音楽を聞く時はほとんど常にシャッフル再生で聞く。先日、「いったい自分はいつからこういう聞き方をしてたのだろうか?」と考えて、それが70年代前半であることに気がついた。 「嘘をつくな!」と思った人が多いだろう。1970年代は、アナログレコードとカセットテープの時代で、当然ながら、シャッフル再生などという機能はない。 そのとおり、当時は、自動的にシャッフル再生してくれる便利な機能はまだない。それが出現するはるか前だ。 しかし、私は、マニュアルでシャッフル再生をしていた。 どうやるかと言うと、新品のカセットテープと自分の持っているLPレコードを全部、目の前に置く。そして、目に止まった盤の目に止まった曲を一曲だけ録音する。そしたら、それをしまい、残りのレコードから、また、たまたま目に止まったものを取り出し、一曲だけ録音する。これを繰り返して、90分なり120分のテープを埋める。こうやって「自

    シャッフル再生と私 - アンカテ
  • 音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    作曲家を40年近くやっていると、「音楽家(作曲家)になるにはどうしたらいいでしょう?」と若い人から聞かれることがままある。 もしもそれが「演奏家」の場合は、物心ついたら楽器を演奏していて、日々何も考えることなくひたすら練習と演奏に明け暮れ、気が付いたらなっていた…というものだと思う。「どうしたらなれるか?」と考えるヒマがある、という時点で(きつい言い方をすれば)演奏家への道はないと考えていい。 一方、それが「作曲家」の場合は・・・そもそも最初から「作曲家になりたい」と思うことは極めて稀。普通は「演奏」のレッスンに明け暮れるうち、「演奏家になるのは無理かも知れない」という挫折から起きることが多い(らしい)。 ベートーヴェンは耳が聞こえにくくなったことから、シューマンは手を痛めたことから、シベリウスは人前であがることに気付いてから、それぞれ演奏家の道を断念して、作曲家の道に「転向」している。

    音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    ushiwatat
    ushiwatat 2013/06/02
    仕事としての音楽家・作曲家について。スタジオミュージシャンって大変そうと聞くけど、イメージと実際がそこはかとなく。
  • 友人の回復を祝う | digi-log

    2008-12-24 友人の回復を祝う 「ホームレス」と呼ばれた友人がいる。 中学生の頃の友人である。彼は身だしなみ、殊に頭髪に無頓着であり、同級生は彼の頭を見て「葱坊主」とか「いが栗」「馬糞うに」などと呼んでいた。中学校を卒業する頃には最終的に「ホームレス」と呼ばれていた。 別にいじめとかではない。そこには親しみがあったし(事実、彼を「馬糞うに」と命名したのは彼の恋人であったし、彼女こそが頻繁に彼を「うに頭」「葱坊主」と呼んでいた)、彼は彼で全く身だしなみへの無頓着さを改めようとはしなかったのだから。 そんな彼と久々にゆっくりと酒を飲む機会がこのところ続いている。 実はこの彼こそが私の第一の友人である。コンサルからプライベート・エクイティーの世界へといった友人、メキシコからの友人も大切な、当にかけがえのない友人だが、それでもやはり私はこの「ホームレス」と呼ばれた友人を愛してやまない。

  • 1