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ブックマーク / yayoi-yamazaki.blogspot.com (7)

  • つなぎ合わせること

    一ヶ月ほど前、長く通信が途絶えていたGからメッセージが来た。 Gはユーフラテス川沿いの村の住民である。この村はハッブーバ・カビーラといい、今ではダム湖に水没してしまっているが、当時の考古学の常識を覆す発見をもたらした遺跡があった場所である。遺跡の調査に伴い村人の多くが発掘作業に従事したが、彼女の亡父(アブ・ムルハフ)はその中でも超腕利きの発掘技術者であった。そして、彼と彼の家族は私たちの友人以上の存在であった。 この村一帯は、ここ数年ISに支配され、村人たちは普段の移動も自由には行えなかった。もちろん不自由は移動だけではない。公開処刑強制参観、宗教警察による理不尽な取り締まり等、IS支配下の生活の典型があの素朴な村々で行われていた。Gや彼女の妹は、そういったことを時たま、言葉少なに報告してくれていた。 その後、「IS掃討作戦」により、ISはこの地域から駆逐され、5〜6か月前からアレッポとユ

  • 犯罪者

    もう一人の学生の話。 アレッポでの戦闘が激しくなってきていた2013年、アレッポ旧市街の一角に、文化財を自分たちの手で守ろうとしていた市民グループがあった。 このブログでも当時、少しだけ触れたと記憶している。 このグループには大学で建築を専攻していた者や歴史を勉強していた者だけではなく、地域住民有志なども参加していたが、その中には考古学科卒業生のYもいた。 彼らの活動の場所は、アレッポ旧市街の中心部である。戦闘も行われていた。実際、かなり危険な場所であった。そのようなところで、色白の気弱なYが、グループの主要メンバーとして働いていたのは驚きだったが、その頃の彼との通信を見直してみると、彼は実に果敢に、危険を顧みずに動いていたことがわかる。 歴史的建造物の前に土嚢を築いたり、ウマイヤドモスクにある美しい装飾の施されたミンバル(説教壇)を安全な場所に移したりと、彼らにできるだけのことを行ってい

  • 蜃気楼

    久しぶりにブログを再開。 最後の更新が昨年の11月10日。 1年近く、思うところが書けなかった。 特に、昨年12月のアレッポ東部の政権側による制圧ののち、私は言葉をほぼ完全に失ったような気がした。アレッポ東部の「奪取」は、私にとって最終的な表現の「奪取」を意味するように思われた。 その後、崩れた旧市街の写真が盛んにSNSに投稿され、「惨状」が今更のように確認されていた。しかしそれは廃墟の写真でしかなく、そこで亡くなった人々の嘆きを伝えるものではなかった。空虚な、無機的な瓦礫の山。アレッポ城でなにやらチェックしていると思われるロシア兵の写真もあったが、彼らの赤い帽子がやたら不自然に見えた。 市内への空爆はその後おさまったが、すでに崩れるべきは崩れ、最後まで残っていた知り合いの幾人かも、シリアを出た。 アレッポ西部、あるいはイドリブのトルコ国境に近い地域に移った人々もいる。移ったというより強制

  • 誘拐

    非常に親しい友人であるウサマが、アレッポ周辺で何者かに誘拐された。スペイン人ジャーナリストの取材に同行していた際の出来事である。もう、2週間がたとうとしている。 ウサマは学校の先生である。仲間と共に、教育の場が戦乱で失われた子供たちのために、複数の学校を立ち上げ、そこで教えたり、学校の運営などにも関わったりしていた。 もう2年以上前に、このブログで「死の通過点」と名付けられている一画がアレッポにあることを書いた。ここの通りを横切るものは、スナイパーに常に狙われる。ここでは、辻から辻に移動するだけのことが、生死の境となる。彼の学校はこの場所からほど遠からぬ所にある。 爆撃などを避けるために、教室は地下に設置され、有志の先生たちが授業を行っていた。当初から、いろいろなものが不足していた。それでも知人などから寄付を募り、集められるだけの学用品を集めていた。また、子供たちが勉強に興味を失わないよう

  • パルミラ・・そして、その後

    パルミラは、世界でも最も美しい遺跡の一つであることに間違いはない。そして歴史的に、考古学的に如何に重要であるか、ということは私が改めて言う必要はない。世界遺産というブランドすら、パルミラには不要。パルミラそのものがあまりにも素晴らしい。 ダマスカスから2時間半ほど、砂漠の中の街道を車に揺られたあと、遥か彼方にナツメヤシの林と暖かな風合いの石灰岩の列柱が見え始める。時間の枠を自然にすり抜けたような感覚に襲われる瞬間。 パルミラには、説明のつかない至福感をもたらしてくれる何かがあった。 今回、ISがパルミラの町を制圧し、さらに遺跡をも制圧したというニュースは、世界中の危機感をかき立てた。イラクでの遺跡の大規模な破壊を受け、この危惧は極めて当然だろう。 私も、ISがパルミラに接近しているというニュースが流れた段階で、非常に動転した。あらゆるメディアで、パルミラ遺跡の危機が叫ばれた。ただ奇妙なこと

  • 答えのない問い

    ついにハムドーがシリアを出た。ヨーロッパに出て、そこで難民申請をするらしい。 1週間程前にトルコにやっとの思いで出て来た。メルシンに行き、そこで悪名高い密航業者の内の一人に会ったという。「彼はイタリア行きの船に乗るのに、一人頭6500ドル(70万円程度)を要求してきた。」とハムドーは言う。私もこのくらいか、あるいはそれより高いくらいが相場だと聞いていた。 6500ドルは、法外に高い。しかも、彼らのところに来るようなシリア人は、シリアで生活が出来なくなり、やむなく外国に逃げようとしている人たちなのだ。しかし、なんとか新天地を見出したいシリア人の多くが、全財産をかき集めて、このような船に乗る。 しかし、こういった密航業者はヨーロッパ行きの船にシリア人を「乗せる」手配をしてはいるが、無事に目的地に着くかどうかは、彼らの知った事ではない。 定員の10倍もの人々を乗せた船が転覆したりするニュースが時

  • ハムドーからのアレッポ近況報告

    アレッポの郊外の村に避難している甥っ子のハムドーは、今でもネットさえ使えれば、何がしかの状況を伝えて来てくれる。家のネットはほとんど使えないが、「ネットカフェ」に行けば、停電さえなければなんとか通信が可能だ。勿論、ネットカフェに行くのが、また命がけなのだが。

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