滋賀県北部から琵琶湖に注ぐ高時川源流の奥丹生谷(おくにうだに)には、かつて7つの集落が存在した。畿内と北陸を結ぶ古代の北国街道近くに位置し、江戸期には炭焼きや鉄の産出で栄えたが、戦後の経済成長やダム建設の影響で生活は激変。集団離村を余儀なくされた。私は長年これら「地図から消えた村」に生きた人々の記憶を写真に収めてきた。滋賀県の長浜市役所に勤務した私は1970年代、市の広報誌作りを担当していた。
滋賀県内で28~29日、高齢者が山岳遭難したとみられる事案が相次いだ。 28日午後5時ごろ、甲賀市土山町大河原の雨乞岳の登山口付近で、三重県鈴鹿市の男性(76)の乗用車が止まっているのが見つかった。 滋賀県警甲賀署によると、男性は身長約160センチで眼鏡を着用し、黄と黒のネルシャツに灰色ズボン姿。26日朝、家族に「山に行く」と伝えて自宅を出て、連絡が取れなくなったという。 大津市田上森町の笹間ケ岳ハイキングコースでは、29日午後3時15分ごろ、同市の金物店経営の男性(79)が行方不明になったと、同行者から119番があった。男性は同日午前9時ごろ、同行者2人と山に入り、途中ではぐれたという。 県警や消防が2人を捜索したが見つからず、30日朝から再開する。
雨量、水位、水質、流量等のデータが琵琶湖流域に設置した観測所から刻々と送られてきます。 これらのデータは洪水時や渇水時における施設の操作に役立てます。
滋賀県草津市のちゃんこ料理店で、経営者の男性に因縁を付けて暴行し、死亡させたとして、県警草津署は29日、不動産仲介業・浜野慶治(46)(草津市野路)、土木作業員・関一也(45)(大津市平津)の両容疑者を傷害致死容疑で逮捕した。 2人は店で「盛りつけが悪い」と店員に怒り出し、男性を呼びつけていた。 発表では、死亡したのは草津市下物町、糸岡真二さん(60)。 浜野容疑者らは21日午後11時15分頃から翌22日午前1時40分頃の間、同市大路の「隠れDining蔵間 草津店」の個室内で、糸岡さんの顔や頭部、背中を土鍋で殴ったり蹴ったりし、左右肺損傷で死亡させた疑い。糸岡さんの肋骨(ろっこつ)も複数箇所、折れていた。 浜野容疑者らは容疑を認め、「従業員の態度に腹が立って殴った」などと供述している。 浜野容疑者らは21日午後7時頃、知人らと7、8人で来店し、同9時頃、従業員に「責任者を呼べ」と要求。別
西国三十三所の秘仏ご開帳巡りのため、滋賀県大津市にある『三井寺(長等山園城寺)』へ行ってきました。 歴史上でも重要な役割を果たしてきた近江の古刹ですので、かなり期待していたのですが、とにかく檜皮葺きの建物も、数多くの仏像も素晴しいですね。奈良や京都のお寺とはまた違った美しさを感じました! 比叡山と並び、歴史上重要なお寺です 滋賀県大津市にある『三井寺』は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。東大寺・興福寺・延暦寺・三井寺(園城寺)を称して「本朝四箇大寺」と呼ばれた時代もあったほどの古刹です。 三井寺の創建には、古代史最大の内乱「壬申の乱」が深く関わっています。667年、近江大津に遷都した中大兄皇子は、翌年即位して天智天皇に。その後継争いのため、弟の大海人皇子と、息子の大友皇子が皇位を争う壬申の乱が勃発し、大海人皇子が勝利。後の天武天皇となります。 大友皇
形になるものならどんなものでも造るたくましい産地――。滋賀県甲賀市の特産「信楽焼」の里はそう呼ぶのが似合っている。信楽焼といえばタヌキの置物が思い浮かぶが、歴史はさほど古くはない。窯元「狸庵(りあん)」の初代、藤原鉄造さんが夢の中で「タヌキを造れ」と告げられ、昭和の初めに制作したのが始まりだとされる。全国的に知られるようになったのは1951年。昭和天皇の行幸の際、沿道に日の丸の旗を持った信楽焼
JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(あさひどう)・翁堂(おきなどう)・無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の史跡に指定されています。
2018年4月1日~12月2日、2019年3月10日~3月31日の毎日運航 便 今津港発 竹生島着 上陸時間 竹生島発 今津港着
マ~サの御朱印ブログ2016年から京都(たまに近県)の御朱印めぐりをしています。 まとめを兼ねて紹介したいと思います。 基本的に1記事で1寺社を紹介します。 ※:アメンバー申請は全てお断りしています。 近江神宮 唐崎神社を出て、JR「唐崎」→「大津京」で降りて、テクテク歩いてやってきました。 10分以上歩いた気がします。 (*´∀`) JR「大津京」から乗り換えて京阪「皇子山」→「近江神宮前」で降りるのが普通かな? 近江神宮と言えば百人一首で有名ですね。 歴史ある神社と思ってたのですが昭和に創建されたんですね、知らなかった。。。 <由緒> 全国16社の勅祭社の一社である。 ご鎮座は昭和15年であり神社としての歴史は新しい。 <住所> 滋賀県大津市神宮町1番1号 <御祭神> 天智天皇 <公式HP> http://oumijingu.org/ 御朱印 一の鳥居 看板ズ~~ム やはり近江神宮と言
入場時間 有料駐輪場:午前7時から午後8時まで(12月31日から1月3日を除く。) 注:定期利用の方は上記入場時間を問わずご利用いただけます。 注:入場時間外に駐車された場合、一時駐車料金を徴収させていただきます。 無料駐輪場:年間を通してご利用いただけます。 駐車料金(1回につき) 自転車:110円 原動機付自転車(50cc以下):220円 自動二輪車(50cc超):270円 障害者手帳(種類問わず)持参の方は、車種によらず無料です。 回数駐車券 自転車:1,100円 原動機付自転車(50cc以下):2,200円 自動二輪車(50cc超):2,700円 1か月定期駐車料金 学生 自転車:1,100円 原動機付自転車(50cc以下):2,480円 自動二輪車(50cc超):3,110円 一般 自転車:1,570円 原動機付自転車(50cc以下):2,480円 自動二輪車(50cc超):3,
株式会社パルコ 平成28年8月31日 当社は、本日、大津パルコの固定資産譲渡および営業終了を決定いたしましたので、お知らせいたします。 記 1.固定資産譲渡および営業終了の事由 当社は、本年度を現行中期経営計画の最終年度として、次期中期経営計画で新たな事業基盤を構築する準備の年とも位置付け、将来の成長実現へ向けた事業展開の方向性および選択と集中に基づく戦術の進化に取り組んでおります。本年2月26日に札幌ゼロゲートを、7月1日に仙台パルコ2を開業し、また9月10日には広島ゼロゲート2の開業を予定しております。 大津パルコにつきましては、平成8年11月の開店から約20年間に亘り営業し近年は商業環境の変化に対応した営業力の強化、運営手法の効率化に取り組んでまいりましたが、今般、同店を商業施設として現況での譲受の申出を受け、検討を重ねました結果、本年10月に同店を譲渡することといたしました。 なお
滋賀県の嘉田由紀子知事(63)は7日、大津市内で開かれた会合で、2期目の任期満了に伴う7月13日投開票の知事選に出馬しないと表明した。その後に記者会見し、出馬に意欲を示す民主党県連代表の三日月大造衆院議員(42)を事実上の後継として支援する考えを示した。知事選には自民・公明両党が推薦する元内閣官房参事官の小鑓隆史氏(47)と、共産党推薦の坪田五久男氏(55)が立候補を表明している。嘉田氏は2
2008年の開業当時には約200店舗だったのに、テナント退去が相次ぎ、2013年時点で生き残ったのはたったの4店舗――昨年、ネットで“生ける廃墟”“明るい廃墟”などと大きな話題を呼び、テレビや雑誌にも取り上げられた、琵琶湖のほとりに建つ滋賀県守山市のショッピングモール・ピエリ守山。そんなピエリ守山に、2014年早々、新たな動きが出たと話題を呼んでいる。 ピエリ守山の公式サイトは、先日、「部分営業のお知らせと営業店舗のご案内」と題する文書を掲載した。内容は2月1日より、これまでの全館営業から部分営業に切り替えるというもので、併せて“入館できる場所”を示したフロアマップを公開。これがシュールだと注目されているようだ。 現在、ピエリ守山で営業しているのはペットショップ「ペットランドミクニ」、宝くじ「宝くじ屋さん」、旅行代理店「LaLaツーリスト」、カフェ「R&M」の4店舗のみ。2月からの部分営業
琵琶湖に沈んだ集落の墓地にあったとみられる五輪塔の一部=滋賀県長浜市祇園町沖の琵琶湖底(滋賀県立大琵琶湖水中考古学研究会提供)(写真:産経新聞) 大地震で集落が水没したとの伝承が残る滋賀県長浜市沖の琵琶湖底から、供養塔や石仏の一部など石群約430点が見つかり、中井均・滋賀県立大准教授(中世考古学)が指導する同大の学生グループが12日、発表した。中井准教授は、16世紀後半の地震で集落が地盤ごと地滑りして水没したとみている。 調査したのは、中井准教授が指導する県立大の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」。「西浜村」という集落が湖底に沈んだとの伝承があり、素潜りで調査した。長浜市祇園町沖約100メートルの湖底(水深約1メートル)で、東西38メートル、南北26メートルにわたって分布する石群を見つけた。 供養塔などに使われる五輪塔の一部や、石仏の上半身部分など、墓地に使われたとみられる石があり
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