過去の津波で多数の犠牲者を出した岩手県普代村は東日本大震災では死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。被害を食い止めたのは高さ15・5メートルもの水門と防潮堤。昭和40~50年代、当時の村長が反対の声を押し切り、建設にこぎつけたものだ。ただ、今回は水門脇ゲートの自動開閉装置が故障し、1人の消防士が水門へ向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的英断、そして地震直後の献身的な行動が村を守った。(梶原紀尚) ■もう少し低かったら… 久慈消防署普代分署の副分署長を務める立臼勝さん(50)は「水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ただろう。もちろん私の命もなかった」と振り返る。 3月11日の地震直後、自動開閉装置の故障を知った立臼さんは、村を流れる普代川の河口から約600メートル上流にある水門に向かって消防車を走らせた。故障したゲートを閉めるには水門上部の機械室で手動スイ