朝鮮日報と韓国ギャロップが12月26‐27日、全国の成人男女2024人を対象に実施した次期大統領候補の支持度調査で、李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長(40.7%)が朴槿恵(パク・クンヘ)前ハンナラ党代表(19.3%)と高建(コ・ゴン)元首相(15%)の2倍以上高い支持率を得た。 次いで李会昌(イ・フェチャン)元ハンナラ党総裁3.9%、孫鶴圭(ソン・ハッキュ)前京畿道知事3.5%、鄭東泳(チョン・ドンヨン)元ヨルリン・ウリ党議長1.6%、権永吉(クォン・ヨンギル)民主労働党院内代表1.2%、金槿泰(キム・グンテ)ウリ党議長1%、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)前ソウル大学総長0.9%、柳時敏(ユ・シミン) 保健福祉部長官0.9%の順だった。 一方、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領とウリ党に対する支持度はそれぞれ12.3%、11.2%で、ギャロップの調査で最低を記録し、ハンナラ党の支持度は51
入場者水増し、高すぎる年棒…問題山積のKリーグ 【特集】Kリーグ復活のカギはどこへ(1) 「年間入場者による収入でクラブ選手一人の年俸も支払えない」、「観客席はガラガラなのに、公式発表はその2倍」、「年間約12億円以上の赤字にもかかわらず、選手の年俸は天井知らず」 Kリーグの入場者数水増しと高額年俸が危険水位を超えた。現在Kリーグの最高年俸選手は蔚山の李天守(イ・チョンス)といわれている。サッカー関係者によると、彼の年俸は10億ウォン(約1億2000万円)程度とのこと。しかし、これは推定額にすぎず、フロントサイドと本人以外は正確な金額は分からない。 ただ驚くべきことは、李天守の年俸10億ウォンは蔚山クラブの年間入場料収入よりも多いということだ。 蔚山と韓国プロサッカー連盟が発表した昨年の蔚山文殊競技場の公式入場者数は27万7,113人。1試合当り平均は1万4,585人となる。しかし
「土俵の紳士」李俊熙(イ・ジュンヒ)、「土俵の風雲児」姜鎬童(カン・ホドン)、「人間起重機」李鳳杰(イ・ボンゴル)、「裏返しの達人」イ・スンサム、そして「テクノ・ゴリアテ」崔洪万(チェ・ホンマン)・・・。1983年4月にスタートし、プロ野球をしのぐ国民的な人気を集めてきたシルム(韓国相撲)界が生んだスターたちだ。 しかし、プロ化24年目を迎えた今、テコンドーとともに韓国の国技とされているシルムが粗末な扱いを受けている。チームは消滅し、スターは去っていき、ファンたちの関心も薄れていく中、組織内での醜い内紛まで起きている。 シルム初期のトップスターで、体重140キロを超える巨漢力士たちを、白菜畑で大根を引き抜くかのように軽々と持ち上げた「伝説の天下壮士(横綱)」李萬基(イ・マンギ)仁済大教授は、最近韓国シルム連盟から永久除名処分を受けた。李教授が同連盟と金在基(キム・ジェギ)総裁を誹謗・中
中国と日本が戦争をしたらどちらが勝つか。 今年6月に米国で出版された小説『ショーダウン(対決)』は、中国と日本が2009年8月に尖閣諸島の領有権問題と靖国神社参拝問題で衝突し、中国が日本を屈服させることで決着が付く。 米国防総省副次官補を務めたジェッド・バビン氏と軍事専門家エドワード・ティンパーレーク氏が共同執筆したこの小説は、日中戦争が発生しても中国との衝突をためらう米国は日本を支援しないと仮定した。 小説出版から4カ月が過ぎた最近になって、日本と中国でにわかに日中戦争のシナリオ論争が起きていると、「青年参考」電子版など中国のマスコミが11日付で報じた。 まず、日本の軍事ジャーナリスト、井上和彦氏が中国は2,000機余りの戦闘機と70隻余りの潜水艦を保有しているが、大部分は老朽化したもので、日本の少数精鋭に勝つことはできないと主張した。 また、日本の雑誌『SAPIO』も、先月の
親日派の子孫らのうち、相当数が既に財産を第三者に売却・処分していた事実が明らかになり、親日派財産の国庫還収作業に難航が予想される、と京郷新聞が11日付で報じた。 同紙によると、韓日併合に賛成した売国奴7人の中の1人である趙重応(チョ・ジュンウン)は、日本から子爵の爵位とともに京畿道南楊州市などの土地70万平方メートル余りを受け取った。ところが、孫娘の趙某氏はこの土地を単独で相続し、1969年から81年までに最少7人以上の第三者に売却していたことが確認されたという。 また、趙氏の子孫らは1969年から81年の間に孫娘の趙氏を除く全員が日本に帰化していたことも判明した。現在残っている趙氏の財産はソウル市鍾路区雲泥洞にある敷地1784平方メートル規模の日本文化院の敷地と建物だが、この日本文化院を所有する会社の代表が孫娘の趙氏だという。すなわち、日本文化院は親日派の子孫に賃貸料を払って建物を使
「百済技楽の復元はプライドの問題。仮面劇の源流だからです」 「百済技楽伝承保存会」(オ・テグン会長)の会員は、日本に行くたびに心苦しい思いをするという。失われた百済時代の技楽のルーツを探るため、私費で日本を訪れ、研究に力を注いでいるが、作業は困難を極めているからだ。 百済技楽は6世紀頃、百済の庶民が行っていたと推定される伝統仮面劇だ。日本書記には、612年に百済人ミマジにより日本に伝えられたと記録されている。日本では伝統劇の舞楽や歌舞伎などの起源は、いずれも百済技楽であるとしている。しかし、国内で百済技楽の資料が不足しているうえ、研究者が無関心であることが伝承を困難にしている。 さらに、はっきりとした記録のない1400年前の踊りを復元するのは、新しく創造する以上に難しい作業だ。幸い、百済技楽が日本の伝統演劇の母体となっていることから、会員たちは2003年から毎年、奈良、東京などで現地
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