入学直後に入部したスキー部では、決定的な経済力の違いを見せつけられる。 「スキーはお金が掛かるといっても、掛け方が半端じゃない。年間60万~70万円の持ち出しがありましたから、わが家の家計では無理でした。育英会の奨学金が月3万円。家庭教師のアルバイトもしていましたけど、それでも続かなかった。年功序列で実力主義じゃないところも自分には合わなくて、ワンシーズンで辞めました」 卒業式後の謝恩会の光景も切ない思い出として残っている。医学部の先生たちが他の保護者たちに囲まれて談笑している中に、天野氏の両親の姿はなかった。 日本大学医学部1年の時。スキー部に入学したが… 「他の親御さんは医師同士のつながりもあるからその場になじんでいたけど、うちの親はそういうの、全然なかったから。居場所がなくて、2人でウロウロしていてかわいそうでした。『こういう華やかな場所に来られたのも、お前が医学部に入ったおかげだ』