河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)は、1893年(明治26年)に大阪府南東部の金剛山麓の赤阪村字水分で起こった殺人事件。 金銭・交際トラブルによって、名前通り10人が殺害されて当時のビッグニュースとなり、小説・芝居にも使われ、浪曲師京山幸枝若により、大阪の伝統芸能である河内音頭の代表的な演目となった。 事件の発端[編集] この事件の犯人は、村民で博打打ちの城戸熊太郎とその舎弟の谷弥五郎である。 熊太郎の内縁の妻おぬいは、村の顔役松永傳次郎の弟、松永寅次郎と密通していたが、やがて熊太郎の知る所となる。激怒した熊太郎は別れ話を切り出したが、おぬいの母おとらが「お前とおぬいが一緒になる時に自分に毎月仕送りをする約束だったのに、全然仕送りを貰っていない。別れるなら払わなかった分を全部払ってから別れろ」と熊太郎をなじった。 仕方なく熊太郎は金を払うことにしたが、定職を持たない博打打ちの熊太郎には金