山本 義経(やまもと よしつね)は、平安時代末期の武将。源義光の系譜を引く近江源氏。父は義光の長男で佐竹氏の祖となった源義業の次男山本義定。治承・寿永の乱の初期に近江国で挙兵した。本姓が源氏であるため正式な姓名は源義経であり、源頼朝の弟として有名な河内源氏の源義経と同姓同名であったため「義経二人説」で知られる。 生涯[編集] 『吾妻鏡』によると山本義経は、近江国住人で新羅三郎義光(源義家の弟)の5代後裔(系図類では4代)。近江国浅井郡山本郷(現在の滋賀県長浜市湖北町山本)のあった山本山城の城主であり弓馬の両芸の優れた武将であった。 安元2年(1176年)、延暦寺の僧を殺害したため佐渡へ配流される。『吾妻鏡』では平家による讒言と主張している。 治承4年(1180年)に罪を許され帰京。同年11月20日、諸国の源氏の旗上に同調して、弟の柏木義兼(甲賀入道)ら近江源氏とともに兵を挙げる。近江国の勢