秀吉は5月中に九州国分を実施した。その概要は下表の通りである。 Table. 九州国分 そして6月18日著名な文書が発せられた。一般に「キリシタン禁教令」と呼ばれる文書である。翌日発せられた「バテレン追放令」とともに有名ではあるが、原本が伝わっていない上、「禁教令」から「追放令」へわずか一日で方針転換していることからその位置づけはむずかしい。また本文書集収載文書と山本博文『天下人の一級史料』*1に掲載されている写真を見くらべると発給人にあたる「御朱印」の文言がないなど講読環境が整っているわけでもない。解釈については上掲書や清水有子「秀吉はなぜキリスト教を「禁止」したのか」*2、神田千里後掲論文などを参照されたい。 toyo.repo.nii.ac.jp 本文書は「写」(コピー)と思われるもののみが、しかも伊勢神宮にのみ残されているという点でもあつかいが難しい。1698年フランスのイエズス会
![天正15年6月18日(宛所欠)豊臣秀吉朱印状写(いわゆる「キリシタン禁教令」)(1) - 日本中近世史史料講読で可をとろう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3c46b2f4ebc0de0b1f6ef870738069671205a7db/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fx%2Fx4090x%2F20210620%2F20210620123627.png)