しつくいぬり*1候者、唐人*2・日本仁*3共当国*4ニ在之由候間、早〻申付可差上候、不可有由断候、猶浅野弾正少弼*5・増田右衛門尉*6可申候也、 六月十六日*7(朱印) 島津修理大夫とのへ*8 (三、2527号。下線部は引用者) (書き下し文) 漆喰塗り候者、唐人・日本仁とも当国にこれある由に候あいだ、早〻申し付け差し上ぐべく候、由断あるべからず候、なお浅野弾正少弼・増田右衛門尉申すべく候なり、 (大意) 漆喰塗りを専らにしている者、唐人・日本人ともにそなたの領国内に多数いると聞き及んでいるので、早々に上京するよう促しなさい。くれぐれも油断のないように。詳しくは浅野長吉・増田長盛が口頭で述べるものである。 薩摩国には伊勢国安濃郡安濃津、筑前国博多津とともに「三箇の津」と呼ばれる坊津があった。坊津は琉球、大陸への交易の拠点として重要な港である。こうしたことから島津領国は一種の国際都市のような