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小西隆佐に関するx4090xのブックマーク (2)

  • 天正16年12月10日小西隆佐宛豊臣秀吉朱印状 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    天正十五年分納物成*1算用相究*2、払*3之朱印小日記上候て皆済*4也、但此日付以前之朱印小日記有之共、重而の*5さん用ニ相立ましき也、 天正十六 十二月十日*6(朱印) こにしりうさ*7 (三、2638号) (書き下し文) 天正十五年分納め物成算用相究め、払いの朱印・小日記上げ候て皆済なり、ただしこの日付以前の朱印・小日記これあるとも、重ねての算用に相立てまじきなり、 (大意) 天正15年分の年貢諸役を精算し、朱印状と「小日記」を提出して決算とする。ただし、日より前に作成した朱印状や「小日記」が新たに見つかったとしても、計算し直すことはない。 短文でかつあまり見ない用語も出るので全体の文意を取りにくいが以下の点は指摘できるだろう。 充所の小西隆佐は行長の父親で、堺奉行に任じられていた堺の豪商である。すなわち豊臣政権によく見られる豪商出身代官が豊臣政権の財務を担っていたことである。 天正

    天正16年12月10日小西隆佐宛豊臣秀吉朱印状 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
  • 天正16年7月16日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    高麗儀、柳川*1□*2遣、色〻入精段尤候、至来年可渡海由、被聞召届候、然者□*3已下可為造作*4候間、□□*5弐千石被遣之候、猶施薬院*6・小西和泉*7被申候也、 七月十六日*8 (花押) 宗対馬守とのへ*9 (三、2576号。下線部は引用者) (書き下し文) 高麗の儀、柳川差し遣わし、色〻精を入る段もっともに候、来年にいたり渡海すべきよし、聞こし召し届けられ候、しからば賄已下造作たるべく候あいだ、八木弐千石これを遣わされ候、なお施薬院・小西和泉申され候なり、 (大意) 高麗の件について、柳川調信を朝鮮へ派遣し、種々交渉したことは忠節の至りです。来年には渡海することは確実だと関白様は聞き及んでいます。それについていろいろ費用が嵩むことでしょうから、米を2000石遣わします。なお詳細は施薬院全宗・小西隆佐が口頭で申し上げます。 文書は下線部に敬意を表す「被」(らる)が用いられており、また朱

    天正16年7月16日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
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