「東福寺宛」という表現について 禁制の効力が及ぶ範囲を「充所」と呼ぶことについて、高木昭作「乱世」は文書の受給人=宛名を充所と呼ぶため「場所が充所になりえる筈はない」と指摘し、徳川秀忠の右筆曽我直祐の記す書札礼*1にもとづき「所付」を採用すべきと説いている*2。ただし、ここでは秀吉文書集の用語法や慣用に鑑み「充所」と呼ぶこととする。 定 東福寺*3 一、当寺境内にをいて五位鷺*4・雉*5の事ハ不及申、鷹*6一切つかふへからさる事、 一、山林・竹木ほりとる*7ましき事、 一、庭の石*8、うへ木*9とは取へからさる事、 右条〻堅被停止訖、若於違犯*10之輩者忽可被処厳科者也、 天正十六年二月 日(朱印) *11 (書き下し文) 定 一、当寺境内において五位鷺・雉のことは申すにおよばず、鷹一切使うべからざること、 一、山林・竹木掘り採るまじきこと、 一、庭の石、樹木取るべからざること