こういった記事をしばしば見る。 toyokeizai.net たしかに秀吉は何度か人身売買を禁じる法令を発しているが、一方で唐入においては次のような指示を出してもいる。 態と申し入れ候、朝鮮人取り置かれ候うちに、縫官・手のきゝ候女、細工仕る者、進上あるべき旨御朱印なされ候、御家中をも御改め候てこれあらば、早〻御進上もっともに候、恐惶謹言、 長束大蔵大輔 十一月廿九日*1 正家(花押) 羽柴薩摩侍従殿*2 人〻御中 (島津家文書、1763号) この年は唐入が行われた前年の天正20年=文禄元年の翌年である。開戦1年後には捕虜のうち何かしら熟練した技を持つ者を秀吉に献上せよというのである。奴隷の原初形態とも言うべき戦争捕虜である。これはキリスト教世界の「正戦」において捕虜となった者は「正当な」奴隷であるとする認識に似ている。 次に「九州御動座記」の問題の箇所を見てみよう
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