⑦一、在〻質人*1出置替之時*2礼儀に立寄候者*3、上使ハ不及申ニ百性まて為可曲事、付りふしん*4道具・薪等申付之時ハ、人夫数ハ百石二付而二人ツヽ隈本へ持せ可越候、右条〻相背者候者可令成敗者也、仍下知如件*5、 天正拾六年後*6五月六日 加藤主計頭(花押) 北里三河入道殿*7 同 左馬とのへ*8 (『熊本県史料 中世篇第一』509~510頁) (書き下し文) ⑦一、在〻質人出置き替えの時礼儀に立ち寄り候は、上使は申すに及ばず百性まて曲たるべきこと、つけたり普請道具・薪など申し付けの時は、人夫数は百石について二人ずつ隈本へ持たせ越すべく候、右条〻相背く者にそうらわば成敗せしむべくものなり、よって下知くだんのごとし、 (大意) ⑦一、各郷村の奉公人出替わりのさいに礼銭や礼物などを持参して訪問することは、相手が使者はもちろん百姓であろうとも禁ずる。つけたり、隈本への人足に普請道具や薪