タグ

宗義智に関するx4090xのブックマーク (4)

  • 天正17年12月28日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    高麗鷹*1二居・同馬一疋鞍置*2到来之、希有之仕立御感悦候、随而国主*3参洛之儀、依寒天不自由、来春為可召俱*4、其地滞留*5之段、長〻之辛労之至候、猶小西摂津守*6可申候也、 十二月廿八日*7 (花押) 宗対馬守とのへ*8 (四、2873号) (書き下し文) 高麗鷹二居・同馬一疋鞍置きこれ到来し、希有の仕立ご感悦に候、したがって国主参洛の儀、寒天により不自由、来春召し俱すべきため、その地滞留の段、長〻の辛労の至りに候、なお小西摂津守申すべく候なり、 (大意) 高麗鷹2居、鞍を置いた高麗馬1疋到着した。実に上質の出来映えで悦びに堪えない。朝鮮国王参洛の件、寒天により思うままに動けず、来春に彼をともなうためにその地に留まっていることご苦労なことである。なお、行長が口頭にて申すであろう。 対馬は朝鮮半島に近いこともあって、古くから交流が盛んだった。李氏朝鮮でハングル制定にも寄与した申叔舟が東ア

    天正17年12月28日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
  • 天正17年3月28日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    去〻年九州御進発*1之刻、以次高麗之儀為可被仰付、御人数差遣候処仁、父子*2出之砌、於箱崎*3高麗之事、何様共御意次第之趣、御侘言被申上*4、去年高麗国王可有参内*5由被申ニ付、被成御延引候、雖然至于当年遅参候、自然又如去年滞儀茂可有之被思、小西摂津守*6・加藤主計頭*7両人江筑紫*8御人数共被差副、為御先勢被差遣候処ニ、其方高麗江渡海仕、当夏中仁国王令同心可罷上候、御人数被遣候而者、迷惑*9仕由候条、今少可相延旨被仰遣候、成其意、国王参洛之儀、可相急事肝要候、少茂於相滞者、京都迄程遠候、小西摂津守・加藤主計頭かた迄、一左右*10可申候、其次第可相動*11旨、堅被仰出候、其段相心得、両人かたへ早速可申届候、不可有油断候、猶浅野弾正少弼*12可申候也、 三月廿八日*13 (花押) 宗対馬守*14 とのへ (四、2664号) (書き下し文) 去〻年九州御進発のきざみ、次もって高麗の儀仰せ付け

    天正17年3月28日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
  • 天正16年7月16日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    高麗儀、柳川*1□*2遣、色〻入精段尤候、至来年可渡海由、被聞召届候、然者□*3已下可為造作*4候間、□□*5弐千石被遣之候、猶施薬院*6・小西和泉*7被申候也、 七月十六日*8 (花押) 宗対馬守とのへ*9 (三、2576号。下線部は引用者) (書き下し文) 高麗の儀、柳川差し遣わし、色〻精を入る段もっともに候、来年にいたり渡海すべきよし、聞こし召し届けられ候、しからば賄已下造作たるべく候あいだ、八木弐千石これを遣わされ候、なお施薬院・小西和泉申され候なり、 (大意) 高麗の件について、柳川調信を朝鮮へ派遣し、種々交渉したことは忠節の至りです。来年には渡海することは確実だと関白様は聞き及んでいます。それについていろいろ費用が嵩むことでしょうから、米を2000石遣わします。なお詳細は施薬院全宗・小西隆佐が口頭で申し上げます。 文書は下線部に敬意を表す「被」(らる)が用いられており、また朱

    天正16年7月16日宗義智宛豊臣秀吉判物 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
  • 天正15年10月14日宗義調・宗義智宛豊臣秀吉朱印状 - 日本中近世史史料講読で可をとろう

    態染筆候、肥後*1国一揆等少〻令蜂起付而為可成敗、小早川左衛門佐*2・黒田勘解由*3・森壱岐*4被差遣候、毛利右馬頭*5も自身罷立候、猶様子為可被聞召、小西摂津守*6被差遣候、依一左右御人数之儀、大和大納言*7・江州中納言*8・備前宰相*9、其外四国之者共を始、出陣之儀可被仰付候、九州之儀者五畿内同前ニ被思召候条、何之道*10ニも堅被仰付候ハて不叶儀候、殿下*11も来春者至博多被成御動座、唐・南蛮*12・高麗国迄可被仰付候、然者高麗国之儀、以最前筋目*13急度相究可申越候、猶小西可申候也、 十月十四日*14(朱印) 宗讃岐守とのへ*15 宗対馬守とのへ*16 (三、2355号) (書き下し文) わざと染筆候、肥後(ママ)国一揆など少〻蜂起せしむるについて成敗すべきため、小早川左衛門佐・黒田勘解由・森壱岐差し遣わされ候、毛利右馬頭も自身罷り立ち候、なお様子聞し召さるべきため、小西摂津守差し遣

    天正15年10月14日宗義調・宗義智宛豊臣秀吉朱印状 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
  • 1