鍋島直茂が長崎の太閤蔵入地代官に任じられたことについて以前触れた。豊臣政権が当該地方の百姓たちをいかに支配しようとしたかを述べた史料を今回見ておきたい。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com 定 一、当所御料所*1ニ被仰付候上ハ、非分之儀*2有之間鋪事、 一、有様之御公物*3納所*4申上迄横役*5不可有之事、附り地子*6者得上意*7可免之、 一、当所之儀、此両人ニ被仰出候間、為代官飛騨守*8ニ預ケ置候間何も可得其意事、 一、黒舩*9之儀前〻の如くたるへきの間、地下人令馳走*10、当所へ可相付*11候事、 一、自然*12下*13として不謂儀申置*14者有之共、一切承引仕間敷事、 右之旨相背輩於有之者、急度両人方ヘ可申越候、堅ク可申付者也、仍而如件、 天正十六年五月十八日*15 戸田民部少輔勝陣*16 浅野弾正少弼長吉 (「大日本史料総合