本文書は郷村から家康家臣の加藤正次に差し出された請負一札の写で、雛形写も残されているという。ただ原本の所在は不明で、塚本学氏による筆写原稿のみが残されており*1、「(印)」とあることから控え(副本)を筆写したとも考えられる。 重要な点は発給人が郷村で受給人が領主というきわめて珍しい文書であり、この一点のみしか残されていないが、こうした百姓請負一札を百姓から提出させたことは前々回の伊奈忠次発給文書でも確認できるから家康領国においては制度化されていたのだろう。 japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com しかし翌天正18年の家康関東移封によりこうした百姓が請負一札を提出する制度は廃れたようだ。なお『新編岡崎市史2中世』1122頁、本多隆成『定本徳川家康』153~154頁*2でも本文書を採り上げており、本多氏は「総検地から始まった一連の過程は、百姓