「暖簾に腕押し」「糠に釘」状態なので今回でこの話題は終えることとする。大学のレポートとして及第点はもらえないがテレビ番組としては成立する現状は憂うべきと思う一方、所詮エンターテインメントに過ぎないといってしまえばそれまでである。 この番組は江戸東京礼賛を目的としているので人口集中に伴う都市問題、たとえばゴミ処理問題に言及することはない。人口増の要因も、江戸に住む人々が家族を形成して増える自然増と、周辺から衣食住を求めてあるいは口減らしで移住し増える社会増の、大きくふたつに分かれるがその区別もしていない。都市下層民など存在しなかったかのようであり、この番組で描かれる「江戸」はまるでパラレルワールドである。 この話題を終えるに当たり、同じ年に公儀手伝い普請を命じられた加賀前田家の事例を採り上げ、肥後細川家との異同(?)を浮き彫りにしてみたい。 史料1 寛永12年8月26日(加賀藩史料) (書き