今回はかなりの長文であるが、秀吉が九州で直面していた諸勢力による「反乱」を俯瞰できるものなので全文掲げておきたい。充所を欠いている理由として①裁断されているなど物理的・外的原因による、②朱印を押捺したが充所を記さずにそのまま発せられることがなかったなど文書発給手続き上の原因による、③そのほかの理由など様々考えられるが、原本の写真版が見つからなかったので重要であるがここでは措く。 去十四日之書状、今日廿七於大坂加披見候、 一①、至南関*1長〻令在陣、有動*2付城*3へ兵粮・玉薬等指籠、立花*4・高橋*5在番丈夫申付、隈本へも通路輙*6之由、雖不始于今儀候、粉骨段被感思召候事、 一②、豊前内城井*7・野仲*8・山田((種賢/元房))一揆令蜂起候之処、黒田勘解由父子*9懸付、数人討取由被申越候、尤候事、 一③、岩石*10へ一揆少〻取上候由候、定指儀在之間敷と察被思召候、此式之儀ニ上方人数被差遣候