去十二月廿一日之書状、於京都到来披見候、 一、肥後之様子、安国寺*1一書之通被聞召候、属平均、諸城へ人数丈夫ニ指籠之由尤候、誠寒天之刻長〻在陣、別而痛入候、 一、有動*2事、先書*3ニ委細被仰遣候通候間、可成其意候*4、則為御上使、四国衆・浅野弾正少弼*5・加藤主計正*6・小西摂津守*7、其外弐万余、明日廿日ニ被差遣候、於様子*8ハ被仰含候間、遂相談可被申付候事、 一、阿蘇*9之儀も一揆棟梁人*10可在之候間*11、有御糺明、可被加御誅罰と思召候処、以大友*12御侘言*13可申之由、沙汰之限候*14、是又様躰御上使ニ被仰付候事、 一、豊前之悪徒等*15悉令誅罰、首到来候、定而其方へも可相聞候、 一、九州儀者度〻如被仰遣候、何方迄も於悪逆之輩者、不残此度可被加御成敗と思召候条、弥無緩可被申付候事専一候也、 正月十九日*16 (花押) 小早川左衛門佐とのへ*17 (三、2422号) (書き下し