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ブックマーク / yonezawakoji.com (246)

  • 特急くろしおのご先祖、黒潮号【阪和線歴史紀行】

    『くろしお』は、大阪から南紀方面(白浜・新宮)を結ぶ特急列車です。その昔は紀伊半島を一周して名古屋まで運行していたこともあり、堂車も連結されていた豪華な列車でした。私もそのディーゼルカー時代の『くろしお』を、うっすらながら覚えています。 かつては新婚旅行先として人気があった南紀方面を結ぶ唯一の交通機関として、新婚カップルを満載した時もありましたが、それも今は昔。現在は家族連れのレジャートレインや、和歌山方面からの通勤の足としての顔の方が強いかもしれません。 くろしおのご先祖様、『黒潮号』そんな『くろしお』ですが、その歴史は戦前にまでさかのぼります。 (画像:Wikipediaより)かつて「天王寺駅の怪 前編」でご紹介したとおり、現在のJR阪和線は「阪和電鉄」という私鉄として昭和4年(1929)に開業1しました。現在の阪和線天王寺駅が大阪環状線などと別ホームで終端式となっているのが私鉄時代

    特急くろしおのご先祖、黒潮号【阪和線歴史紀行】
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    yaneshin 2020/04/29
    戦時下でも観光需要があったことに驚かされました。なるほど、今の新型コロナウイルスの流行下でもなかなか観光需要が減らないわけです。
  • さらば、思い出の天牛堺書店津久野店

    Twitterのタイムライン(以下TL)を見ていると、誰かがリツイートした赤の他人のツイートが現れていました。 Twitterに表示される情報は、とにかく膨大です。初心者はツイートの洪水に溺れてしまいがちですが、関係ないものであればスルーすればいい。TLの情報にいちいち反応していたら、24時間画面とにらめっこしても処理は不可能。 次から次へと押し寄せる情報の土石流の中で、金魚すくいよろしく欲しい情報だけをすくい出す能力、これが「Twitter力」。それに適応できないなら、あんたは(良し悪しではなく)Twitterに向いていない、Facebookやインスタの方が向いている。私はそう思っています。 で、そんな情報の鉄砲水の中に、キラリと光るものを見つけました。 大阪に、「天牛堺書店」という書店チェーンがあります、いや、ありました。 大阪人にはお馴染みの屋さんですが、大阪人以外はまず聞いたこと

    さらば、思い出の天牛堺書店津久野店
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    yaneshin 2020/04/27
  • 飛田新地の「嘆きの壁」を探して|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

    大阪には飛田新地という、現在でも遊郭という歴史的固有名詞の雰囲気を色濃く残す色街があります。往年の遊郭の面影を残す場所として不思議な魔力を持ち、近年は「観光地」としての顔も出てきましたが、「現役」だけにその扱いを頑なに拒否している秘められた場所でもあります。 そこにはかつて、「壁」が存在していました。今回はその「壁」を探す旅、Finding the wallなるものをやってみたいと。 英語で書くと無駄に格好いいですが、あまり知られていない飛田新地の近代史の顔を。 飛田遊郭Google Earthから切り取った飛田新地あたりの俯瞰図。赤で塗った部分が、元々の飛田新地の範囲です。 飛田新地が出来たのは、第一次世界大戦が終わった大正7年(1918)、今の難波駅の北にあった「難波新地」が火災で全焼し、その乙部、つまり遊郭部門だけ郊外の飛田に移したことが始まりです。 「郊外」って…めちゃ市街地やん!

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    yaneshin 2020/04/25
    "元々江戸時代に遊郭が許可されたのは、「犯罪者逮捕のゴキブリホイホイ」という役目もあり、人間の心理、いやオスの本能というものは、時代が進んで文明が進化しても変わらないということだろうか。"
  • 我、出雲蕎麦を食らふ

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    yaneshin 2020/04/23
    美味そうな蕎麦です。メモらせてもらいました。
  • 淡路島にあった幻の○○飛行場

    淡路島の飛行場 現在、淡路島には民間飛行場を含めた空港は存在していません。 が、現在は関西空港を発着する航空機の主要ルートになっており、管制塔の交信をネットで聞いていた時も、「アワジ」という声が頻発していました。 空を見上げると時折、我が家の真上を飛行機が飛んでいることもあります。 そもそも、関西空港は淡路島に作る計画もあったという話を聞いたことがあります。 が、淡路島に関空ができたらできたで、市街地から遠すぎて利用者は不便極まりなかったろう。 実際に島に住むと感じます。 そんな淡路島にかつて、空港が存在していた…知っている人は島民でもあまりいません。 さもありなん、存在した期間は戦争中、それも1年にも満たなかったから。 軍事機密-その名は○○ 戦争一色となり日常生活も緊迫の度を増した昭和18年(1943)、陸軍より、阪神地区防空用に淡路島に飛行場を建設せよという命令が下されました。 翌年

    淡路島にあった幻の○○飛行場
    yaneshin
    yaneshin 2020/04/20
  • 旧大社線大社駅舎-出雲に残る和風建築の贅

    大社線と大社駅出雲市から大社まで、かつて大社線という路線が存在していました。全長7.5km、決して長くもない路線で、平成2年(1990)限りで廃止になりました。 最後は要らない子扱いされて消えたこの路線ですが、その昔は出雲大社への参拝客で溢れかえり、全国から参拝臨時列車が発着していた「主要路線」だったのです。その賑わいの面影が、駅舎にあらわれています。 出雲大社への玄関口にふさわしい、堂々とした「和」の神髄です。 この屋は、近代建築ではおなじみの車止めを擁した中央棟に、大鳥が翼を広げたような左右対称の構造となっています。 遠目で見てもかなり金と技術をかけた建物であることがわかるのですが、間近で見るとその偉容にため息が出ることでしょう。現役を終えて今年でちょうど30年ですが、大社におけるその存在感は変わっていないと思います。 この駅舎、そもそも大社線の廃止とともに解体される運命にありました

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    yaneshin 2020/04/18
    今回の感染症の流行がなければ、WEST EXPRESS 銀河で出雲大社に行こうと思っていたのですが。落ち着いたら是非行ってみたいですね。
  • 上野芝と向ヶ丘町の歴史-陸にかかる謎の橋【阪和線歴史紀行】

    上野芝向ヶ丘町の歴史上野芝とは? 「そもそもなんでここは『上野芝』って言うの?」 見方が斜め上なのか細かすぎるのか、いつも変なところに疑問を持ってしまいます。 ほっとけ!と言われるとそれまでですが、こういう、ホンマどうでもいいことを調べることによって出てきた事実が、今まで漠然とした疑問や謎の解決への突破口になることもあるから、止められない。 「上野芝」を分解してみると、 「上野」 「芝」 に分けることにできます。 「芝」はそのままとしておいて、「上野」は何なのか、どこなのか。まさか東京の上野ではあるまい。そこで調べてみると、「上野芝」の「上野」は、元々「上の」または「上之」だったということがわかりました。これで、「上の(上之)」は場所を指す可能性が高いと。 さらにほじくってみると、もっと前は「神の芝」と呼ばれていたそうです。 「神の芝」とは、 上野芝駅のすぐ近くにある履中天皇陵のこと。 す

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    yaneshin 2020/04/16
  • 大社柳町遊郭(島根県出雲市)|おいらんだ国酔夢譚|

    大社にあった遊里結論から先に言ってしまうと、大社に遊郭は存在していました。 大社近辺の地名の正式名称は杵築きつきですが、大社の郷土史1によると、江戸時代から大社への参拝客目当ての遊郭は存在し、1821年(文政4)の史料にも存在が確認されています。ただし、杵築地区では廓くるわとは呼ばず、「置屋」と呼んでいました。 江戸時代末期の置屋(=遊女屋)の数は以下の通り。 1843年:13軒(大鳥居前6軒、越峠村4軒) 1858年:13軒(大鳥居前8軒、越峠村5軒) 1861年:10軒(大鳥居前6軒、越峠村4軒) 出典:『御徒文書』(島根県立図書館蔵) 19世紀初頭(江戸時代末期)作成と伝わる『出雲国産物番附表』によると、「杵築遊所」は西前頭10枚目の位置にあります。が、松江の遊里が西前頭24枚目、美保関が東前頭24枚目な位置であることから、ここはかなり「儲かっていた」ということがうかがえます。 杵築

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    yaneshin 2020/04/12
  • 塩冶新地・有楽町(島根県出雲市)|おいらんだ国酔夢譚|

    遊郭探偵として全国の遊郭の場所をだいたい把握すると、所々に遊郭がない「空白地帯」なるものが存在することに気づきます。 個人的には、高野山あたりは絶対怪しい…「般若湯」があるのだから「般若廓(仮称)」があってもおかしくない。いや、実際にあったりして。 島根県にも、その「空白地帯」があったりします。それが出雲市。 内務省警保局1や『島根県統計書』などの公的データには、松江や浜田、益田には遊郭が存在しています。また、昭和初期に廃廓したそうですが、鳥取県境港の向かいの美保関にも遊郭が存在していました。 しかし、出雲にはない。 ないですか、そうですか。で普通は終わるでしょう。私も、まだ駆け出しの頃はそう思っていました。が、経験を積んで改めて意識してみると、娯楽なんて「う・寝る・ヤる」しかなかった当時としては、これは明らかに違和感がある… もしかして、あの出雲大社のお膝元ゆえに「穢れ」を一切近寄らせ

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    yaneshin 2020/04/07
  • 第五回内国勧業博覧会と幻の停車場ー第ゼロ代新今宮駅?

    JRと南海の乗換駅として、人の往来が絶えない新今宮駅。私もかつて数年間、ここでJRから南海に乗り換えて通勤したことがあります。 この駅、いかにも昔からありました感を漂わせているのですが、開業は戦後のこと。国鉄側が昭和38年(1963)、南海側は遅れること3年後と意外に(?)新しかったりします。 では、その前はどうなっていたのでしょうか。 にわかに信じられないかもしれませんが、汽車の部分が現在の新今宮駅。開業はこの写真の3年後、映像からは駅が出来る気配すらありません。 が、南海との交差点に駅を開設するという構想は、戦前から存在していました。 (1937年7月4日大阪朝日新聞) 昭和12年(1937)に南海電鉄1の難波~新今宮間が高架化された際、 「関西線との交差に駅を作れるような構造にしろ」 と国から条件がついた上での建設許可だったようで、新今宮駅の土台は戦前からできていたということになり

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    yaneshin 2020/04/07
  • 境港桜町遊郭(鳥取県境港市)|おいらんだ国酔夢譚|

    その昔、日の港町は風待ちで長期間待機する船も多く、その時間つぶしのための遊郭が多く存在していました。 境港は古くからある港町、ここに遊郭があっても全然おかしくない。むしろ、あって当然。ネットで検索しても完全ノーマークらしく、データは全くなし。しかし、今まで遊郭跡を探してきたカンと境港の地理的状況を考えると、境港には絶対あったはずという確信はありました。 そして、ふとWikipediaサーフィンをしていると、境港市のとこで気になる記述が。 桜町(現・栄町)の遊郭より出火「境町大火」全焼338戸 Wikipediaよりやっぱりあったんやん! しかしながら、それ以上の情報はググってもなし(1)、Wikipediaの出典元の方が間違ってる可能性があるということもあり得ないこともない。これは現地で情報手に入れるか…私の足は自然と境港へ向かっていました。 が、情報も何も持ってない。ひとまずは現地の境

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    yaneshin 2020/04/05
    境港懐かしい、5年ほど前に旅しました。確かに街は水木しげる作品一色ですね。海岸沿いの店で漁師飯を食べた記憶があります。
  • 京都にあった書店 典誠堂書店

    先日、Twitterである画像をアップしました。 昭和47年(1972)、アメリカ旅行者撮影の京都の書店。なんかめちゃ時代を感じさせますね、これ。典誠堂書店とやらを探してみましたが、やはり現存しないようです。#昭和史 #京都 pic.twitter.com/db7DgOG7TT — 米澤光司(BEのぶ)@昭和史家 (@yonezawakouji) 2020年3月9日 昭和47年(1972)、アメリカ旅行者が撮影した京都の一風景です。何が珍しかったのか、一外国人が屋を撮影し、ガイジンが珍しかった時期もあったか、店主さんらしき人が仁王立ちでカメラをガン見しています。 私は、単なる古き良き昭和の風景としてアップしました。が、予期せずバズってしまい様々な反応が寄せられました。同じ写真を見ているのに、視点が人によって真正面からだったり側面からだったり、自分が気づかされない視点に気づいたりして興

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    yaneshin 2020/04/04
  • 新型コロナウィルスと正常性バイアス

    京都産業大学の学生が海外旅行へ向かい、帰国後に帰郷した先で感染を広げたと批判が殺到していたのは、記憶にそれほど古くないと思います。 また、こんなツイートもありました。 京産で10人以上のコロナ一斉感染があって、関西学生のみんなも他人事じゃないことが分からへんのかな。 さっき飲み会の中止を提案した時に言われた「じゃあ春樹は来んかったらいいやん」にはさすがにビックリした。 周りのことを考えない、自分のことすらまともに考えられないそんな大学生は嫌いです。 — 浜出春樹(はるまき) / Addrust (@harumaki___24) 2020年3月30日 予期せぬ災害が起こった時、みんな慌てて逃げようとする…映画かドラマにありそうなシーンですが、実際は 「自分は大丈夫!」 と事を過小評価し、結果的に「何もしない」ことが多いといいます。 これを、「正常性バイアス」と言います。 正常性バイアスとは何

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    yaneshin 2020/04/01
  • 灘町・花園町遊郭(鳥取県米子市)|おいらんだ国酔夢譚|

    山陰の都市の一つである米子は、鳥取県第二の都市ながらその歴史は古く、戦国時代の前から「米子」という地名があったと伝えられています。 ここに人が集まったのは江戸時代から。一時期は米子藩が置かれていましたが、結局鳥取を治める池田氏の家老、荒尾氏が治める領地になり、江戸時代は商業都市として栄えた所でした。鳥取県を日全体に例えると、鳥取市が東京に対し、米子は大阪や博多のような感じかと思います。それだけに、人々も全体的に明るい。 鳥取藩時代には、『鳥取県史』の資料によると公娼は認められていなかったとされています。しかし、明治5年にはすでに米子や境港には遊郭があったと記されております1。鳥取県が県として出した初めての売春防止条例が布告された時点で遊郭があったということは、おそらく江戸時代には存在していたと私は推定しています。 この二つの街の共通点は、金・モノ・人が集まっていたということ。やはり人が集

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    yaneshin 2020/03/28
  • 淡路島の桜と忠魂碑-淡路島に残る英霊たちの面影

    今年も「サクラサク」の季節になってまいりました。 Twitterのタイムラインをボケっと見ていても、ところどころで桜の開花の報告を見ることができます。今年は残念ながら、コロナの影響で花見はお預けになる人が多いと思いますが、一年くらい花見をしないからって死ぬわけではありません。 夜になると一気に寒くなるので、まだ格的な春とはいかないですが、もう春はすぐそこまで来ています。 兵庫県はタマネギ島…もとい淡路島。そこに桜が似合うある場所が、島の一角にあります。 淡路島一、桜が似合う場所ここは南あわじ市のあるところ。ここも桜が満開になっていますが、奥に何かがあります。先へ進んでみると、 何かのモニュメントが見えてきました。 天を突くかのような長細いモニュメントが。これは、一体何なのか。 私が数年前に淡路島に来た時に、まず目に止まったのがこれでした。明らかに何かを模した、そして明らかに周囲から浮いて

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    yaneshin 2020/03/27
  • 天王新地(和歌山県和歌山市)|おいらんだ国酔夢譚|

    遊郭・赤線跡探索がライフワークとなっている私ですが、興味の範囲はあくまで歴史であり過去。「現役」には見向きもしません。若いときはそんなことなかったんですが…とそういう話をしたいわけではないですが、オスとしての機能をほぼ放棄した身なので、和歌山県にいくつ「現役」があるのか、それはわからないし興味もありません。 そんな私でも、和歌山県で唯一知っている場所があります。それが今日のお題、天王新地です。 天王新地の歴史「業態者集団地域ニ関スル調」という、内務省衛生局1の資料(復刻版)が、私の手元にあります。 衛生局なので花柳病(性病)の蔓延の実態調査報告なのですが、業態者集団地域=性病危険地帯=私娼窟。事実上の私娼窟リストとなっているのが、この資料の大きな個性です。 遊郭の資料は、公の廓だけあって探す努力さえ怠らなければ、様々な形で見つけることができます。 そうして見つけた資料の断片的な情報を、パズ

    天王新地(和歌山県和歌山市)|おいらんだ国酔夢譚|
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    yaneshin 2020/03/25
  • 禁煙2ヶ月達成したから言える!禁煙のメリット&デメリット

    禁煙のメリット・デメリット時間が増えた時間は24時間。誰でも平等だけれども、1日が2~3時間増えた気がします。 私がタバコを吸う時間は、実際に測ってみたところ平均で約4分。1日に吸う数を約30として計算すると120分、ちょうど2時間。これは感覚的な「2~3時間増えた」ということと一致します。 ただ、私が感じた「2~3時間増えた」というのはただの錯覚で、1日24時間は絶対的に変わらないので、正しくは「タバコを吸っていた時間が手持ち時間となった」ということだけなのですけどね。 朝の目覚めが良くなった禁煙翌日くらいから自覚します。 朝のアラームが鳴った時に、反応が著しく違います。 禁煙前: 「あー、もうあと30分寝させて…いや、10分でもええから~」 と布団の中でグズグズしている。 禁煙後: 「シャキーン!(と飛び上がって)おはようございまぁ~す!\(^o^)/」 目覚めが全く違います。おま

    禁煙2ヶ月達成したから言える!禁煙のメリット&デメリット
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    yaneshin 2020/03/24
  • 1990年代の上海に数年だけ存在した!!幻のモスバーガー

    私の大好きなファーストフードの一つに、モスバーガーがあります。ファーストフードにしては、ちょっとお高くつくものの、多い時は週2回以上通うほどお馴染みでした。 ある日、何気にモスバーガーの公式HPの海外店舗を見ていました。モスバーガーはアジアを中心に海外でも店舗を展開しており、中国台湾韓国・シンガポールなどに支店があります。 特に中華圏の店舗を見ていたのですが、特に台湾への進出はかなり早く、私が台湾に住んでいた20年前(1997年)には既に国中に定着し、地元JKのたまり場になっていました。台湾であることを感じさせない、メニューも味もサービスも、そして店の雰囲気も日クオリティそのままでした。 香港は、私が広東省にいた頃は存在しなかったのですが、10年前の2006年に第一号店がオープン。今は各地に19店舗あるそうです。作るんやったら俺が滞在してた時に作ってくれよ~。 モスバーガーは中国にも

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    yaneshin 2020/03/21
  • 奈良県立図書情報館に眠る娼妓たち|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

    全国の図書館の蔵書を調べていると、何か琴線というか、インスピレーションに触れるものがあります。それを地道にピックアップしていくということも、ある意味研究の一つなのかもしれません。これもこれで、ネット世界の宝探しのようで面白い。 今回も、3月の連休で調査予定の、出雲伯耆方面の遊里跡のデータを探していると、意外なところから意外なものを発見しました。 大和郡山の遊郭跡訪問を終わり、向かった先がこちら。 奈良県立図書情報館です。 「島根県と鳥取県やのに、なんで奈良県やねん!?」 とツッコミをらいそうですが、話はちゃんと最後まで聞きましょう。 嫌でも現地という丸に突入するのではありますが、「宝」というものは件と関係なさそうな、人の意表を突くような場所に息を潜めていたりするものです。 そして、丸に突入する前に外堀からじっくりと埋めていく。焦らず急がず、じっくり弱火でコトコトと煮詰めていくと、良

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    yaneshin 2020/03/20
    契約文面を読むと副契約書、特約書の他に正契約書あるいは基本契約書のようなものがあったのではと思います。特約書は本来、主契約に付随するものなので。
  • 築約110年!日本一のレトロ学生寮、京大吉田寮に潜入

    かなり前の話になってしまいましたが、京都で行われたあるツアーに参加してきました。 その名は、 「京大の歴史的建造物を探索しようツアー」 京大は構内参観自由なので、ツアーに参加しなくとも一人で見ることは可能です。私も12年前ではありますが、1日かけて京大をゆっくり探索したことがあります。 が、明治・大正・昭和と100年の歴史を持つ建物を建築学の素人が見ても、 「あー、この建物、昔からあるんだなー」 くらいの感想しか抱くことができません。 建物によっては重要文化財に指定されていたりするのですが、何がどう重要文化財級の建物なのか、素人にはやはりわからない。それを建築学のプロに説明してもらおうというツアーでした。 私が参加したのは「前半」でした。京大キャンパスといってもかなり広いので、1日ですべての建物を説明するのは正直しんどい。不可能ではないものの、終わる頃にはガイドする方もされる方もおそらくク

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    yaneshin 2020/03/17