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2015年12月3日のブックマーク (2件)

  • 「辺野古唯一」明記せず 米議会軍事委、国防権限法最終案 - 琉球新報デジタル

    【ワシントン=問山栄恵紙特派員】米上下両院の軍事委員会は29日、国防予算の大枠を定める2016会計年度(15年10月~16年9月)の国防権限法の最終案を発表した。 米軍普天間飛行場の移設について「辺野古が唯一の選択肢だ」と明記された下院案の条文は撤回され、法案体に「辺野古が唯一」の文言は盛り込まれなかった。「唯一」の文言をめぐっては稲嶺進名護市長ら県内首長、県選出国会議員、県議、経済人らが米連邦議員に対し、最終案に盛り込まないよう要請していた。 普天間移設に関する文言は上下両院協議会の法案説明の部分に「協議会出席者は4月の2プラス2(安全保障協議委員会)の合意実行に向け、引き続き推進するよう促す」と明記され、辺野古に移設する現行計画を推進するよう求めた。 下院案にあった「集団的自衛権の行使容認を含め、日の防衛政策の変更を支持する」とした文言も、体への明記は見送られた。日の安全保障

    「辺野古唯一」明記せず 米議会軍事委、国防権限法最終案 - 琉球新報デジタル
  • SEALDs時代に「情けない思いでいっぱい」と語る全共闘元代表

    安保闘争の経験を初めて語り、現代へのメッセージを込めた『私の1960年代』は全共闘世代のイメージを覆す一冊 『私の1960年代』(山義隆著、金曜日)は、1960年に東京大学に入学した著者が「山崎プロジェクト(10・8山﨑博昭プロジェクト)」の活動の一環として2014年10月4日に行った講演「私の一九六〇年代――樺美智子・山﨑博昭追悼――」の内容に加筆したものである。ちなみに山﨑プロジェクトとは、1967年10月8日の羽田闘争の際、機動隊と衝突して命を落とした京大生、山﨑博昭氏を追悼するものだという。 著者は科学史家で、東大闘争全学共闘会議の元代表である。これまで全共闘時代の経験については一切語らず、取材にも応じなかったそうだが、書には、1960年の安保闘争から、ベトナム反戦闘争、1970年の安保闘争、果ては科学技術や原発についての考え方までが、実体験に基づいて克明に語られている。 私の

    SEALDs時代に「情けない思いでいっぱい」と語る全共闘元代表