タタラ場に子どもがいないことへの疑問点はなぜ子どもを育てないか?ではなく、できてしまった子はどうしたのだろう…?の方が強い。 出産を制限しなくてはならない穏やかならぬ暮らし、まだ若い統治国家がタタラ場なのだろう、と考えます。紛争が絶えないから弱い者はいられない村であるとともに、女達に子どもをもたせないという制限の代わりに踏鞴を踏ませたり村を仕切らせたりすることで、自己肯定感や承認欲求を満たし、心理的に女たちをコントロールし、本当に謀反を起こされたら困る男達を押さえ付けているのかな、って。 子をなさぬ、そのことに対する言及が全くない、姿を描いてない上に、あまり目につくようなアピールもしていないのは、子どもが気づかなくてもよい部分だからかな。 対して、ハンセン病患者のシーンでは分かりやすすぎる、ちょっと道徳的な導きがはなにつくくらいに描写してるので、余計に子どもがいないことに対してスルー、なこ