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ブックマーク / aketekure.hatenablog.com (12)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    それならいっそ、放射性物質の放射性そのものを通貨として公認してしまえば、ゲゼルの時代の技術だけで世界中どの国でも揮発性の通貨が実現できたりしないだろうか。これなら、上と同じようにお金をがめつく貯めれば貯めるほど半減量が激しくなり、それでも集めまくるとついにはチェレンコフ光を発して臨界に達するということで貨幣の所有量に極めて自然に上限を設定できるといううれしいおまけまでついてくる【冷温停止のおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    小島先生の最新作を読んでいて、限界効用というものについてひとつどうしても気になることがあった【知らぬ身の程おれカネゴン】。 財の追加購入分の効用は逓減するとのことなのだけど、以下のような例はどうなるのだろう。 覚醒剤は、服用すればするほど覚醒剤への欲望は逓減するのだろうか。 アルコール中毒の人は、人間関係などあらゆるものを犠牲にしてでも酒を欲しがるのだけど、彼らはあとどのぐらい飲めば効用が逓減してくれるのだろうか。 ギャンブルにはまる人は、いくら金をつぎこんでも飽きることを知らないのだけど、彼らの欲望がある日突然逓減することはあるのだろうか。 カネゴンが昔仕事上で会ったある人は、「僕は金さえあればいくらでも女を囲えますよ」と豪語していたのだけど、女を囲うことの効用は彼の場合逓減しないのだろうか。 ほとんどのギタリストは「ギターを見ると買いたくなる病」に根深く侵されていて、アルフィーの高見沢

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2009/10/12
    鋭い
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    TV番組で見かける「悪の組織」には必ず1つの特徴がある。「失敗を決して許さない」ことである。たいていの場合死をもって償うことになる。悪の組織の目的や編成はそれぞれ異なるが、なぜかこの点においてだけは不思議に一致する。和気藹々とした、仲良し倶楽部のような妥協しまくりの悪の組織というものは想像できない。もしかすると現実に悪の組織と見なされている団体もそうなのかもしれない。カネゴン必ずしも民主主義が最善手とは思わないが、とりあえずこれをもって悪の組織の定義とすることにする。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2008/07/29
    "「悪の組織」には必ず1つの特徴がある。「失敗を決して許さない」ことである"
  • 2008-07-01 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 5%の確率で間違う統計的仮説検定の話

    さっき届いた「読書猿」メールマガジンにカネゴンが知りたかったことがずばり書いてあったので思わず全文引用【強調箇所はおれカネゴン】。 ■■Kline, R. B. "Beyond significance testing: reforming data analysis methods in behavioral research". (American Psychological Association =■ 統計ができないと、少なくとも生き物相手の研究(生物学、医学、心理学あたりまで、やや怪しいが社会学なども入る場合もある)は「科学的」とは認められない。 ここでいう「統計」とは、統計学的検定を下限とする。つまり、すくなくとも検定をやってないと、科学的研究とは認められない、ということである。 検定とは、おおざっぱにいえば、次のようなものである。 0.主張したいことがある。たとえば「この薬は

    2008-07-01 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 5%の確率で間違う統計的仮説検定の話
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    外骨格パワードスーツ。 こういうのを見ると反射的に川に突き落とすか塩水をかけて安全性を徹底的に確認したくなってしまう【放尿構えのおれカネゴン】。 来るべき未来社会のために、こういうスーツを装着した場合でも通用する礼儀作法およびテーブルマナーおよびベッドマナーの開発も急がれる【喧嘩の作法はおれカネゴン】。表と裏と武者小路が総動員される日も近い。 他にも自慰防止や、刑務所代わりに受刑者に強制装着し、最小限の日常生活を送らせながら立ち居振る舞いを逆にことごとく制限・拘束するなど、外骨格パワードスーツの応用は数限りない。そのためにも、装着したまま風呂に入れるまでに安全性を高めることが絶対的に必要【洗わず済ますおれカネゴン】。 やがて、世界各地の津々浦々であらゆる人がおはようからおやすみまで思い思いに飾り立てたりプリクラシールをべたべた貼ったりしたブランド品または特売品または闇製の外骨格パワードスー

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2008/06/07
  • 「For Beautiful Human Life」という英語 - あけてくれ おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記

    T.D.ミントン著『ここがおかしい日人の英文法2』というで、次のような記述があった。甚だ不正確ながら記憶より引用。 「For Beautiful Human Life」という、「間違っている英語」として何かと話題にされるカネボウのキャッチコピーがある。(なお著者は、この英語は皆が言うほど絶対的に間違っているとも思えないし、この間違いを話題にすること自体あんまり面白いと思えない) ところで、「life is beautiful」という叙述的な形容なら何の問題もないのだが、「beautiful life」という限定的な形容は、ネイティブの感覚としておかしく思える。「beautifulな (human) life」というと、その補集合である「beautifulでない(human) life」というものが即座に連想されてしまう。ただでさえネイティブには無味乾燥な科学用語として響く「human

    「For Beautiful Human Life」という英語 - あけてくれ おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
    yugui
    yugui 2008/01/14
    "俳句や和歌で遊びすぎたせいか、日本語の形容詞は名詞でさえあればどんな言葉にくっつけても叙述扱いで問題なく通ってしまう"
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    以前書いたバリ島の祭りとイッてしまった人々の映像は、思った以上にカネゴンの人生観に深く影響してしまっていたらしい【後からイッたおれカネゴン】。 究極の平和がおわします天国のようなバリ島において、なぜ参加者が毎年脳をやられるほどの(静かだが)激しい祭りを執り行わねばならないのか。それとも実は天国といえども犠牲をゼロにすることはできず、無条件の天国というものはないということなのだろうか【入れてもらえぬおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2007/09/03
    ケチャ
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    この(『アンクル・トムの小屋』)の出版後、奴隷制支持者たちによるアンチが多数出版された。それらは『優しい主人の元で幸せな生活を送る黒人奴隷』といった内容がほとんどで、当然ながら文学的に評価された作品は1つもない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%B1%8B 確認していないのだけど【決してせぬとはおれカネゴン】、もしかすると色川武大と同じ点に着目して奴隷制を鮮やかに擁護しようとした人は他に誰もいなかったのだろうか。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2007/09/03
    反差別運動が内包する旧体制の鏡像、そこへの執着、とか考える。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    しかし天国を設計するのであれば、地獄をも念入りに完成させないといけない【地獄の使者のおれカネゴン】。 人はその死に際し、基的にまず意識が遠のく。実はこのとき、意識の動作速度が最初は1から始まって1/2.1/4,1/8...と無限等比級数に従ってぐんぐん低下するとしたらどうなるか。 収束する数列なら何でもいいのだけど、今のリンク先によるとと収束するので【計算しとらぬおれカネゴン】、たとえばこの時間の単位が秒なら、周りで看取る人たちにとってはたった2秒である時間が、死に行く当人にとっては無限の時間となる。 そして、死に際して人生に満足できた人にとっては、この無限に続く時の間その幸せをたっぷり回想し味わいつくすことができる【走馬の灯とおれカネゴン】。逆に、死に際して後悔や怒りや悲しみや怨念や罪の意識を振り捨てることができなかった人にとっては、その後悔や怒りや悲しみや怨念や罪の意識が無限の時間継

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2007/08/27
    アキレスと亀方式による走馬燈|天国|地獄 の実装
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 20070627#p2

    奴隷主義者(=ほとんどの人間は奴隷としての幸せを追求すべきというか既にそうなっている、奴隷でない人は奴隷の分まで苦労と責任と孤独と非難と恥辱を背負うべきというか既にそうなりつつある)のカネゴンにはさっぱり理由がわからないのだけど、欧米の人々にとっては「自分に自由な意志がある」かどうかというのが何だかとても重要なことらしい。 かれこれ400年も前にぼくスピノザ先生が「自由でない(必然の)意志ならあるが自由な意志などない」「一見自由意志に見える現象は、単に身体がそれを欲しているだけだ(身体の奴隷になっている)」と第一ヒントでずばり質を見抜いてゴンドラが2つ上がったことが今になって続々と裏付けられていることが、どうやら欧米の人々にとって何やら屈辱的かつ実に嫌な部分を衝いているらしく、日ごろ何一つ浮かばれることのないカネゴンの溜飲がナイアガラの滝のように轟音蹴立てて下がりまくる【ルサンチ男のおれ

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 20070627#p2
    yugui
    yugui 2007/08/27
    s/意志/欲望/gの提案。動物化、奴隷主義、スピノザ
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    とはいうものの「世の中そういうものよ」という結論ではつまらなさすぎるので、いっそありとあらゆる地表面の奥深くにガミラス星のように広大な地下空洞をこしらえ、悪の道を究めたい人や緊張感がないと生きていけない人は地下世界に棲みつき、悪に飽きたか改心したか地下でビッグマネーを掴んだ者は自由に地上に上り、地上人もニセブランド漁りやソープ巡りの目的で自由に地下に遊びにいけるようにすれば、経済システムを損なわずに地表面が浄化され、不意に外宇宙から来客があっても恥ずかしい思いをせずに済むかもしれない【貴様がおるとおれカネゴン】。かくして、比喩ではない文字通りの地下経済圏が出現することに【何でも地獄のおれカネゴン】。地盤崩落に注意。 副産物として「悪いことをしたら地獄に行く」が当になるので、子供の躾けがぐっとやりやすくなったりもする【細工は流々おれカネゴン】。この場合「悪いことするなら地獄でやれ」が正しい

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    yugui
    yugui 2007/08/27
    "悪の道を究めたい人や緊張感がないと生きていけない人は地下世界に棲みつき、"; それなんて『タイムマシン』。騒げ騒げ。もっと騒げ
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    最上先生のメモがあまりに素晴らしいのでまるまる引用します【いただきますとはおれカネゴン】。 弱者の思想 私達は傷つけられた。ゆえに贖われなくてはならない。 私達は持たない。ゆえに奪わなくてはならない。 私達は権利を与えられていない。ゆえに責任を持たない。 強者の思想 私達は強い。ゆえに傷つけないように気をつけなくてはならない。 私達は持っている。ゆえに与えなくてはならない。 私達は責任をもつ。ゆえに実行するための権利を勝ち取らなくてはならない。 社会の中枢はそれが健全であれば、弱者の思想をもった人間を受け入れないように出来ている。社会の中枢に入りたいなら「この門の前まで来られた私達は十分強い。だから強者の思想に従って生きる」と考えを改める必要がある。 被害者意識というものに重大な問題があることが、今初めてカネゴンに明らかになった【知らずに今までおれカネゴン】。もっと正確に言えば、被害者意識

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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