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ブックマーク / tonmanaangler.hatenablog.com (4)

  • 「右翼と左翼」に対するイメージ - 国家鮟鱇

    右翼と左翼を東海道新幹線で表現してみると一般的にはこんな感じになるかな? 「自分は右翼でも左翼でもない」とか「右翼も左翼も嫌い」とか「右翼の主張も左翼の主張も良いところは聞くべき」とか「ほどほどが良くて極端はいけない」とか、そういう主張をしているとき、その人の自分の立ち位置がどこにあると認識しているのかと考えると、「名古屋」や「静岡」にいると思っているのではなかろうか? でも、俺はどうもこういう考え方にピンとこないものがあるんですね。まあピンとこない人は大勢いるようで、そこで縦軸と横軸で立ち位置を表現しようとする「ポリティカルコンパス」みたいなものが流行しているんだけど、俺はこれにもピンとこないんです。 何がピンとこないかといえば、右と左は対立する概念のはずなのに、左右両極端の人はとても似ている。というか実際にかつてバリバリの左翼だった人間が今じゃバリバリの右翼ということが珍しくない。とい

    yugui
    yugui 2007/01/05
    違和感までは共有。でも結論には反対。右翼と左翼が似ている理由は他にあるとオモ。
  • 左は平等主義で右は差別主義 - 国家鮟鱇

    では(日だけじゃないと思うけど)右とは何で左とは何かという根的な問題に混乱があるんだけど、俺は左右の最も大きな違いは「左は平等主義で右は差別主義」であることだと思っている。というか、別に俺が考え出したわけじゃなくて、そう書かれている書物はいっぱいある。 ところが、そういう主張には反論がある。リンクはしないが昨日某ブログの記事にもそういうのがあった。何でそうなるかといえば、「差別」というのが否定的な言葉であると右側に属する人までが認識しているからだと思う。 そして実際に左側の人間が否定的な意味で使っている場合も多い。そこで非常にややこしいことになる。で、「右は差別主義じゃない。偏見だ」という反論が出てくることになるんだけど、当なら「差別は必ずしも悪いことではない」という反論をすべきところではなかろうか? 確かに「差別」には「人種差別」などの悪いイメージがある。そして俺も人種差別はす

    左は平等主義で右は差別主義 - 国家鮟鱇
  • 味方に甘く、敵に厳しい - 国家鮟鱇

    一口に、味方に甘く、敵に厳しいといっても、多様な状況が考えられるのではなかろうか。 その1 自分と同じ傾向の人を応援するのは、自分を正当化することにつながるから。極めて自然な行動。欠点は自分を甘やかすことになり、思考停止に陥る危険がある。 その2 身内意識。味方を応援すれば、自分が窮地に陥ったとき、助けてもらえるかもしれない。逆に批判した場合、身内だけに、敵よりも激しく攻撃される危険がある。これまた自然な行動。欠点は無能な味方を応援した場合、連帯責任で自分まで窮地に陥ること。 その3 敵の欠点はよくわかるが、味方の欠点は見えにくい。無意識のえこひいき。ありがち。ただし、お互い様なので、敵の批判を素直に聞けば有意義な議論が成立する。 その4 自分達を絶対の正義と信じている。自分達が正しいのだから、それ以外は間違っている。議論は最初から成立しない。議論とは相手を打ち負かす手段である。原理主義者

    味方に甘く、敵に厳しい - 国家鮟鱇
  • 人間が「神」になることへの恐怖 - 国家鮟鱇

    引き続き「殺し問題」。 実のところ感情を抜きにしてドライに考えれば、彼女の「行為」は、子を殺すという意味では、世にも稀な特殊なケースというわけでもない。 坂東氏に対する批判には、飼いに避妊手術を施すべきだというものがあり、それはその通りだが、現実にはそうしない飼い主は坂東氏ただ一人だというわけではない。その結果、育てられずに結果的に処分されるが大量にいる。結果的に殺されるのだから、両者は同じだ。 もちろん、そのような無責任な飼い主は批判されるべきだと思う。 それでは、坂東氏のエッセイが強烈な批判を浴びているのは、避妊手術を施さないで子を死に至らしめる、その他大勢の無責任な飼い主と同じ意味で批判されているのか? そうではなく、もっと根的なところで彼女の文章には人を不快にさせる要素があるのではなかろうか? 俺が坂東氏のエッセイでひっかかりを覚えるのは、彼女が「神」の立ち位置にいるよ

    人間が「神」になることへの恐怖 - 国家鮟鱇
    yugui
    yugui 2006/08/30
    生命を扱うことの畏れ。「伝統」の尊重。自由主義の自殺
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