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ブックマーク / blog.tatsuru.com (9)

  • 無作法と批評性 - 内田樹の研究室

    ある地方紙に月一連載しているエッセイ。今月はこんな主題だった。 毎日新聞の社説が、ある政党の所属議員たちの相次ぐ不祥事について猛省を求める論説が掲載された。新聞が一政党を名指しして、もっと「常識的に」ふるまうように苦言を呈するというのはかなり例外的なことである。 ルッキズム的発言や経歴詐称の疑いなど、いくつか同党の議員の不祥事が列挙してあった。しかし、この苦言が功を奏して、以後この政党の所属議員が「礼儀正しく」なると思っている人は読者のうちにもたぶん一人もいないと思う。この政党の所属議員たちはこの社会で「良識的」とみなされているふるまいにあえて違背することによってこれまで高いポピュラリティを獲得し、選挙に勝ち続けてきたからである。「無作法である方が、礼儀正しくふるまうより政治的には成功するチャンスが高い」という事実を成功体験として内面化した人たちに今さらマナーを変更する理由はない。 「無作

  • 半分あきらめて生きる - 内田樹の研究室

    半分あきらめて生きる 「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についてのお訊ねなのであろうと思った。 なぜ私にそのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に学校教育について論じた中で、「教師のたいせつな仕事のひとつは子供たちの過大な自己評価を適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として小学生が卒業文集に書

  • 英語公用語化について - 内田樹の研究室

    「ユニクロが公用語、英語に」という新聞の見出しを見て、「UNIQLO」という単語が英語の辞書に採択されたのか、すげえと思っていたら、そうではなくて、社内の公用語が英語になったのである。 日の企業ではすでに日産と楽天が公用語を英語にしているが、ユニクロも「日のオフィスも含めて、幹部による会議や文書は基的に英語とする」ことになった。 柳井正会長兼社長は「日の会社が世界企業として生き残るため」と語っている。 海外で業務ができる最低限の基準として、TOEIC 700点以上の取得を求めるのだそうである。 こんな時代にサラリーマンをしていなくてよかったなあ、と心底思う。 英語が公用語という環境では、「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。 英語が公用語になったある学部では、英語運用能力と、知的ランキングが同期してし

  • グーグルの存在する世界にて - 内田樹の研究室

    木曜日、学士会館で目覚めて、ぼんやり窓の外を見ながら朝ごはん。 「学士会館朝ごはん、なう。」と Tweet すると、見知らぬ読者から「いま白山通りを歩いています」という reply が入る。 不思議なガジェットだなあ。 mixiとも携帯メールとも、機能がどこか根的に違うような気がする。 「ダイレクトメッセージ」ではなく、「宛名のないつぶやき」に反応する人がいるということが「広大な共生感」(@大江健三郎)をもたらすのであろうか。 よくわかんないけど、とりあえずは「精神衛生上よい」機能を果たしていることは間違いない。 だから、Twitter では「反論」とか「事実誤認の指摘」とかは遠慮してほしいですね。 「グーグル問題」について、いろいろ意見を訊かれる。 私の基的態度は「テクノロジーの進化は止められない」というものである。 とくにグーグルのビジネスモデルは「利用者はサービスに課金されない」

  • 読者と書籍購入者 - 内田樹の研究室

    私は論争ということをしない。 自分に対する批判には一切反論しないことにしているから、論争にならないのである。 どうして反論しないかというと、私に対する批判はつねに「正しい」か「間違っている」かいずれかだからである。 批判が「正しい」ならむろん私には反論できないし、すべきでもない。 私が無知であるとか、態度が悪いとか、非人情であるとかいうご批判はすべて事実であるので、私に反論の余地はない。粛々とご叱正の前に頭を垂れるばかりである。 また、批判が「間違っている」なら、この場合はさらに反論を要さない。 私のような「わかりやすい」論を立てている人間の書き物への批判が誤っている場合、それはその人の知性がかなり不調だということの証左である。そのような不具合な知性を相手にして人の道、ことの理を説いて聴かせるのは純粋な消耗である。 というわけで私はどなたからどのような批判を寄せられても反論しないことを党是

  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

  • 内田樹の研究室: 教育破壊はどこまで続くのか

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    zaki1010
    zaki1010 2006/10/27
    『「知識をふやす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。』
  • 内田樹の研究室 : オリジナリティについての孔子の教え

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    zaki1010
    zaki1010 2005/11/05
    「述べて作らず」(私はコピーしているだけで、オリジナルではありません)
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