始めるに当たって断り書きですが、前回のかがみさんの時もそうですが、話は盛っていません。だから事実だけであまり面白くないかも知れません。ただその時感じた自分の印象はそのまま書いていきます。 ・吾妻ひでお先生のアシスタントになるまで まず、当時のマイナー業界でロリコンブームがあって、吾妻先生はそのレジェンドであり、急先鋒でもありました。自分は当時でいうロリコンカテゴリ系の人間では無かったということは十分承知していて、美少女は描いても性的対象としては描かなかったことで排除された気分になっていました。性的傾向を漫画に持ち込む素養がもともと無かったといった方が正しいかもしれません。逆にそのことでおたくの仲間に入れないことで悩みさえしました。なにせロリコン系作家であった方がマイナー業界では仕事があった時代でしたから。 今じゃ考えられませんよね。 話は前後しますが1983年(昭和58年)に遡ります。電研
小学校時代の思い出 小学校の頃、学級会である揉め事が持ち込まれたことがありました。クラスの女子がある男子に筆箱を取られたと訴え、男子は取っていないというものでした。当時学級委員長だった私は、「取られた方は悔しいとか思ってちゃんと覚えているから、何々君は謝った方がいいんじゃないか。」と自信満々で意見を述べました。ただ、その女子の筆箱は彼女の机の奥から出てきて、取られたというのは勘違いであることが分かりました。被害を訴えていたとしても勘違いなどで誤っていることもあることを私はその時に学びました。 私は小学校の頃にそのような教訓を得たわけですが、分別盛りであるはずの年齢に至ってもそれが分からない方がいらっしゃいます。選挙ウォッチャーちだいこと石渡智大さんです。その選挙ウォッチャーちだいこと石渡智大さんは、新井祥子草津町議会議員のリコールについてこう述べていたのです。 選挙ウォッチャーちだいこと石
11月16日告示、12月6日投開票で、群馬県草津町の新井祥子議員のリコール(辞職)を問う住民投票が行われました。リコールが問われることになったのは、新井祥子議員が黒岩信忠町長から町長室で性被害に遭ったと告発をしたところ、町長が事実無根だと反論。逆に、告発をした新井祥子さんの方が破廉恥な嘘をついて議会の品位を傷つけたとして、懲罰動議が出されて可決。それだけでは終わらず、議長の黒岩卓さんが中心となってリコール運動を開始。必要な数の署名が集まったことから、このたびリコールを問う住民投票が行われることになったのでした。 草津町の人口は、令和2年12月1日時点で6211人。草津町議会の定数は12で、この町で唯一の女性議員が新井祥子さんでした。この異様とも言える住民投票については既にいくつかのメディアが報じていて、真相に迫ろうと奮闘しているライターもいるようですが、住民投票が行われた12月6日の時点で
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