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ブックマーク / bunshun.jp (397)

  • 東京医科大 女性新学長のパワハラを被害者が告発 | 文春オンライン

    今年9月の“出直し選挙”で東京医科大の学長に選出された林由起子氏(56)。裏口入学をはじめとした7月以降の不祥事に対するイメージ払拭を期待されているが、そんな林氏のパワハラ疑惑が「週刊文春」の取材によって明らかになった。 「林先生のパワハラのせいで家から一歩も出られなくなってしまい、病院で受診したところ、環境的要因による状態という診断が下りました。いまだ深刻な後遺症に悩まされています」 苦しい胸の内を語るのは、かつて林氏が主任教授を務めていた神経生理学講座の元学生・A子さんである。 林氏は1986年、東京医大を卒業後、順天堂大学や国立精神・神経医療研究センターに勤務。そして2013年8月、古巣の東京医大に戻り、神経生理学講座の主任教授に着任した。 東京医科大 当時、A子さんは修士課程1年生。研究室に不協和音が響いたのは、林氏の着任直後だったという。 「林先生は、部屋にやってきては『ここを

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    zenibuta 2018/10/18
  • 片山さつき地方創生担当大臣に100万円国税口利き疑惑 | 文春オンライン

    10月に発足した安倍改造内閣で、唯一の女性閣僚となった片山さつき地方創生担当大臣(59)に古巣の財務省に対する口利き疑惑が浮上した。 「2015年当時、私の会社に税務調査が入り、青色申告の承認が取り消されそうになっていました。何とかならないかと片山先生に相談したのは紛れもない事実です。そして片山事務所の秘書を通じ、私設秘書だった南村博二という男を紹介されました」 「週刊文春」取材班の再三の取材申し込みに、製造業を営むX氏が初めて重い口を開いた。 「南村氏に『とにかく青色申告取り消しだけは困るんです』と話すと、『大丈夫ですから、安心してください』などと言われ、税務調査の対応をお任せすることにしたのです。そして15年7月、指定された口座に100万円を振り込みました。これで片山先生が働きかけてくれると信じていました」 ベトナムでの会談。左端が南村氏(南村氏のSNSより) 「週刊文春」取材班は、X

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    zenibuta 2018/10/17
  • カープファンは他のチームのファンからどう思われているのだろうか | 文春オンライン

    今回、このタイミングで。書くべきことかどうか考えたが、やはり書くべきだろうと思ったのでコミッショナーに相談した。コミッショナーというのは物のプロ野球のコミッショナーではなく、文春野球のコミッショナーである。いや、相談という言葉は違う。書いたほうがいいと思ったし、それが書けるのは文春野球カープの監督という立ち位置を任せてもらっている自分にしかできないと思ったので、気持ちは決まっていた。相談ではなく許可を求めたのであろう。 コミッショナーから出た言葉は意外だった。それを待っていたという言葉であった。コミッショナーは以前からそこが気になっていたようであった。自分とコミッショナーは以前からの知り合いであるので言いやすかったはずだがそれでも言えなかった。それは彼がコミッショナーだからである。 記そうと思う。いましか記せないことを。そして、二度とこうしたことを記すことがないことを願うものである。 こ

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    zenibuta 2018/10/16
  • 田代富雄が横浜に帰ってくることが、なぜこんなに嬉しいのか  | 文春オンライン

    田代さんが横浜に帰ってくる――。 おそらく、筒香あたりは小躍りして喜んでいるだろう。退団して6年が経つ私でさえ嬉しいのだから。 長かった。8年である。ようやく、大切にしていた宝物を返してもらった気分だ。2015年、シーズン途中に楽天を退団するというニュースは、球界に大きな衝撃が走った。当時、世の中は退団した理由を調べることに躍起になっていたが、そんなことより、「これで来年には横浜に帰ってくる!」という期待を抱かずにはいられなかった。しかし、田代さんは帰ってこなかった。 横浜に愛がないわけがない。それでも、「横浜に帰って来たい」と自分から言うようなことは間違えてもない。求められたところに行って自分の仕事をする。求められなかったらユニフォームを脱いで好きなラーメンでも作りゃいい。何かあれば「俺は、難しいことはよくわかんねえからよ」と煙に巻く。どこかいつも背中に哀愁が漂う、田代さんはそういう男だ

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    zenibuta 2018/10/15
  • 「杉田水脈さんは国家の財産ですよ」ほか、“全員野球”安倍内閣の“あの珍言”をもう一度 | 文春オンライン

    初入閣した柴山昌彦文科相は就任会見で、戦前の教育で使われた教育勅語について「今の道徳などに使える」「普遍性を持っている部分がある」などと語った。「同胞を大事にするなどの基的な内容について現代的にアレンジして教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも述べた。 教育勅語とは明治天皇の名前で1890年に発布されたもので、戦前から戦中にかけて思想面で国家総動員体制を支えた。「君主」である天皇が「臣民」の国民を諭す形をとっており、国民主権、個人の尊重を掲げた現在の日国憲法とは根から相容れない。1948年に衆参両院で排除と失効が決議された。衆議院の決議では教育勅語が基的人権を損ない、憲法に反するものだと明確に位置づけている。 教育勅語には親孝行や友愛などの徳目も含まれるが、ならば親孝行や友愛について教えればいいことであり、教育勅語にこだわる理由は1ミリもない。近現代史研究者の辻田真佐憲氏

    「杉田水脈さんは国家の財産ですよ」ほか、“全員野球”安倍内閣の“あの珍言”をもう一度 | 文春オンライン
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    zenibuta 2018/10/06
  • 野茂英雄が“親友”佐野慈紀を借金トラブルで訴えていた | 文春オンライン

    元メジャーリーガーの野茂英雄(50)が近鉄バファローズ時代のチームメイト、佐野慈紀(50)に対し借金の返済訴訟を起こしていたことが「週刊文春」の取材で分かった。 佐野慈紀 ©文藝春秋 「日球界で敵の多かった野茂にとって、親友と呼べるのは佐野以外にいません。佐野は、2005年まで野茂が代表を務める『NOMOベースボールクラブ』の理事も務めていました。若い頃から髪が薄かった佐野は、投球時にわざと帽子を落とす“ピッカリ”投法で人気を集め、引退後も野球評論などで活躍しています」(元近鉄担当記者) 訴状によれば、03年9月、野茂は佐野に対し、年0.3%の利息で3000万円を貸し付けたものの、10年後の期限までに佐野は434万5000円しか返済しておらず、野茂が残金の支払いを求めていた。 東京地裁は、9月20日、野茂の訴えをすべて認める判決を言い渡した。 野茂の事務所に取材を申し込んだが、「こちらか

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    zenibuta 2018/09/26
  • しつこく連絡してくる「味方のおじさん」問題に悩む女性たちへ | 文春オンライン

    「おじさんからしつこく連絡がきて困っているのですが、仕事関係の知り合いであるため、強く拒否できません。どうしたらいいですか?」 最近、知人の女性からこんな相談が寄せられました。 相談者の年齢は20代前半。相手の男性は50歳前後で、しかも既婚者だといいます。 3日に1度のペースでLINEが届くように 私は仕事柄、女性からよく相談を受けるのですが、おそらく「これ」が一番多いパターンなのです。会社に入って間もない女性社員に目をつけた男性が、「親身な先輩」の仮面を着けて近づいてくる。もしくは取引先の男性が、仕事に関係ないプライベートな連絡をバシバシ送ってくる(なお「既婚女性からしつこく連絡がくる」という男性のお話も聞いたことがあるので、男女問わずこういった問題はあるようです)。 彼女は企業相手の営業職に就いているのですが、ある日、取引先の男性(以下、Kさん)から「仕事をスムーズに行うためにも、親睦

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    zenibuta 2018/09/26
  • 大江千里が語った「日本でのキャリアを捨て、ジャズミュージシャンを目指した本当の理由」 | 文春オンライン

    ニューアルバム『Boys & Girls』で、かつてのヒット曲『格好悪いふられ方』などをピアノ・ソロでセルフカバーした大江千里さん(58)。47歳でジャズを格的に学び始め、いかにポップスのリズムが身に染み付いているかを痛感し、四苦八苦したという。大江さんが、ジャズミュージシャンへと転身した10年の日々から学んだこととは?(#1から続く)

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    zenibuta 2018/09/17
  • 大江千里58歳「僕の日本でのピークは、91年『格好悪いふられ方』のリリース直前だった」 | 文春オンライン

    大江 ニュースクールというマンハッタンの学校でジャズを学んで、ちゃんと卒業するっていうのが移住のきっかけでしたけど、その流れでアメリカでも仕事ができるように頑張るかって、そのまま10年経っちゃいました。 おぐら 落ち着く場所になりましたか? 大江 ほっとはしますね。自分の機材があって、犬がいて、友達もいて。あぁ、ここが居場所だなって。 速水 逆に、日に帰ってきた時の居場所っていうのは、大阪のご実家? それとも東京? 速水健朗さん 大江 東京に居場所はないですよ。そうなると実家ですかね。父がいて、帰ってきたら必ず追い焚きでお風呂を沸かしてくれて、パンツは自分で洗って、庭に干す。それが里帰りです(笑)。 おぐら たまに来る東京は、どんな街に見えますか? 大江 アメリカに行く前は六木ヒルズの近所に住んでいて、どこも懐かしくて思い出だらけなんだけど、やっぱりずいぶん変わりました。なんか未来を目

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    zenibuta 2018/09/17
  •  「自由党に民主なし、 民主党に自由なし」――欲張りな“自民党”はどうやってできたのか? | 文春オンライン

    「自由党に民主なし、 民主党に自由なし」 と。 野党の民主党と自由党のことを揶揄したのですね。思わず、うまい! と言ってしまいますが、では、自民党は、当に「自由で民主的」な政党なのでしょうか。総裁選挙で所属の派閥議員に「必ず安倍晋三氏に投票します」という趣旨の誓約書を書かせる人たちがいるのに、堂々と胸を張れるのでしょうか。 自由民主党部 ©文藝春秋 それはともかく、そもそも自民党が誕生したのは1955年のこと。野党の左派社会党と右派社会党が合流したことで、巨大な野党が誕生。これを見た財界が、「このままでは社会主義革命が起きるぞ。保守勢力が仲間割れしている場合ではない」と圧力をかけ、当時の自由党と日民主党が一緒になりました。 これまで競合していた同士が一緒になると、名前の順番でもめ事が起こりがち。このときにも「民主自由党」か「自由民主党」か、論争になったのですが、結局、自由民主党の方が

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    zenibuta 2018/09/12
  • 400万円近く自腹強要で自殺……大東建託の“ブラック”な内情 | 文春オンライン

    『大東建託の内幕 “アパート経営商法”の闇を追う”』(三宅勝久 著) “ブラック企業”については、少しは鼻が利くつもりでいたが、大東建託はまったくのノーマークだった。ブラック企業を語る上での難しさは、どこにも明確な指標がない点にある。実際、大東建託は経産省が発表する“ホワイト企業リスト”にも名前が挙がっている。しかし、書を読み、その目を覆いたくなる凄惨な企業のあり様に驚愕した。 書は、フリーのジャーナリストである著者が、九年をかけ、大東建託のブラック企業ぶりを、暗闇から力業で白日の下に引きずり出した労作だ。裁判傍聴や事件の現場を訪ね歩き、ウェブマガジンに書き続けた結果がこの一冊に結実した。 大東建託とは、東証一部上場で、売上高一兆円を超す大企業。賃貸住宅業界の最大手の一つだ。派手なテレビCMを打ち、相続対策にと休耕地の田畑にアパートを建て安定した家賃収入を高齢者に空約束することで、売上

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    zenibuta 2018/09/12
  • 劇団四季「キャッツ」人気俳優が罵倒レッスンで自殺未遂していた | 文春オンライン

    四季関係者が明かす。 「飛び降りの原因は、スーパーバイザーの加藤敬二氏(56)による“パワハラ指導”です」 加藤氏と言えば、四季の元トップダンサーで、最近も、空前の売れ行きを記録した「アラジン」やキャッツなどの数多くの作品で、振付や演出を手掛けている。 厳しい指導で知られる(会報誌「ラ・アルプ」より) 「I君は次第に、加藤氏から罵倒されたり、無視されたりするようになっていきました。今年8月から始まった東京公演のミストフェリーズ役からも外されています」(同前) 劇団四季広報宣伝部は「週刊文春」の取材に対し、次のように回答した。 「俳優が、高所から落下したことは事実です。事故があったことを重大なことだと受け止め、事実関係や発生原因の究明を行い、再発を防止していくために、社外監査役を委員長とする調査委員会を立ち上げ、調査を依頼しました。(加藤氏のパワハラについては)調査結果には個人情報のみならず

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    zenibuta 2018/09/06
  • 小林亜星 86歳が語る「ざまあみろ」って思った終戦 13歳の夏 | 文春オンライン

    ◆ 戦時中っていえば、ジャズが禁止されてたってことかな 小林 この8月11日で86になりました。やんなっちゃいますよ。後期を超えて「末期高齢者」だって言ってるの(笑)。 ――今日は小林さん自身と「寺内貫太郎」の戦争体験、戦後をお伺いしたいと思っています。 小林 あのドラマをやったのは、僕が41歳のときでしたね。昭和49年か。相当前ですね。 ――1974年ですから、44年前です。 小林 それで今年は戦後73年でしょう。そりゃあ、戦争を経験していない方々のほうが世の中には多いわけだ。それはそれで、怖い世の中ですよ。 疎開先のお寺にオペラのレコードがありましてね ――小林さんは13歳で終戦を迎えられていますが、戦時中のことですぐに思い出すことって、どんなことでしょうか。 小林 そうですね、ジャズが禁止されたってことかな。あれはアメリカ、「敵国」の音楽だからダメだった。ハワイアンもダメね。クラシッ

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    zenibuta 2018/09/03
  • 仲本工事 77歳 今だから語る「いかりやさんとの“バカ兄弟”が一番難しかった」 | 文春オンライン

     そうです。ここはかみさんが仕切ってて、僕は注文とったり料理を運んだりする使用人(笑)。 ―― ドリフファンにはたまりませんね。 仲 僕が東京にいるときはほとんど店にいるんで、今度ぜひ来てください。隣にカラオケの店もあって、今日はここで取材受けます。 「こぶ茶バンドのTシャツ着てきたよ」 ―― ありがとうございます。先日、高木ブーさんにインタビューさせていただいたんですが、とても反響が大きかったんです。 仲 あっ、そうなの。ちゃんと喋った?(笑) ―― はい、貴重なお話ばかりでした。ぜひ仲さんにもお話をお聞きしたいと思いまして。高木さんと同じく、仲さんも最初はミュージシャンですよね。きっかけは? 仲 大学生のときのアルバイトだね。僕は、中学から高校まで体操部に入ってたんだよ。東京の大会では、いい成績を収めたこともあります。このままいけば、大学4年で東京オリンピックに出られるぞ

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    zenibuta 2018/09/03
  • 8月23日、カープに起きた「奇跡」をもう一度 | 文春オンライン

    「数々経験してきた試合のなかでいちばんの思い出になる試合かもしれない」 試合後の談話で緒方監督にそう言わせた8月23日の試合。 緒方監督と一ファンである私とではまったく立ち位置と見方が違うのは承知の上で、私もまったく同じ気もちである。 対スワローズ。カープの12勝5敗で迎えた18回戦。このカード3連戦としては1勝1敗で迎えていた。スワローズ的に見れば直前まで3カード連続で勝ち越していて2位に浮上。あとひとつ勝てば借金がなくなる、勝率5割復帰。マジックが点灯しているカープ以外の5チームがすべて借金生活をしているなか、5割に復帰すればその意味は実質としても精神的にも大きい。AクラスCS出場はもちろん、マジックの対象チームであるということは大逆転優勝の可能性もあり、勝率が5割に復帰すればその可能性は増す。 そして見事、勝ちに向かう執念の物凄さだろうか、3カード初戦を9回ツーアウトから同点に追いつ

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    zenibuta 2018/08/29
  • 社会現象『カメラを止めるな!』と『セーラー服と機関銃』 長回しワンカットの深い世界 | 文春オンライン

    『カメラを止めるな!』が大ヒット公開中です。製作費が約300万円の低予算映画。6月23日に都内の2館で封切りとなった後、口コミで注目を集め、現在は全国で順次150館と拡大上映中です。口コミでは、作をオススメする人々が、徹底的にネタバレだけは避けた形であったのも特徴的でした。日のインディーズ映画でここまで大ヒットとなるのは稀なことです。出演しているのも、作まではほとんど知られていなかった無名の俳優たちなので、キャストを支持するファンは、劇場へ足を運んだリピーターが主なはず。 この映画がそんな熱狂を生んだのは、足をすくわれるようなサプライズがあり、それがさほど映画鑑賞を頻繁にしない観客にも仕組みがわかりやすかった、設定の巧みさでしょう。またネタバレを自主的に避ける口コミも、「この謎めいた映画をとりあえず観てみよう」という一般客を集める宣伝として、とても効果をあげたのもわかります。映画自体

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    zenibuta 2018/08/26
  • 紙面で振り返る、赤坂自民亭から加計問題まで2018年前半「政治的うそ」 | 文春オンライン

    今の自民党と政府を語るうえでのキーワードは何だろう? 「差別」と「うそ」。 そう書いたのは東京新聞である。名物ページ「こちら特報部」は、「自民・政府『差別』『うそ』の感染爆発」と特集した(7月28日)。 杉田水脈議員は自民党のマイノリティではない、という問題 しかし政府与党の最近のキーワードが「差別」と「うそ」ってすごい。でも思い当たるっていうのがさらにすごい。 記事は杉田水脈議員のあの「LGBTは生産性がない」発言を振り返り、「効果計算ずく」「首相の思い代弁で見返り期待?」との小見出し。 この数日後、毎日新聞は「安倍さんなぜ語らぬ」と迫った(8月2日)。抗議があつまるなか杉田氏に関して「自民党トップの安倍氏の発言はない」と。 毎日新聞のツッコミの後に杉田議員への「指導」 では杉田氏は昨年どのようにして自民党に擁立されたのか。 《ジャーナリストの桜井よしこ氏が昨年9月、ネット上の番組の対談

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    zenibuta 2018/08/17
  • 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた

    「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
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    zenibuta 2018/08/13
  • 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い

    「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン
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    zenibuta 2018/08/11
  • 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや、高畑さんは先制

    「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン
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    zenibuta 2018/08/10